2011年10月31日月曜日

五木寛之「百寺巡礼」インド編

五木寛之は、私個人としてはなじみの薄い作家だ。「青年は荒野をめざす」も読んでいない。ヒト世代ずれているのだ。ところが、彼の海外版「百寺巡礼」インド1・2を続けて読んだ。書店で、ブータン編があったので、まずそれを手に取ったのだが、まずインド編を読むのが筋かと思ったのだった。

ちょうど、世界史はインドの古代文明に突入している。今日は、ヴァルナ(いわゆる4つのの階層の身分差別)とジャーティ(職業による差別)の話から、アウト=カーストの不可触民の話をしていた。五木寛之の読んだ本のなかにも不可触民の話が出てくる。インド憲法を起草したアンベートカル博士は、アウト=カーストの出身である。政府の中枢にいながら部下に水も汲んでもらえないという差別と闘った人である。

この不可触民という奇妙な日本語訳は、インドにおける「穢れ」に対する忌避概念の強さを見事に表している。生徒は、この忌避概念を奇妙なものだと理解したようだ。授業では、「我は梵なり」「汝はそれなり」という梵我一如のウパニシャッド哲学を講じたところで今日は終わった。次回は、輪廻と業(カルマ)の思想を教えることで、こういう差別の根源を説明する予定だ。

ところで、今回読んだ「百寺巡礼」インド1・2は、ブッダの最後、クシナガラへの伝道の道をたどる旅である。いつも、ウパニシャッド哲学を講じたうえで、ブッダの一生を語ることにしている。「四門出遊」の逸話も交えての、仏教講話になる。五木寛之は、この本の中で、日本における仏教学の大家・中村元先生の『ブッダ最後の旅』を度々引用している。「大パリニッパーナ経」のパーリ語文書を訳したものである。(サンスクリット語が上の階層のものだったのに対し、パーリ語は庶民の言語だったらしい。ブッダはパーり語で説法していたと伝えられている。)ブッダの最後は、農民の供養した食物の中に毒キノコが入っていて食中毒で亡くなったといつも教えているのだが、中村先生の訳では明確ではないそうだ。それどころか、供養したのは農民ではなく、有力な鍛冶屋だったらしい。さっそくプリントを書きかえるはめになった。(笑)

仏教は、実は私の専門であるのだが、長いこと勉強を怠ってきた。たいがいの仏教本を読んでも既に知っていることが多いので読まなくなったのだった。まさに灯台もと暗しである。そういう反省を込めて読んだ2冊の文庫本だった。

2011年10月30日日曜日

サムスンのアフリカ教育支援 好

パリのシャルル・ドゴール空港に着いて、驚いたことがある。ブルキナ行の時の話だ。空港内のあらゆるところに、サムスンやLG電子の看板が溢れていたのだ。今、韓国の電子産業の発展は凄まじい。日本でも最近携帯電話などでガンガン頑張っていて、時の流れを強く感じる。

その韓国のサムスンが、南アフリカで「太陽電池付きの貨物コンテナを使った移動教室」を開発し、試験運用しているというニュースを読んだ。電力を得られないところでもパソコンやインターネットが使えるという。
http://japan.internet.com/webtech/20111030/1.html

こういう動き、教育関係者のはしくれとして大歓迎である。先日、今月末には世界の人口が70億を超え、アフリカでもますますの人口増が見込まれる。いつまでも、デモクレイジーでガバナンスが悪く、農業生産性が低いままで良いわけがない。やはり、教育をコアとした開発が必要だ。GDPの増大だけが開発ではない。なによりも子供の潜在能力を十分生かせるようにしなければならない、と私は考えている。

サムスンのこの取り組み。私は大いに期待したい。日本では、中国や韓国のこういう発展に伴う行動を批判する人もいる。ナショナリズム的やっかみである。こういう感情は、ガソリンスタンドCM的に極めて醜い。地球市民は、そういう感覚をもたない。良いものは良いのだ。

2011年10月29日土曜日

書評「菊の御紋章と火炎ビン」

佐々淳行氏の『菊の御紋章と火炎ビン』(文春文庫)を読んだ。佐々氏がこれまで書くのを躊躇していた昭和50年の、皇太子(今上天皇)ご夫妻の沖縄訪問での警備、三重県本部長に左遷させられた後の国体警備(皇室警備)の話がメインである。この昭和50年という年は、昭和天皇の訪米もあって天皇制打倒の新左翼運動が燃え上がった年である。おそらく、日本の危機管理に対する佐々氏の遺言に近いものであろうと思われる。その熱い想いが伝わってくる一冊だった。

私が読後に特に感じたことを2点書きたいと思う。1点目は、沖縄の「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の真相と、返還後3年目の「ウチナンチュー」についてである。この事件、私が高校生の時の話ですっかり忘れていた。皇太子夫妻に、沖縄解放同盟のTと共産同・戦旗派のKが火炎ビンを投げつけた事件である。この塔のすぐ近くに洞窟があり、そこから投げつけたものだ。佐々氏は事前にこの洞窟の探索を指示したのだが、ここは沖縄戦の時女学生が殺された聖域だということで、警察の探索は大反対され実施できなかったのだという。沖縄が返還されて3年目の沖縄は、まだまだ本土の人間(ヤマトンチュー)に対して恨みつらみが大きく残っていた。皇太子夫妻は、そんな中昭和天皇の代りに沖縄訪問をされたのだった。結局、その警備の責任を佐々氏は取らされる。この辺の内閣(三木政権)や警察庁の馬鹿さ加減・保身も悲しいが、皇太子ご夫妻の佐々氏への思いやりはやはり凄いと言わざるを得ない。もちろん、火炎ビンにもひるまぬ誇り高い行動も凄いと言わざるを得ない。私は、昭和天皇の様々な本を読んで、最近、こういう皇室讃美を正しいものだと思うようになってきた。
と、ともに沖縄の人々の、薩摩藩以来の搾取、WWⅡの沖縄戦、戦後のアメリカ支配と基地という歴史的な問題を改めて考えずにはおれないのだ。この「ひめゆりの塔」事件は、沖縄は日本なのだという分岐点となった事件のように思える。それが今、浅はかな認識の前々首相の基地問題発言で、完全に戻ってしまったのではないかと私は思ってしまった。佐々氏は、その辺についてシビアだ。前首相や前官房長官は、全共闘時代の総括をせよ。浅はかな認識で政権を担うなと手厳しい。ヤマトンチューである私の限界だと先に述べたうえで、前々首相の「少なくとも県外」発言は万死に値する混乱を招いたと思うのだ。発言の浅さが、沖縄の人々の心を逆なでしている。私が沖縄の人間なら、絶対許さないだろうと思う。復帰3年目の沖縄の姿、この本には見事に描いてくれている。

2点目。こんなこと書いていいのかと思った事実。それは佐々氏が内閣安全保障室長として昭和天皇の崩御から大喪の礼に関わった時の、昭和天皇の御陵の副葬品についての話だ。エジプトのファラオではないが、副葬品目当ての犯罪者が現れたらびっくりするだろうと佐々氏は言う。『そこには動物図鑑、植物図鑑、古い曲がったツルの眼鏡、ルーペ、そして大相撲の番付表…清貧に甘んじた立派な天皇だった。』とある。私は、感激した。

佐々氏は、「権力なき権威」の天皇制を日本民族の危機管理のための大切な「機関」と位置付けている。私は、なるほど…そういう視点もあるよなあと感心しているのである。

2011年10月28日金曜日

大阪のW選 マスコミに問う

淀屋橋の大阪市役所
大阪府知事が辞職して、大阪市長選に出るという前代未聞のW選。知事の私党とその対立候補が出そろった。府知事選は、府内の市町村長の支持を受けた池田市の市長VS私党の幹事長。大阪市長選は現市長VS現知事。当然私は教育関係者として、知事とその私党の提出している教育条例は、教育に政治が介入するものであるし、教育を数値で測ろうとする暴挙だと思っているので、大反対である。知事と私党は大阪の教育の破壊者としか映らない。

そんな私だが、先日、新聞の週刊誌の広告欄を見て怒りがこみ上げてきた。私から見れば顔も見たくない現知事だが、週刊誌の見出しに踊っていた文字には目を疑った。彼の親族の様々な悪評が書かれているのだ。私は、いくら大嫌いな彼だとしても、このような記事を書く週刊誌に嫌悪感を持つ。それが真実であれ、政治家としての彼とは全く関係のない事である。

表現の自由は重要だ。ただ今回のような極めて悪意のあるパッシングは、ノーサンキュー。マスコミの持つコトバの暴力以外の何物でもないと思う。

それに対して、先日の毎日新聞には、毎年のように定員割れする府立高校(低学力の生徒が集まる底辺校だと、びっくりするほどはっきり記されていた。1年では荒れるが、だんだん落ち着き学習意欲も生まれているとも書かれていた。)で、今回の条例案を学ぶ政治経済の授業が行われたという記事があった。「俺たちなんか高校にいくな、ということか?」という生徒の声、私と同じように、「教育を数値で測らないで」という高校教師の悲痛な叫び。こういう形でこそ、知事とその私党の間違いを正して欲しい。マスコミは、まさに両刃の剣だ。我々1人ひとりの認知が重要になってくる。

追記:Akira Inouyeさん、読者登録ありがとうございます。27人目の読者を心から歓迎いたします。よろしくお願いします。

2011年10月27日木曜日

K君の小学校教員採用試験合格

K君らの高校時代のスナップ写真
モーニングで日経を読んでいたが、「経済教室」新興国経済の課題(下)は、IMFの方の、BRICsなどの基軸通貨の多様化についての話だった。アフリカ開発経済学とはあまり関係がなく、ブログで紹介することは遠慮させていただくことにした。

さて、今日の話題は、前任校で担任したK君が大阪市の小学校の教員採用試験に合格したことである。彼女は、D女子大学のF先生のもとに修行に出していたESD(持続可能な開発のための教育:私はこの古い言い回しの方が好きだ。)の後継者である。めでたい事である。

とはいえ、彼女の中で大きな葛藤があったのではないかと思っている。高校時代は純粋な気持ちでESDをやっていきたいと思っていたと思うし、大学へ行ってからもそうだっただろう。だが、実際にボランティアとして、児童に勉強を教えたり、先生方のサポートをしていたと聞いている。現場の様々な問題も少なからず経験したことと思う。

私は、小学校の先生方とも付き合いがある。今、小学校は様々な問題を抱えていることも承知している。小学校は、我々高校と違い、地域と親密な関係が重要視される。それ故に授業以外の事でも神経を使うという話ばかり聞く。

K君は、3年の時、文化祭が終わった後、最後の最後まで徹底的に掃除をしてくれた。人の世話をやくことにあまり苦を感じない子だった。ワンフェス(ワンワールドフェスティバル:10年2月6日付ブログ参照)でも、1・2回生の時、ボランティアをしてくれていた。小学校の先生としての資質は十二分にある子である。

しかし、そんなK君でさえ、逡巡するような現実がある、と私は思う。彼女のことだ。悩みぬき、考え抜いたうえで受験したのであろうと思う。私は、そんな教え子K君を誇りに思う。腹を決めたからには何があろうと頑張ってほしい。(もちろん釈迦に説法だが…。)

こんな風に書かなければならない教育現場を政治家はどう考えているのだろう。義務教育の現場はそういう苦難に満ちている。徹底的に管理され、時間的にも肉体的にも、経済的にも追いつめられている先生方がいかに多いことか。精神的に追い詰められている方もいる。教師になりたい、優秀な多くの学生がそう思い、切磋琢磨してこそ、良い教育環境が生まれる。私は、10年後、20年後の大阪の教育を心から憂うのである。

K君は、間違いなく私の大事な『其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人』(本年3月17日付ブログ参照)の一人である。

2011年10月26日水曜日

中所得国の罠

六本木の政策研究大学院大学
今朝モーニングで、またまた日経を読んでいて、これは資料として取っておかなくてはと思った記事があった。「経済教室」: 新興国経済の課題(上)国際資本の流出入監視を(大野健一 政策研究大学院大学教授)である。思わず、帰りにコンビニで買ってしまった。130円は安い。(笑)

カテゴリーとしては、もちろん開発経済学に入る論文である。またまた高校生にわかるように、かいつまんで説明しておこうかなと思う。ちょうどグローバリゼーションとアフリカについて語っている。昨日今日と、リーマンショックとギリシャ危機について語っていた。人、モノ(商品)が国境を容易に超えるというのも、アメリカ化が進み、伝統文化の危機が叫ばれるのもグローバリゼーションの大きな側面だが、私はカネ(特に金融資本)の国境を越えた怒涛のような流れが最も重要だと思っている。貧乏教師にとっては全く縁のない世界だし、それ以上に高校生にとって縁のない世界である。それだけ説明が難しい。しかし、この話を抜きに現在進行形の開発経済学は語れないと思うのだ。

大野先生は、こう最初に述べておられる。『工業化の道を歩み始めた新興国が順調に成長を続けるには、3つの政策を実行せねばならない。①資源や外資に依存することなく国内で価値を生み出すための生産性・革新の促進、②所得格差、環境破壊、都市問題などの成長が生みだす諸問題への対処、③国際統合がもたらす新たなマクロショックの管理の3つだ。いずれが欠けても、高所得に到達する前に失速する「中所得の罠」に陥ってしまう。』

グローバリゼーションのおかげで、世界を駆け巡る巨大資金が利潤を求めて、国益やモラルを超えた時点で自己運動している。しかも民間資本取引の自由化で、通貨・株式・債券・商品・不動産、およびそれらの金融派生商品(デリバティブ)が目まぐるしく取引されている。先進国の資本のこのような自己運動が、時として(リーマンショックやギリジャ危機のように)世界経済を大きく傷つける。途上国から見ると、この動きは自国の政策と無関係な場合も多い。まさに風が吹いて桶屋が儲かるという感じで、どこか遠くの問題が、自国の通貨を暴落させたり、投資を引き上げさせたりするのである。最近目立つのは、金融市場がある程度発達した新興国の株・債券・不動産に向かって投資を増やしていることである。新興国・途上国に入り込んだ資金は、その国の経済規模とは関係がない。利益があると思えば流れ込んでくる。工場や農園の建設にはあまり回らないで、都市部の不動産に向かうことが多い。建設ラッシュは、消費ブーム、輸入急増へと波及する。実質のない、バブル経済である。

ベトナムの最近の画像です
この典型的な例がベトナムである。同国が(社会主義国故に)国際金融から隔離されていた90年代は、アジア通貨危機の被害も軽微で、物価上昇率も1桁台だった。だが、00年代、株式市場の創設、金融自由化、域内貿易の拡大、WTO加盟などによって、対外ショックを受けやすくなり、資産変動とインフレ体質が定着してしまったのである。今年の消費者物価上昇率は20%前後、とりわけ大都市の地価が高騰している。今や、資産を持ちマネーゲームに参加できる都市の富裕層と農村出身者の格差が急激に拡大している。(論文は、この後、統計の実施や景気過熱への監視、外貨規制、株・不動産取引規制、不労所得吸い上げのための税制など様々な政策提言を行っている。)

うーん。なるほど。アフリカでベトナムのように新興国と呼べる国はまだまだ少ないが、アジアの開発経済学の視点はこのような段階にきているのかと、今さらながら考え込まされた次第。明日の経済教室<下>も楽しみである。

ところで、今日は本校の視聴覚行事の日であった。3限目で授業は終了し、昼から大東市のサーティホールというところで、ビッグバンドのスウィング・ジャズを聞いた。教育的なプログラムなのでスウィングの名曲のてんこ盛り。なかなか良かったのである。ホールを出ようとしたら、部活動をするために、自転車でどっと帰校する生徒の群れに出会った。まるで昔の上海であった。気をつけて走れよぉ。(笑)

2011年10月25日火曜日

地下鉄 in ワシントンD.C.

D.C.の地下鉄
先日、サンドウィッチのSUBWAYの話を書いた。で、なんとなくシャレで、地下鉄の話を書こうと思う。私が日本以外で地下鉄に乗った経験があるのは、香港とアメリカだけである。パリとフランクフルトでは乗る寸前までいってビビッてやめてしまった。仏語と独語しか案内が書かれていなかった故である。香港の地下鉄は面白かった。私が乗った当時(今はどうか知らないが…。)座席が全て金属製でえらく前後左右に滑るのと、吊り輪が、ちょうど手榴弾のような形をしていたのでびっくりしたことを記憶している。(笑)香港は地上も面白いが、地下も面白い。

で、アメリカには、以下の都市に地下鉄があるそうな。アトランタ、セントルイス、シアトル、ピッツバーグ、バッファロー、ボルチモア、ボストン、シカゴ、クリーブランド、ロスアンゼルス、ニューヨーク、フィラデルフィア、サフランシスコ、そしてワシントンD.C.である。

違う駅の画像です
私は、このうち、ボストンとロスアンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントンD.C.の地下鉄に乗ったことがある。ボストンとロスの地下鉄については以前ブログで書いたことがあるので、今日は、ワシントンD.C.の地下鉄について書こうかなと思う。ワシントンD.C.の地下鉄はちょっと変だ。何が変なのかというと、駅の構内のデザインがほとんど同じなのだ。タイムトンネル(古い!)のようなデザインで統一されている。旅行者にとっては、駅の名前すら不案内なので、かなり不便である。たしか、ダレス空港から、ユースホステルの最寄りの駅まで、ガイドブックを片手に駅名を確認しながらドキドキしながら乗っていたのだった。(笑)切符の買い方もニューヨークではトークンという5円玉のようなコインでどこまでも乗れたのだが、ワシントンD.C.では、たとえば$10分のカードを買う仕組みだった。改札を出る時、使用した分が差し引かれる。昔のテレフォンカードみたいな感じであった。当時はなかなか新鮮だった。(笑)

これまた違う駅の画像です
私自身は鉄道マニアではないが、やっぱりいろんな鉄道に乗るのは楽しい。これまで3回ほどワシントンD.C.に行ったが、3回目は、地下鉄で、ポトマック川を越え、ペンタゴンを通過して、バージニア州の近郊の街アレクサンドリアまで行った。なかなか歴史的で落ち着いたいい街だった。こういう小さな冒険が面白いのだ。ちなみに、ポトマック川を越える時は地上を走るので、桜の季節は最高の眺めである。(ペンタゴン:国防総省は地下駅であるので見えない。)

あーあ。こんな事を書いていると、どこかへ行きたくなる。求不得苦である。

2011年10月24日月曜日

マクドナリゼーションを講義する

中間試験を返して、3年生の政治経済では『アフリカとグローバリゼーション』の講義に入る。まずは、グローバリゼーションの概説をやろうと思っている。人、モノ、カネ、情報がいとも簡単に国境を超える時代をいろいろな例で示すのである。その後は、久しぶりに『マクドナリゼーション』をやろうかな、と考えている。グローバリゼーションは、アメリカ化という側面があるからだ。

何故マクドナルドが世界に拡大し、受け入れられたのか。これを生徒に考えさせたい。正解は、「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」という概念になる。かなり難しい。これを面白おかしく説明したいのだ。さてさて前任校の総合的学習の時間のために『ビッグマック・プリーズ』という本を元に、クイズを作ったこともある。これを本校でもやってみようかなと思っている。

Дайте пожалуйста БиагМак! 
(ダーイチェ パジャールスタ ビッグマック)
Einen BigMäc, bitte!               
(アイネン ビッグマック ビッテ)
Un BigMac, s’il vous plaÎt!           
(アン ビッグマック スィルヴプレ)
¡Uno  BigMac, por favor!            
(ウノ ビッグマック ポルファボール)
Birtane BigMac İstiyorum!             
(ビターネ ビッグマック イスティヨルム)
Minta BigMac satu!               
 (ミンタ ビッグマック サトゥ)
´EvαBigMac、παρακαλώ!          
 (エナ ビッグマック パカラロー)

さてさて、どうなることやら。正解を知りたい方はコメントをしていただければ回答します。(笑)

2011年10月23日日曜日

SUBWAY in デンバー

朝から、「ペンギンズinマダガスカル」を見て、チャンネルを変えて「がっちりマンデー」を見ていた。この「がっちりマンデー」という番組、毎回様々な日本の産業の意外な一面を紹介してくれるので勉強になるのだ。今日は、サンドイッチのSUBWAYであった。サントリーの子会社だったというのがまず意外だった。超メタボのアメリカ人青年が、1年間SUBWAYを毎日2食たべて大減量した話など面白かった。マクドナルドの”スーパーサイズミー”とは180度違う。野菜を多く入れれるのが大きいらしい。

ところで、ちょっとエエカッコすると、私が初めてSUBWAYを食べたのは、コロラド州のデンバーである。サウスダコタやワイオミングを旅した際、サンフランシスコから入国してデンバーまで飛んできたのだ。空港から最も安い路線バスで市内に入った。低所得者が住んでいるのにびっくりした安いYMCAに、ザックを置いて、ダウンタウンに出かけた時のことだ。

日本にも進出し、大阪にも店は出ていたのだろうが、私は入ったことはなかった。みんな並んでいるので一緒に並んだ。すると、野菜やトッピングを自分で決めるらしいことが分かった。アメリカ人はどんどん注文していく。おいおい、やばいぞ。私の番になった。凄い早口の米語で聞いて来た。思わず、私は最終兵器を出した。「セイム。」と、前の客を指差したのだ。サバイバル英語の極到である。スタッフは、前の客と全く同じものを作ってくれた。あとは運任せである。たしか、チキンとツナと野菜がドッパァーと入っていて、なんか美味ではなかったように思う。

妻と、梅田のJ堂書店に行くと、必ずSUBWAYに行く。日本語でいろいろ注文するのは得意だ。
ところで妻はSUBWAYのようなサンドウィッチが大好きである。いつかアメリカに共にいくつもりであるが、毎日SUBWAYを探すことになると思う。その時のために、今度はトッピングの内容を予習していくつもりである。

追記:kuzekazuhikoさん、読者登録ありがとうございました。読者が26人にまで増えました。よろしければコメントをよろしくお願いします。大きな励みになります。

2011年10月22日土曜日

カメルーンの春は遠いのか

ビヤ大統領と彼のワイフ(凄い)
カメルーンで大統領選挙が行われ、78%の得票率で現職のポール・ビヤが再選された。20人が立候補して、投票率は66%だという。これで7期目。任期は7年。サブ=サハラ・アフリカで最長期政権である。野党は、不正行為を主張、選挙の無効を訴えている。まさにデモクレイジーの典型のような話である。ふぅー。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111022/mds11102212320007-n1.htm

このビヤ大統領、先日(10月5日付ブログ参照)書いた「世界の独裁者」にも詳細が載っている。なかなかエゲツナイ(大阪弁で強烈な、あくの強いというような悪い意味)大統領である。ちょっと引用してみたい。カメルーンの大統領には議会が制定する法案の拒否権が与えられているし、議会に諮らず政令を発布できる。要するに議会は無力だ。閣僚、裁判官、軍幹部はもちろん、各州の知事・副知事、およそ100社の国営企業責任者などの任命権は、当然大統領にある。しかも各州の公務員の給料は政府から支給される。大統領の恩恵を受ける人間は全国の津々浦々に及ぶわけだ。だから、安心してビヤは、国家元首であるにもかかわらず、フランスやスイスで過ごすことが多いらしい。そのため、カメルーンにいる期間は「ショートステイ」と呼ばれている。2009年のフランスでの2週間のホテル代は1日当たり4万ドルだったとか。

このビヤは、南部のカトリック教徒で、パリ大学で学んだエリート。フランス領カメルーン独立時のアヒジョ大統領は北部のムスリム。中学までしか出ていない元郵便局員。自分にないものを持つビヤを重用した。やがてNo2の首相にする。が、その後健康上の理由で辞任、憲法の規定に従ってビヤが大統領になった。どうやらつなぎ役だったらしいのだが、見事に前大統領と後任と目された首相を失脚させる。

気候的には多彩。アフリカの縮図と呼ばれる。
カメルーンは、旧フランス植民地(8州)とイギリス植民地(2州)が合体している。ビヤは、この英語圏住民を最大の野党としている。しかし、1995年にイギリス連邦に加盟。このあたり、ただ者ではない。カメルーンの石油は仏・独へ輸出している。さらにチャドからもパイプラインがカメルーン経由で輸出されている。欧米の微妙なエネルギー資源確保の競争心を巧みに利用している。チャドのデビー大統領と二人で「お前もワルよのう。」と語り合うような関係である。

というわけで、カメルーンのHDIは、153位/182国。大統領やガバナンスが悪い故の貧困がここにもある。カメルーンの春はまだまだ遠いのだろうか。それとも、とりあえず紛争の罠にハマっていないだけマシなのだろうか。

JICA理事長続投インタヴュー考

毎日新聞に、緒方貞子JICA理事長の3期目続投が決まったことを受けてのインタヴュー記事が載っていた。なかなか示唆に飛ぶ発言が多かったので私のブログでも紹介したいと思う。発言については私の方で若干要旨をまとめている。

震災復興とODA削減について:震災直後にODA削減、復興校財源にあてるべきという声が出た時は正直なところ大変な事態になるのではないかと思いました。その後ODA削減に反対する世論も出て、私は、日本国民は国際的な「相互依存」を実感を伴った形で理解できるようになったのではないかと思いました。この「相互依存」とは、たとえばアフガニスタンのカンダハル市から震災後すぐい5万ドルの支援表明がありました。最貧国の自治体からの資金援助ですよ。被災して国内での再建が困難になった中小企業に対し、途上国から誘致の声も多数届いています。こうした支援が寄せられたのは、日本が途上国支援を続けてきたからです。経済が好調だった時に「国際化」という言葉がしきりに使われましたが、日本人は「国際化」の意味について理解していなかったと思います。今回の震災で、日本人は援助とは相手国のためだけにあるのではないことを実感したと思います。

世界第五位に下がったODA予算について:就任後、一番大きく変えたのは、本当に必要な援助だけを残すということです。日本のODAは長年アジア中心でしたが、アジアは経済成長を果たし、今最も必要としているのはアフリカです。成長したアジアの国々と一緒にアフリカを支援する体制をつくってきました。

若者の「内向き志向」について:JICAの職員募集では30~40人の募集枠に何千人もの応募があります。外国の大学院への留学が減少しているのは、企業の予算削減という原因もあると思います。国際社会で働きたいという若者の多さに、私は希望をもっています。

3期目も4年間勤めるのか:冗談じゃありません。私も84歳です。そろそろ休ませていただきたい。政府内で後任が決まらないので、当面続けるという条件で引き受けました。就任後、職員をとにかく現場に行かせました。現場を見て初めて一番必要とされている援助は何かが分かるのです。援助の質を向上させるには、現場に出なければならないのです。

いやあ、やっぱり凄い人なのである。緒方さんは、結局のところ、『地球市民』的な発想でJICAを引っ張っておられることがよくわかる。国際的な相互依存というのは、地球市民の共生という概念そのものである。日本は、世界の中で生きていくしかない国である。今回の震災は、まさにそのことを教えてくれた。常に世界に目を向けて、地球市民として共に生きていくという姿勢が日本人に求められているのだ。私は、そういう日本人を育む教育がしたい。
アフリカ支援に対しても、そのスタンスを大いに支持したい。アジア諸国とともに日本が様々な形でアフリカで国際協力することは、日本にもアジア諸国にも、とうぜんアフリカにも大きな成果を生むだろうと思う。
若者への緒方さんの目は温かい。外務大臣に、という声もあるが文部科学大臣になっていただいてもいいのではないか。日本の教育が変わるはずだ。
さてさて、緒方さんの後任はたしかに難しい。もちろんJICA内部からでもいいと思うし、明石康元国連事務次長や、松浦晃一郎ユネスコ事務局長、岡村善文コートジボアール大使、冨永純正コンゴ民主共和国大使なども候補者になるだろうなどと、勝手なことを書いておく。特に、冨永純正コンゴ民主共和国大使は、JOCV出身。JICAの生え抜きである。いつかJICA理事長をしてもらいたいと私などは夢想するのだが…。

2011年10月21日金曜日

聖☆おにいさん第7巻を読む

(本日の直前のブログ参照です。)息子が、食事のの帰りに、本屋に寄ると言いだした。聖☆おにいさん第7巻の発売日なんだそうだ。我が家では全員がファンである。で、速攻で買い求め、家族で回し読みとなった。
今回もなかなか面白い。あまり内容を暴露するといけないのだが、今回は秀作ぞろい。マリアとマーヤーの話が出てくる「愛さんさん」や天界での待ち合わせ場に流すビデオ作りを描いた「実在を証明せよ」などが特に面白かった。当然お勧めの1冊である。

追記1:本日、O君がタンザニアに飛び立ったはず。バンコク経由と聞いているので洪水の被害が心配であるが、それも経験。猫ブルを楽しむくらいの余裕で頑張ってほしい。グッド・ラックやで。
追記2:昨夜、前任校の中国修学旅行が帰国したはずである。今日は国語科2年生が代休なので、前任校の先生方には連絡を取っていないが、無事帰国できたことと信じている。王さん・劉さんご苦労様でした。

妻のブログと「ペタ返し」

Amebaの個人のキャラクターはこんな感じ
先月の台風のため代休になった日に文化祭のため出勤していた私は、事務から代休を取るよう、かなり言われていた。で、中間考査最終日、S先生と監督をチェンジして、やっとこさ「代休」を取ったのだった。普段の日、授業を犠牲にして代休などなかなか取れるわけないのである。

と、いうわけで今日は私は休みである。妻も「秋の花粉症」である。目がかなりやられているので、眼科に行くことになった。そのアッシーとして出動である。さらに、イスラエルより帰国中の息子と、いつも世話になっている義姉をさそって食事に出かけた。まあ、そういう休日だったわけだ。

ところで、今日の本題。6月から、妻がブログを書いている。自分では「ハマっていない。」と強弁するのだが、ほぼ毎日ブログを更新している。妻が書いているのは、Amebaという変な(失礼)システムのブログである。
我が、Bloggerとは随分趣が違う。本人のキャラクターを作れるのである。せっかくなので、ブログ開始の際、カワイイのを私が作ってやった。あまり似ていない。(笑)

ところで妻は、何を書いているのか。作った料理のことや、日々の話だけでなく、反原発のことや文学的なエッセイなども書く。最近は、ちょっとした私の悪口をユーモアたっぷりに書いている。おいおい。(あまり詳しく書くと、その所在が判明するのでこれくらいにしておく。私と妻のブログを知っているのは、H城鍼灸院の院長と息子のパートナーのTさんくらいである。それで十分。笑)

妻のブログには、『ペタ』という、ブログを訪れた同じAmebaのシステムを使っている人が、無コメントでその足跡を残せるようになっている。どんな人物が自分のブログを見たか毎日わかるわけだ。妻のブログにも、主婦を始め、様々な人が「ペタ」をしている。妻は、ブログを書いては、「ペタ」を確認し、『ペタ返し』というのをしている。その人のブログを訪問して「ペタ」を貼るのだそうだ。この作業、たしかに面白いと思う。

私のブログの統計ページから
さすがに、私のブログには、読者とコメント以外に訪問していただいた方々を認識する方法はない。だが、様々な面で、私はBloggerの方が好きである。特に、海外からのアクセスがあることが嬉しい。実は、先週も不思議な事態に陥った。アメリカからのアクセス(162)が、日本でのアクセス(89)より多い日があったのである。トラフィックを調べてみると、ベトナム人青年の英語のページが表示される。その、どこにも我がブログのことが書かれているようには見えなかった。うーん、謎である。

妻は、私の愛用のCanonG12を借用して、ブログ用の写真を撮っていたが、ついに自分のデジカメを買うと言いだした。絶対、『ハマっている』のだ。

2011年10月20日木曜日

ヨーロッパ「合衆国」の危機

ギリシア(一般的にはギリシャらしいが、私は人文系の人間なので、こう書く。)で、緊縮財政策への大規模なゼネストが話題になっている。ギリシア人にとっては、自分たちにとって未来のない緊縮財政に大反対しているわけだ。さすが民主制の原産地である。言いたいことをはっきり主張する。こういう感想をもてるのも、日本にいるからだと私は思う。どう考えたって、今さら何を我がまま言っているのだとドイツ人などは怒り心頭だろう。このままいくと、ユーロ圏は凄いことになりそうだ。リーマンショック以上の金融危機がやってくる気配。

そもそもヨーロッパを統合しようという独仏+ベネルクス三国の理想は、少々無理があったのかもしれない。アメリカに対抗するヨーロッパ合衆国の理想は、各国の基本的スタンスの違いが露出してきたように思うのだ。

今日、例によってモーニングで、日経を読んでいて、ホォーと思ったのが、アメリカの共和党の大統領候補の争いの話。テキサスのペローが失言が多く失速し、次に注目されているマサチューセッツ州知事のロムニー候補には、彼がモルモン教徒であるということに否定的な論調が強まっているらしい。なるほど。保守的なプロテスタントの多い共和党支持者の間では、モルモン教の大統領を認め難いのだろう。アメリカの宗教事情は、なんといてもプロテスタント優勢である。ただし、一宗派として見た場合最大の宗派はカトリック(30%ほど)である。プロテスタントは、アングリカン(英国国教会)や、メソジスト、バブティスト、ルーテル派などの総称であって、あくまで宗派ではない。ただ、アメリカはプロテスタントを信仰する大統領を必ず選んできた。(唯一の例外は、カトリックのJFKである。)日経には、アメリカ国民が忌避する大統領の宗教として、無宗教、イスラム教、ぐっと落ちてモルモン教、カトリック、ユダヤ教と続く統計資料も掲載されていた。(モルモン教は、プロテスタントの一派だと分類できるのだが、アメリカでは様々な教義の面で差別的に見られてきた。)日本ではあまり強調されない(というより理解されない)が、アメリカは極めて宗教に熱心な国である。アメリカは独立した国家の如き州の集合体とはいえ、プロテスタン的な人生観で平均化されている。ヨーロッパとはその辺で大きく異なる歴史と伝統を有するのだ。

アメリカにも、カトリックの多いことで有名なメリーランド州や、なんでもありのペンシルベニア州、モルモン教徒のユタ州などが宗教的な特徴をもった州もあるが、ドイツ系・北欧系が多いとか、黒人の人口比例が大きいとかで、ルーテル派(ドイツ系・北欧系)が多かったり、バブティスト(黒人に多い)が多い州があるくらいで、一応プロテスタントが主流だというのが通説である。(2000年現在のアメリカの宗教分布の地図参照:西部はカリフォルニアを始めカトリック教徒が多い地域が広く見えるが、ロッキー山脈や砂漠地帯などが多く、人口分布と比例していないので誤解のないように。)

ヨーロッパは、アメリカ以上に複雑である。ステレオタイプで思い切って分類してしまえば、南欧とアイルランド・ポーランドはカトリック、オランダやイギリス、北欧はプロテスタント。東欧のスラブ系はオーソドックス(ギリシア正教)。フランスは若干カトリック優勢、ドイツは半々のカトリックとプロテスタント並立の国だ。同じキリスト教徒でも、その人生観はかなり違う。

まるで、私にはアメリカのシビル・ワー(南北戦争)当時(南部が奴隷制度をもつ農業主体のアングリカンVS北部が工業の進展をはかるプロテスタント)のような南北格差(南欧・東欧VS西欧・北欧)と価値観の相違(カトリック+オーソドックスVSプロテスタント)に、ヨーロッパは悩まされているように見えるのである。

19世紀の歴史は、このアメリカの南北対立をソフトランディングしなかったが、今回はどうだろうか。グローバリゼーションの中、ソフトランディングしなければどえらいことになるのである。うーん。と、また一人つっこみを入れざるをえないのだった。

2011年10月19日水曜日

JICA高校生セミナー2012始動

2007年セミナーから。ディマクコンダの山田耕平氏講演中
一昨日、私の職員室の机上に、JICAの封筒が置かれていた。事務の方が置いていただいたものだ。先日も事業報告書などが届いた直後だったので「?」となった。開封すると、全く想定外の書類が入っていた。いつも春に行われている高校生セミナーが、1月7日・8日の土日の1泊2日の日程で開催される旨が書かれていたのだった。実は、本校は春休みの例年並みに開催されると、普通科の入試(後期入試)の関係で私の参加が厳しいことも十分考えられる。今年は駄目だなと半ばあきらめていたのだった。

それが、たとえ1泊になったとしても…。パァッと光がさしたのだった。速攻で、校長・教頭の許可を得て、セミナー概要と参加申込書をコピーし、3年生の担任の先生方に相談した。参加者4人のうち、2名は私の政治経済というより、アフリカ開発経済学講座を受講している熱心な女子2名で決定だ。残る2名の男子生徒を、先生方の推薦で、哲平さんやアルーシャに行くO君の後輩となる予定の生徒と、英語の教師を目指しているリーダーシップのある生徒でいくことに決定した。これまた速攻で、試験終了後呼び出し、内容を説明、参加申込書を手渡した。
保護者の印も含めて、参加申込書が今朝揃い、校印つきの申込書と担当者のAさん宛に手紙も添えてこれまた速攻で投函した。おそらく参加できると思う。正直、無茶苦茶早い対応である。それくらい、セミナーの1月開催が嬉しかったのだ。
本校生は、ほとんどの生徒がクラブを頑張っている。JICA大阪に連れて行きたいと思う2年生もクラブで頑張っている。テニス部など、近畿大会の試合当日らしい。だが進路の決定した3年生なら、十分連れていける。前任校では全く考えられない人選だが、今回はうまくマッチした。

さて、今回のセミナー、10時30分開始である。ワークショップは、例によって大阪一のファシリテーターのS先生である。「学びを問い直す」がテーマ。昼食の後、バングラディシュで活躍中の方の講演、テレビ会議でのバングラディシュの高校生との意見交換、そして「教育開発プロジェクト」の企画へと発展するようだ。おそらく、途上国における『教育』を考える内容になっているようだ。その後、このところ定番のグループワークへと続く。1泊なので、今回は研修員さんとの交流会はない。まあ、レストランとかで十分交流できると思う。

本校としては、初の参加となる。3年生が、どれくらい他校の生徒と協力してやれるか楽しみである。まさに試金石。またまた燃えてきたのであった。

2011年10月18日火曜日

歴史教科書 30年のスパン

『こんなに変わった歴史教科書』(山本博文ほか著)という新潮文庫の新刊を読んだ。本校では今日から中間考査で、ちょうど日本史の試験の監督だった。で、教室の後ろにある生徒の日本史の教科書を、パラパラめくっていると、私などの世代が学んだ日本史の知識がいかに古くなっているかを再確認した。

自慢ではないが、私は日本史を32年の教師生活の中で2年間しか教えていないし、それも近現代史しか教えていない。近世以前に関しては、全くの一般ピ-プルである。歴史学の進捗を、およそ30年のスパンで見ているこの文庫本、もちろん知っているものもあったけれど、やはり刺戟的であった。

今は大和朝廷と呼ばず、ヤマト政権と呼ぶらしい。堺市の仁徳天皇陵は大仙古墳という名前になっていた。聖徳太子や源頼朝の有名な肖像画は前に「伝」という字がついていた。『伝聖徳太子』『伝源頼朝』。要するに、そう言われているが、はっきりしないぞ、ということらしい。我々が習った元寇はは、モンゴル襲来と呼ばれており、2度目の弘安の役はたしかに暴風雨が大きな原因で元軍が退いたが、文永の役は暴風雨が原因ではなくなっている。我々の世代は二度の暴風雨だと習った。島原の乱は、島原・天草一揆に変わっていたし、インドのセポイの反乱はインドの大反乱になっていた。もちろん、東学党の乱も甲午農民戦争である。

これらは、30年間の歴史学会の学術的論争によって変更されてきたものなので、文句を言う筋合いのものではないが、なんか釈然としない。(笑)当時の歴史では正しかったのので、恩師に責任はない。世界史でも、久しぶりに教えていると、人名の読みが変わってるものも多い。うーん、感が狂う。オクタビアヌスと習ったが、オクタウィアヌスになっていたりする。ついつい、古い名で説明してしまう。地理や政治経済は、時代によって、どんどん資料が新しくなるが当然なので平気で認知できるだが、歴史がこんなに変わっていると、やっぱり感が狂うのだ。

これは「教育」というものが、いかに大きな影響を与えているかという事実の確認でもある。我が使命の大きさを再確認させられた本でもあった。

2011年10月17日月曜日

アルーシャに行くべし2

前任校のOGのO君から、21日にタンザニアに旅立つとのメールを受け取った。いやあ、タンザニア・アルーシャ、いいなあ。アルーシャは私が心を残した地である。(昨年2月11日付ブログ参照)学生生活の最後に、アフリカを実際に見に行くという、ある意味勇気ある行動にあらためて拍手を送りたい。

アフリカをひとり旅すると言う事は、自分の力を信じて旅すると言う事でもある。これはどんなところでも同様だが、決して気を抜いてはいけない。特にアフリカでは。貴重品(現金とカードとパスポートやカメラなど金目のモノ)は常に身につける事。たとえ、どんなに仲良くなった友人といっしょでも、気を抜いてはいけない。ドミトリーなど1人部屋でないときは、バッグはいちいち施錠し、シャワーの時はビニール袋(プラスチックバッグと英語では言うらしい。)に貴重品を入れて持っていく。何も失礼なことではない。責任は自己完結するのが当然だ。

我々日本人旅行者は、たとえどんな貧乏旅行をしていようと、現地の人々から見れば、極めて富裕な階層である。私は、アフリカでは時計さえ、関空のオミヤゲ屋で買った2000円くらいの安ものしかつけない。(この習慣は普段の日常でも続いている)カメラなどは、写す時以外は一切見えないようにして持つことを旨にしている。彼らにとって、それらは1カ月の収入に匹敵するモノなのだ。『豊かな者からは得て良い』というのは日本とは全く異なる多くの途上国の文化である。善悪の問題ではない。

必要な時は思い切ってカネを使う。そのカネは、たとえ乞食に与えたものでも、ボラれて損をする買い物でも、タンザニアのGDPを微々たるものだが押し上げると思うべし。それくらいの余裕が欲しい。我々は富める者なのだ。先進国日本の住人としての傲慢ではなく、地球市民としての共生の想いで…。

マラリアには気をつけて。夕方から要注意。足元に十分気をつけること。いつもジーンズで靴下に靴が良い。カヤがなければ、暑くても絶対シュラフ(寝袋)で寝ること。私は、ブルキナでもジンバブエでも、ベッドにシュラフだった。帰国前には、一応薬も買っておくといい。いいお土産になる。(日本では買えない。笑)ボーイスカウトではないが、『そなえよ、常に』だ。水は必ずミネラルウォーター。自分の身は自分で守るしかない。

いろんな危険から自分を守るのは自分だ。それが出来てこそ、自分に自信もできる。自分はこれだけ出来る…と。だが、ふと、疲れたなあと感じたら無理せず休養をとること。これも自分を知るということ。トラ(虎)ブル(命の危険が及ぶほどの問題)は困るが、猫ブル(ちょっとした問題や金で解決できるような問題)は楽めるくらいの余裕が、アフリカでは特に必要。時間の概念は、おそらく狂う。(笑)それもアフリカ。

アフリカの人々の自然な、生きる力を見てきてほしい。今日を生きる、その力強さ。きっと学ぶことがあるはずだ。O君にしか見えないアフリカがあるはず。

キリマンジャロの雄姿を背景に、一生の思い出を作っておいで。

2011年10月16日日曜日

愛車、雨中路上に避難す

工事中の車庫から退避して路上駐車中の愛車
週末から大阪は雨で、今朝がたようやく上がった。金曜日、我が自宅では枚方市の推し進める水洗化の工事が行われていたのだった。これまで山の麓にある我が地域は浄化槽だったのである。工事自体は、浄化槽をクリアーにしてコンクリートを流し込み、すでに工事済みの水洗の共同管につなぐというものらしい。ふーん。

問題は、その間トイレが使用できない事と、浄化槽のある車庫のセメント工事で、車庫が使えなくなることだ。前者は私は学校に行っているので全く問題なし。妻も義姉のところへ退避して問題なしだったらしい。ところが、後者は、前述の雨でえらいことになった。コンクリートの乾く時間がかなり遅くなったのである。自宅近くの路上に駐車せざるを得ないが、その期間がずいぶんと長くなった。

妻はなにかと路上駐車していることを気に病んでいるようだ。張り紙というか、『この車はうちの車で水洗化のためやむを得ず駐車しています。』ということを表示したりしている。このあたり、なかなか段取りが良い。私があまり気に病んでいないことが不思議らしい。「傷つけられたりしたら、いややん。」とは妻の言。私は、その時はその時と思っている。男と女の発想の違いかもしれない。それとも不真面目と真面目?ちなみに、我が愛車は、中古車ながらフォルクスワーゲン社のポロである。

追記:本日、前任校の国語科2年生がキノコ先生を団長として北京へ旅立ちました。王さん・劉さんと、楽しい5日間を過ごすことを心より念願しています。祈・晴天・無事故。

2011年10月15日土曜日

ウガンダにアメリカ軍派遣

ウガンダの忘れられた紛争(8月3日付ブログ参照)解決のためにアメリカ軍が派遣されるというニュースが流れた。人数は100人だというが、グリーンベレーだという情報もある。イラクやアフガンからアメリカ軍は撤退する今何故?という感じだが、おそらく南スーダンの石油権益やコンゴ民主共和国の紛争鉱物であるレアメタルの確保を睨んでの派遣と見るのが妥当だろうと思う。私は、アメリカは嫌いではないし、ことさら批判する気もないが、国益を無視した軍の派遣はありえないと思っている。

ウガンダだけでなく、コンゴ民主共和国や南スーダン、中央アフリカ共和国にも各国政府の賛同が得られれば駐留するという。それほど、この地域がそれくらい世界的に重要な地域になったのだということだろう。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-23643720111015?feedType=RSS&feedName=worldNews

これまで、アフリカの紛争の多くはほっておかれた感がある。今、というのはアメリカの世界戦略上のタイミングであるとともに、平和学で言う紛争の長期化で厭戦気分が生まれつつあるからかもしれない。あるいは、経済格差へのデモが続く中、オバマ大統領の人気回復のための方策かもしれない。

ここでまた私は、うーん。と、一人つっこみをするしかないのである。

2011年10月14日金曜日

秋はブタクサ…

秋はブタクサ…ゲホゲホ
このところ、花粉症に悩まされている。秋はブタクサ。…鼻にくる。鼻が詰まって、口呼吸するからか、咳き込むこともしばしばである。なかなか苦しい。妻は鼻だけでなく目にもきているらしい。
私の住んでいるところは、つい最近まで鳥獣保護区の看板があったりして、自然が豊かだ。鳥の鳴き声で目を覚ますこともある。なかなか環境はいいのだが、きっとどこかにブタクサも潜んでいるに違いない。

というわけで、最近授業をするのに、ミネラルウォーター持参という、えげつない状況が生まれている。悲しいかな、社会科教師は講義することが多い。50分間、ほぼしゃべり続けである。花粉症が結局喉にくるのだ。咳き込んだり、声がかれたりする。ゲボゲホ。今日も、3時間の授業をした後、放課後は生徒の希望もあって、世界史の補習をしていた。昨日は、進学希望の生徒のための補習をしていた。毎日4時間くらいはしゃべり続けているのである。ゲホゲホ。

と、突然話題を変える。今日モーニングで、またまた日経を読んでいた。スポーツ欄に面白いコラムが載っていた。うろ覚えだが、内容を記しておきたい。沢木耕太郎の「ワシ」の話から始まる。たしか『バーボンストリート』に書かれている話だったと思うのだが、よくスポーツ新聞などのインタヴューで、「私」や「僕」と言っているにもかかわらず「ワシ」と表現する場合があると、沢木耕太郎は書いている。相撲取りやベテランの野球選手などが「ワシ」にされた。コラムニストは、そのエッセイを読んで感銘を受けたという。たしかに、そういうイメージが作られると、面白い記事になる。しかし、インタヴューというのは、正確に内容を伝える必要がある。だから、うまい相槌をうつように先輩にしごかれたものだ、と。ところが、最近は、インタヴューすると、本人が自ら「ウン」と相槌をうつ事が増えたという。「そうですねえ、今日は調子良かったですよね。ウン。」と言った感じだ。

インタヴューの相槌は、する方がうつのが自然だ。何故本人が自分で相槌をうつのか。日経のスポーツ・コラムニストは、ブログやツイッターなど、一方的に発信する機会が増えたからではないかと推測する。

なるほど。するどい指摘だ。そういえば、私もブログで1人つっこみをしていることもある。上記の「ゲホゲホ」など、その典型である。いやいや、大阪人としては「1人ボケ」かもしれない。

追記:先日(10月11日付ブログ参照)、前任校の美術部の部長にお願いした王さん・劉さんへの色紙が完成し、国際交流部の先生に手渡したとのメールを夕方受け取った。本当にありがとう。嬉しいなあ。こういう気持ちの輪が地球市民の育成につながると私は思うのである。中間考査や受験勉強で忙しい中、協力してくれた国語科3年生の諸君に感謝したい。重ねて、…ありがとう。

2011年10月13日木曜日

ブルキナで買った薬の話

先日、社会科準備室に白地図を探しに行った。前任校からの莫大な荷物の多くは段ボールに入ったままである。ガサゴソとやっていると、ブルキナファソのワガドゥグで買った薬が出てきた。帰国の直前に、グランマルシェに行って、買い物をした。その時、荒熊さんに通訳していただいて、買ったものだ。記録には残っていないが、だいぶ高かったはずだ。万が一のためと、モノ・ランゲージ(日本では見ることのない現地のモノを使って行う参加型学習)の教材として買ったのである。

もうお分かりだと思う。マラリアの薬である。正確には、予防薬だが、罹患した後に呑んでもきくらしい。アフリカに行くと、マラリアの話が多い。ケニアでもよく聞いた。ナイロビは高地にあるので問題なかったが、ナクル国立公園では、生まれて初めて蚊帳つきのベッドで寝た。もちろん、マラリアを媒介するハマダラ蚊から身を守るためである。意外な話だが、このハマダラ蚊、夕方からしか活動しないと聞いた。また刺すのは、足首から下。人間もたいしたものである。刺されるごとに免疫が強くなるそうで、ブルキナではIさんが、「12回かかればもうだいじょうぶ。」と凄いことを言っておられた。

そもそも、このマラリア、ウィルスではなく寄生虫である。ウィキペディアを読んでいると気が遠くなる。肝臓で増殖して、血液に乗っていくのだ。かなりやばい奴である。幸い、私はマラリアにはならなかった。荒熊さんも何度か帰国後にマラリアに悩ませられたようで、プリンを食べるといいとか。(笑)Iさんは、40℃を超える猛暑の中で井戸を掘っていて、マラリアになったことがわからなかったとか…。聞くと面白いが、ホントにかかると大変なのだ。

当然死に到ることもある。ウィキペディアの最後に、マラリアで死んだ有名人として以下のような人物が載っていた。アレクサンドロス大王。平清盛。ダンテ。クロムウェル。そしてツタンカーメン。…なるほど。これは授業で使えるなあ。

2011年10月12日水曜日

タジキスタン戦に思う

W杯アジア三次予選のタジキスタン戦を、昨日TVで観戦していた。勝つとは思っていたけれど、ボコボコとシュートが決まって、結局8対0で勝ったわけだが、うーん。あまりにタジキスタンと差がありすぎたように感じたのは私だけではないだろう。

だが、私が一番感じたのは、タジキスタンが汚いファールを全くしなかったことだ。普通、あんなに技術の差があったら、自棄になってファールをするものだが、それ以上に差があったのか、彼らが紳士だったのか。とにかく、私はそこが気持ちがよかった。

あんな勝ち試合において、一番怖いのは怪我だ。よく屈辱的な敗北にも関わらず、自棄にならなかった彼らを褒め称えたい。そういう意味で私は、タジキスタンにも拍手を送りたいと思うのだ。

国際Aマッチは、サッカーという舞台での国同士のまさに戦争の感がある。体格や技術を超えたお国柄が出てくることもある。私は、アジアチャンピオンである日本に謙虚に真摯に、そしてクリーンに対したタジキスタンという国に、ちょっと好感をもったのだった。

2011年10月11日火曜日

王さん・劉さんへの手紙

劉さん・王さん
前任校の国語科2年生の中国修学旅行は、次の日曜日に出発する。今年も中青旅の王さん・劉さんに現地ガイドをお願いする手はずになっている。私の前任校・国際交流部での最後の仕事が中国修学旅行の様々な事務処理だった。転勤したとはいえ、やはり気になる。以前このブログでも書いた(昨年10月21日~26日)ように、今年で4年連続お世話になる。おそらく多くの観光客の世話をされていると思うが、前任校の修学旅行は特別な思いで頑張ってくれている。私としては、この思いに答えたいし、気分良く仕事をしてもらいたいと念願している。昨年度は、3年生に1年前のお礼の手紙を何人かに書いてもらった。今年もなんとかしたいと、前任校に連絡をとったら、私が引き継ぎしたとおり国際交流部長のY先生がその旨を連絡してくれていたようだ。ありがたいことである。良く知っている美術部の部長にメールしたら、みんなで色紙を用意しますとの返事。ありがたいなあ。中間考査中だと思うのだけれど、無理しないでよろしくお願いしたい。

私も、王さん・劉さんお二人に昨日手紙を書いた。団長として中国に行くキノコ先生(3月30日付ブログ参照:教頭先生である。笑)宛に今朝、逓送便で送付した。北京空港に着いたら渡してもらおうと思っている。きっと、手紙を見たら、ニコッと笑って、「よしっ!今年も!」と思ってくれるはずだ。

ところで、先日、本校の特別活動部のO部長と話していたら、こんな事を言われた。「先生は、生徒に気持ち良く仕事をさせますよねえ。私など(体育の先生なのだ)、言いたいことを言って気分を害させて仕事をさせるので、感心しているんですよ。」うーん。特別無理してやっているわけではないが、そういう配慮はいつも心がけている。自然と、そういうスタンスをとっている。これは私の教師としてというより、人間としての基本姿勢なのだと思う。

なぎなた部 国体も優勝

いやあ、凄いのである。本校のなぎなた部の誇るH姉妹と他校の生徒の3人組で大阪選抜として出場した山口国体。H姉妹の大活躍で、1回戦は北海道、2回戦は大分、準々決勝は山梨、準決勝は沖縄、そして決勝は奈良に勝って結局優勝してしまったのだった。このH姉妹、ほんと凄いのである。なぎなた部としては、2年ぶり3回目の国体優勝なのだそうだ。
詳細は
http://www.kirokukensaku.com/choruru2011/kokutai_index.html

本校の玄関正面にある垂れ幕は、「祝 国体出場」で、柔道部やソフトテニス部との連名から、さっそく「祝 国体 優勝 なぎなた部」に変わった。(笑)いやあ、おめでとう。

2011年10月10日月曜日

大きな時代の綻びという感覚

今、大きな時代の綻びの真っただ中に入る、という感覚がある。1989年のベルリンの壁が崩壊した時もそうだったし、2001年9.11の時のバックス・アメリカーナ終焉の時もそうだった。今回は1つの事件ではなく、様々問題の露呈というカタチでだが…。

EUのユーロ危機が最も大きい。そもそも独仏の二度と戦争を起こさないとの思いがベネルクス三国を巻き込んで経済連合を組んだところから始まったEU。アメリカに対抗して、ヨーロッパの威信を取り戻そうと無理したのか、ロシアと中欧・東欧分離を目指したのか、拡大に次ぐ拡大に走った。新自由主義的なグローバリゼーションの波。ユーロの砦に我も我もヨーロッパ諸国が駆け込んだ。しかしその拡大が首を絞めた感じ。ギリシアの負の遺産を負担する可能性が高いドイツ人が、「ギリシアはヨーロッパではない。」と言ったらしい。ヨーロッパ文化の源流をそう言うくらい、苛立っているのだろう。大勢はユーロ維持・ギリシア支援だが、わからないでもない。

一方、アメリカでもテーパーティーという保守的な共和党勢力が勢いを増したかと思うと、ウォール街を始めとした多くの地域で拝金主義批判のデモが起こっている。一般的な人々のフツーのアメリカン・ドリームの崩壊。新自由主義の拝金主義へのはっきりとしたNO。

アラブの春を、通信機器の発達が後押しした。こう書くとなんだか格好いいが、その根底にあるのは若者を中心とした失業という現実である。日本でも、大震災による原発事故が、国家や大企業の信頼を大きく揺さぶった。あれほど盛り上がっていたTPP参加に対しても、ここにきて急速にしぼんでいるように私は感じる。

皆が共有していた、なにか大事な価値観の崩壊。EUの大義。アメリカンドリーム。アラブ世界のオリエント的な政治感覚。国と企業の技術も優秀と言う日本ブランド。それは、新自由主義とグローバリゼーションの限界と大きく関連しているように思われるのだ。

新しい時代をリードする経済思想が今求められている。大きな政府でも小さな政府でもない、新しい価値観の政府が求められている。私の感性が、「世界が新しい時代を希求しているぞう。」と叫んでいる。この答えが出るまでは、だいぶかかりそうだ。

2011年10月9日日曜日

妻の快気祝いで大食いした日

妻は術後の経過も良く、元気である。今日はH城鍼灸院の先生方と快気祝いの食事会だった。帰国している息子も「レンコン料理」と聞いて急遽参加することになった。昼過ぎに我々の治療を終えて、枚方のダウンタウンに車で向かった。あるビルの地下1Fにある「レンコン料理専門店」。ここで、私と若手のS先生以外の3人はレンコン焼酎やビールで乾杯。私は、車の運転があるのでいつも飲まない。まあ、あまり酒が好きではないので平気だ。(笑)S先生はこのところアルコールを飲むとアレルギーが出るらしい。
「レンコン料理」はすこぶる美味であった。純粋なる日本料理。レンコン鍋をメインに様々なレンコン料理が並んでいて大満足だった。妻は、手術で胆のうを切除した関係で術後は食が細くなった。(特に脂っこいものは消化できないのでダメである。)結局、鍋を私は二人前食べることになった。その後、レンコンのピザやチジミなども食べたし、レンコンのおこわも食べた。いやあ、上手かった。

ところで、息子が帰国に際して「日本食が食べたい」とメールしてきたことをH城先生が知っていて、「どんなものを食べたいんですか?」と質問した。「えーと。お好み焼きとか…。」「門真に無茶苦茶おいしい店があります。行きましょう。」ということになった。げげげっ。私は腹十二分目くらい。まさかそんなことになると想定していなかったので、飲めないS先生とガンガン食べていたのだった。

結局、163号線ぞいの店へ車で移動することになった。H城先生の奥さんや子供たちも来て、ワイワイ言いながらお好み焼きを食することになったのだった。腹十二分目+さらに五分目くらい。お好み焼きは大好きだが、別腹ではないことがわかった。こんなに大食いしたのは久しぶりである。明日は三連休の最終日だから、一日を消化のために費やそうと思っている。

2011年10月8日土曜日

大阪のおばちゃんは健全だ

どうしてもこの問題に触れざるをえない。大阪の教育問題である。先日も、知事と教育委員の意見交換が行われた。知事の「保護者の感覚が届き切っていない」「選挙で通った維新メンバーの主張こそが普通の庶民感覚」という発言。私はもうバカバカしくて論破する気にもなれないが、教育委員のみなさんがガンガンに反論してくれた。以下は読売新聞のWEB記事。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111007-OYO1T00902.htm?from=top
さすがは、早大出である。ディベートはうまいかもしれないが、結局自己破たんしている。教育委員に、気に入らないなら対案を出せと反駁しながら、対案が出ても条例の白紙撤回はしないとのこと。どっかの早大出のオウム真理教のオトコそっくりだ。

一方で、こんなWEBニュースもある。支持率急落のニュースである。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110930-00000302-playboyz-pol
大阪人の民意は、健全だと思った。おばちゃんたちはこう言いている。

「平松さんに投票するわ。人気ぶりにあぐらをかいてるせいか態度がえらそうやし言うてることが傲慢」「好き放題やりすぎとちゃうか。最近『オレがオレが』になってきてるな。」

もとはと言えば、茶髪にサングラスの弁護士として、芸能界に出てきた人間である。それが一度握った権力をたてに、大阪の教育を破壊しようとしている。法律家なら、教育の中立を順守するのが当然であろう。傲慢で、「オレがオレが」で偉そうに、なのは、大阪人が最も嫌うところだ。

2011年10月7日金曜日

リベリア大統領にノーベル平和賞

サーリーフ大統領とクリントン国務長官(国旗も似ている)
リベリアの女性大統領で、内戦を乗り越え、同国を立て直したサーリーフ大統領にノーベル平和賞が贈られることになった。なかなかいい人選である。彼女が大統領になるまで、まさにリベリアは少年兵の悲劇で有名な国になってしまっていた。アフリカの開発経済学の統計資料は、まだ古いものもあって、2000年くらいのものもある。その頃の資料にはリベリアのものはない。統計どころではなかったのだ。そんなリベリアに2005年から大統領として頑張ってきているサーリーフ女史には、先日逝去したマータイさんのような聡明で強いアフリカ女性の理想を見ることができる。

ところで、リベリアはサブ・サハラ=アフリカでも特異な存在である。そもそも、アメリカが黒人奴隷解放とリンクして建国した国で、先住の民族がいるところへ奴隷だったコンゴ系の黒人を送り込んだのだ。彼らアメリゴ・ライベリアンは、アメリカのバックアップを受け、先住の民族を差別しつつ支配してきたのだ。首都名のモンロビアも合衆国第五代大統領の名をとっており、まさに孤立主義的に独立(単に植民地というカテゴリーに語彙的に入らなかったといえる。)していたし、リバティ(自由)という国名の由来そのものも偽善に満ちていた国なのだ。リベリアと言えば、便宜置籍船国で有名(パナマに次ぐ)だが、第二次世界大戦の時、アメリカがイギリスに兵站輸送するために、同型の輸送船を大量生産し、戦後、処置に困ったアメリカがリベリアにお古として与えたところに由来する。まあ、実質的にアメリカの植民地というか、属国というか…。要するにアメリカの影が消えないのである。(個人的に私はアメリカは好きだが、客観的に見るとそうなる。)

特に、このアメリゴ・ライベリアンと先住民族との争いも第一次内乱に大きな影響を与えたし、シエラレオネとの国境沿いのダイヤモンド争奪という天然資源の罠、紛争の罠、そして悪しきガバナンスの罠に見事にはまった国だったのだ。

しかし、サーリーフ女史が大統領になってからは見事に復活した。彼女の良きガバナンスによって立ち直ったのだ。この業績は十分ノーベル平和賞に値すると私は思う。

リベリアに関する資料:

2011年10月6日木曜日

デモクレイジーの授業

チャドの大統領
3年生の政治経済でアフリカ開発経済学をやっている。3年生は『祭りのあと』状態で、このところ覇気がない。即身成仏する生徒も多くなった。(笑)今日から、ポールコリアーの4つの罠の話になる。テキストでは、紛争の罠から始めることになっているのだが、「天然資源の罠」の話から始めることにした。天然資源とは何か?石油やダイヤモンドなど鉱産資源だけでなく、木材などの資源も含まれる。問題はその利益・レントである。レントを開発のためにうまく使っている国の話もした。ボツワナである。だが多くのサブ・サハラ=アフリカ諸国では、このレントの使い方に問題がある。で、デモクレイジーのシミユレーションの授業を行った。本校の男子は元気なので、すぐ逸脱するのであるが、その元気を利用したい。
列ごとに、エスニックグループとする。元気な男子を選んで、大統領候補とし、様々な質問を行うのである。(詳細は常設ページのテキストのP36から37参照)前任校では、まず女子が多いので、どうしても優しい反応になってしまい、うまくいかなかった。その辺、男子は遠慮がない。
Q1:レントを持ってる。大統領になるため、多数派工作はどうする?
A1:派手に金をばら撒きます。(笑)正解。
Q2:外務大臣や財務大臣などは誰にする?
A2:親せきにさせます。他は信用できない。(笑)正解。
Q3:その他の政府の役人は?
A3:自分のエスニックグループにします。他は信用できない。(笑)正解。
Q4:政府軍は誰に?
A4:自分のエスニックグループでまかないます。(笑)正解。
Q5:大統領選挙になった。勝つためにどうする?
A5:対立候補を暗殺します。(いきなり?!)
Q6:最後の手段やろ。他には?
A6:うーん。(他のメンバーが「捕まえたらええやん。」)正解。別件逮捕。
Q7:マスコミとかが批判しだした。どうする?
A7:暗殺します。(またまた過激である。)
Q8:先進国が批判しだした。どうする?
A8:うーん。(これは難しかったようだ。正解は経済的な餌をまく。)
Q9:大統領選挙に負けてしまった。どうする?
A9:うーん。暗殺します。(笑)もう無茶苦茶である。

しかし、デモクレイジーの本質はついている。みんなでワイワイ討論していた。こういう授業はやはり元気のある男子がいると盛り上がるのである。

追記:NHKの『セカイでニホンGO!』を隣で見ていた息子が、某アラブ諸国の大使館の人が出てきて、びっくりしていた。友人らしい。「彼はタジキスタン人やで。」ふーん。

2011年10月5日水曜日

『アフリカの死んだ心臓』 チャド

幻冬舎新書の新刊『世界の独裁者ー現代最凶の20人』(六辻彰二)を読んでいる。新聞で広告を見た時、サブ・サハラ=アフリカの指導者が多いだろうと予測できたが、20人中8人を占めていた。目次に従って書き留めてみると、ムガベ(ジンバブエ)、バシール(スーダン)、アフォルキ(エリトリア)、ンゲマ(赤道ギニア)、ゼナウィ(エチオピア)、デビー(チャド)、ムスワティ3世(スワジランド)、ビヤ(カメルーン)となる。
ムガベやンゲマ、ムスワティ3世の事は、このブログでも取り上げたことがあるので、今日はこの中から、「アフリカの死んだ心臓」と呼ばれるチャドのイドリス・デビーについて書かれた個所を中に紹介したい。チャドは、アラル海とともに砂漠化の進展で面積が激減したチャド湖で知られるアフリカ中央部の内陸国である。2009年のHDIは、175位/182カ国である。詳細は以下のPDFファイルをご覧いただきたい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/10_databook/pdfs/05-29.pdf

チャドは、クーデターの内戦の連続であった。1990年までに7人の国家元首が生まれては殺害されるか亡命してきた。北部には、イスラム教徒が多く、南部にはキリスト教徒が多いという宗教分布。多彩なエスニックグループ。カダフィのリビア、スーダンのダルフールとも接し、天然資源の罠という側面から見れば、北部でウラン、南部で石油資源がある。まあ、見事に紛争の罠にはまるパターンである。ここに、宗主国フランスとの関わりも出てくる。

このようなチャドにあって、イドリス・デビーは、北東部で牛飼いの息子として生まれ、首都ンジャメナの士官学校卒業後、フランスに留学、76年にパイロットとして帰国した。出自はともかく優秀なエリートだったことは確かだ。紆余曲折があって、ある時は親リビア、ある時はスーダンに潜伏、親フランス派として石油をカメルーン経由のパイプラインで輸出すると思えば、アメリカに石油開発を開放したりして、超現実主義的に立ちふるまっているのだった。カダフィが失権し、スーダンも国際的非難を受けており、フランスもアメリカも急速に力を落としている。そうなれば毀誉褒貶の塊のような独裁者であるデビーが、どこまで権力を維持できるのか、はなはだ不安定である。

問題は、彼が失権する云々ということよりも、チャドの政府の腐敗度が世界有数であること、世界銀行等からの融資にあたって、透明性を高めるように回答しながらも、貧困撲滅のための開発にレント(石油やウランによる利益)をなかなか回さない、典型的なアフリカの悪いガバナンスであることである。まさに、ポール・コリアーの指摘する四つの罠の典型であるといってよい。選挙の状況も、デモクレイジーそのものである。

まさに暗澹となる話なのだ。『アフリカの死んだ心臓』とは、ちょっとブラックだが、アフリカ中央部に位置する独裁者デビーの国をうまく表したコピーだなと思う。チャドの罪のない人々が豊かな生活を送れるように、願わずにはおれない。

追記1:山口国体に大阪代表として出場していた柔道部のF君は団体戦中堅として頑張ってくれたようだ。3回戦まで進出したが、埼玉県に敗れたとか。大学は柔道の名門T大学に進むという。さらに夢を追いかけて欲しい。
追記2:本日、息子がイスラエルより帰国してきた。なにかと所用があるらしい。いっぺんに賑やかになった。
追記3:先日(10月1日付ブログ参照)書いた総合的学習の時間であるが、予定どおり世界地図を描いてみるというアクティヴィティをやってみた。”笑っていいとも”風に、順番に生徒の書いたヒドイ世界地図にバッテンを付けてみた。1枚だけなかなか良い地図もあって、三重丸をつけた。大いに盛り上がったのであった。(笑)

2011年10月4日火曜日

幕末・維新の人物のMY通信簿

昨日のブログで、ローマの政治家の通信簿の話を書いた。イタリアの歴史教科書の5項目をもとに塩野七生さんが採点したものだ。ちょっと遊び心で幕末・明治維新に関わる人物を私なりに採点してみようかという気持ちになった。おそらく、様々な意見があると思うので、コメントしていただければ幸い。

まず5項目のおさらい。知力・説得力・肉体上の耐久力・自己統御の能力・持続する意思である。人物の順に関してはあまり意味はない。

西郷隆盛 70・100・60・90・90
大久保利通 100・85・90・100・100
小松帯刀 80・80・40・80・80
桐野利秋 30・50・90・40・80
島津斉彬 100・85・50・85・100 
島津久光 40・40・60・30・50
吉田松陰 90・90・50・100・100
桂小五郎 70・70・90・90・70
高杉晋作 85・90・40・60・100
大村益次郎 100・30・50・100・100
伊藤博文 70・60・90・70・90
山縣有朋 70・50・95・80・100
井上馨 50・50・70・30・50   
山内容堂 85・50・60・30・50
後藤象二郎 60・50・60・40・30
坂本龍馬 100・100・40・90・100
中岡慎太郎 50・60・40・90・80
武市半平太 80・80・40・100・90
板垣退助 70・70・70・60・80
江藤新平 85・60・50・50・70
大隈重信 80・70・80・60・70
松平容保 60・60・70・100・90
徳川斉昭 80・50・90・60・90
松平春嶽 70・55・80・90・60
橋本左内 100・90・40・50・80
徳川慶喜 100・90・90・100・60
勝海舟 100・90・90・70・80
榎本武揚 70・60・70・65・50
近藤勇 50・50・50・60・60
土方歳三 65・65・60・85・65
清河八郎 70・75・60・50・50
山岡鉄舟 65・90・80・100・60
岩倉具視 100・100・75・100・90
三条実美 50・35・50・35・35
河井継之助 80・75・70・100・90

各人の理由を書きだすと、無茶苦茶長くなるので、私が高い評価をする人物を上げると、やはりNO1は、大久保利通になる。説得力は西郷にゆずるとしても、構想力、実行力など維新後の新政府で殖産興業路線まで引いたところがやはり凄い。久光に『碁』から近づくところなど、権力を得るためあらゆる策謀をめぐらす凄みがある。凄みがあると言えば、やはり岩倉具視。日本史上超一級の政治家だと思う。もし島津斉彬が長生きしていればやはり凄い人物だし、坂本龍馬も暗殺されなかったら当然高評価になる。私は案外徳川慶喜に高評価をしている。(山岡荘八の影響である。)そして、もちろん私が一番好きな勝海舟も当然高評価になる。

さて、みなさんのご意見はいかがでしょうか。

2011年10月3日月曜日

「ローマから日本が見える」を読む

このところ、イベントで疲れていたのか通勤電車内の読書時間が半減した。長らく書評も書いていないので、そろそろ書こうと思う。塩野七生さんの『ローマから日本が見える』という文庫本である。かなり古い本(2005年集英社より発刊・文庫本は2008年秋の発行である。)である。
この本、ローマ史を語る上で、極めて有為な本であるが、少なくともローマ史の基礎を学んでいないと、全く面白くないと思う。簡単なローマ史の復習をされてから読むのがいい。幸い、私は授業のためにウン年ぶりにローマ史をやりなおした直後なので、ラッキーだった。

ローマを理解するうえで重要なキーワードが出てくる。今回の授業では、この本から、3点挙げた。①ローマは、共和制を何よりも重要な国是としていること。②ローマの貴族と平民の関係。パトロンの語源となった貴族を意味するパトローネスが全てを物語っている。貴族に様々な相談や陳情をする平民は、クライアントの語源となったクリエンテスと呼ばれた。貴族と平民の対立が激化しなかったのは、貴族のノーブレス・オブリージュ(エリートとしての責務)の気概とともに義理人情という関係が構築されていたこと。③ラテン同盟など、ローマの支配の仕方、組織の仕方が上手かったこと。

これをきちっと示したうえで、ローマ史を見るとよくわかるのである。特にポエニ戦争から内乱の一世紀、カエサルの暗殺に至る部分は、これらのキーワードで解説が可能である。なぜポエニ戦争でハンニバルは少数の軍隊でアルプス越えをしてきたのか。③のラテン同盟の結びつきを軽く見ていたようである。裏切る同盟国が続出すると見ていたようだ。しかし、ローマは上手かった。16年の長きにわたった第二次ポエニ戦争でついにハンニバルは勝てなかった。
ポエニ戦争で、属州が誕生し、属州からの食糧供給が、ローマ市民である中小農民の没落をまねくが、なぜ彼らは遊民化したのか。②の貴族と平民の関係が重要である。しかも農地を貴族に手放し、奴隷経済の雄たる大農地経営へと発展する。パンとサーカスという遊民化も②の理解上にある。
カエサルの暗殺は、①の共和制への危機を感じた元老院のブルータスらの思慮の浅さだといえる。後継者のアウグストゥスは①への敬意を表しながら独裁制へとうまく移行する。

ローマ史は長い。組織のシステムをその時代に合わせてメンテナンスしながら生き延びていく。この辺に著者の熱い思いがあるようである。これを時折日本に当てはめて語る部分が、この本にはある。それがまた面白い。歴史を学ぶ面白さは、ここにあると私も思う。

この本の最後に、イタリアの普通高校で使われている歴史教科書にあるコトバが載せられている。「指導者に求められる資質は、次の五つである。知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意思。カエサルだけが、この全てをもっていた。」決断力、実行力、判断力などという日本のビジネス誌に出てくる資質は指導者にあって当然なので全く触れられていないそうだ。
この五つの資質から、塩野七生さんによるローマの指導者の通信簿が書かれている。全て100なのは、カエサルと、ギリシアのペリクレスのみ。(笑)面白いのは、グラックス兄弟が90・90・60・70・100と好評価なこと。二人とも暗殺や自殺に追い込まれるのだが、彼らのローマへの熱い思いがカエサルへと繋がるところが好評価の意味らしい。これに対するマリウス将軍は60・70・100・45・50と低い。ブルータスなど30・20・100・20・60、カリグラ帝は20・20・30・10・10とボロクソである。最後に、アウグスウトゥスは95・80・85・100・100と後世の評価とは違って案外低い。カエサルの引いた設計図を着実に実行した故のオリジナリティの無さ故だとか。なるほど。

なかなか面白い一冊であった。

追記:25人目の新しい読者、”けんいちい”さん登録ありがとうございます。ブログを拝見したところかなりの読書家の方とお見受けしました。忌憚のないコメントをよろしくお願いします。

2011年10月2日日曜日

アフリカの日本製バイク

ホンダの5万円バイク
ブルキナに滞在していた時のことである。JICAの専門家の方々と、Iさんのところで、焼き肉パーティーをしてもらった時、他のフランス語圏の西アフリカ諸国とブルキナの相違について盛り上がった。「いやぁ、ブルキナって、女性も原付運転するんですねえ。ニジェールやセネガルじゃ考えられないですよ。」「イスラムが盛んな国にしては、自由ですよね。」そうなのだ。ブルキナはイスラム教も盛んでモスクも多いし、スカーフをしている女性も多い。だが、バンバン、原付に二人乗りしていたりする。イスラム研究者の息子に言わせれば「田舎のイスラム」ということになる。サウジで女性の運転に対してムチ打ち刑が行われたというニュースに接すると、割合いいかげんなんだと私も思う。

ブルキナで自動車は当然高根の花である。庶民は走っているのが不思議なベンツのタクシー(フロントガラスにヒビが入っていたり、ドアが内側から閉まらなかったり、シートが腐っていたりする。)を相乗りで利用していた。その上のレベルがバイクを所有していたみたいだ。中国製のバイクが多かった。ホンダやヤマハの広告看板もあるが、日本製のバイクを所有しているというのは、大きなステータスだと聞いた。中国製のバイクは、日本製よりかなり安いともと聞いた。すぐ故障する、とも。

さて、そのアフリカでは大きなステータスである日本製バイク。ホンダがナイジェリアで5万円で販売を開始するらしい。中国の部品を使い、現地で組み立てるという。アフリカの工業の現地雇用が生まれるのはいいことだ。メンテナンスなどの必要性から、機械工業の集積化が進むかもしれない。
しかしながら、ホンダというブランドのステイタスが低下する可能性もある。日本製という金看板は、諸刃の剣であるが、私は大事にして欲しいとも思うのだ。

ホンダのアフリカでの安いバイク販売を伝えるニュース:
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110929/biz11092919020024-n1.htm

TVのCM(もちろんブルキナでの話)で、安い中国製バイク「皇帝」はバンバン宣伝されていた。
シーン1:赤い田舎道を颯爽と走る「皇帝」。
シーン2:かわいい娘さんが、弟たちのボール遊び(サッカー)を見ながら、売り物の果物を道端に並べている。
シーン3:(もう展開が読めてしまうが…)子供たちのボールが、娘の果物にあたってしまい、道にころがる。
シーン4:急ブレーキで泊まる「皇帝」。
シーン5:ヘルメットを脱ぎ、イケメンの彼が、やさしく果物を娘に手渡す。微笑む娘。
シーン6:子供たちや娘が手を振る姿をバックに、再び爆走する「皇帝」。

大阪弁で『くさい』(演出が大げさで、格好悪いという意味)CMで、何回見ても笑えた。ホンダにお願いしたい。ナイジェリアで販売する時は、「皇帝」よりはるかにおしゃれなCMを、現地依頼して作って欲しいものだ。(笑)

ラグビーの試合に行ってきた2

1学期のシード校を選抜するリーグ戦で不本意な戦いを強いられた本校のラグビー部。数年ぶりと言う屈辱のブロック予選(3校でのリーグ戦)からの大阪府予選参加であった。これをなんなくクリアして、いよいよ本予選である。相手は、府立S高校。なんと予選会場校で、完全アウェーである。しかも、驚いたのは、府立高校なのに人工芝のグランドだったのだ。こりゃあ、なかなか強そうだ。

さてさて、今度こそ勝ってほしい。保護者の方や3年の元野球部(我がセレモニーの司会の生徒たち)ら友人も応援に駆けつけていた。ちなみに本校事務職員のYさんは若いころラグビーをやっておられたそうで、今日も応援に駆けつけておられた。横でいろいろ解説していただいた。ラグビーという競技の『磁力』は大きい。

さて、前半。さっそくS高校のトライが決まってしまった。あちゃー。2番のフォワード、でかいのに俊敏である。彼にやられてしまった。ところが、本校も負けず、トライ。初めて見たのだった。(前回見たD高校戦は、完封されたのだった。4月17日ブログ参照)その後、トライを取って取られてという展開になった。ゴールキックも両校2回ずつ決まっただけで、24対24同点のまま残り8分となった。

どっちかがトライして終わるだろうという、ドキドキするような状況になった。トライ数は全く同じなので引き分けなら、ラグビーのルールに従ってくじ引きになってしまう。ここでは、是非とも決めてもらいたい。陣取り合戦はややS高校有利である。しかし、ここで一気に本校バックスが頑張った。ラックから激しいボールの奪い合いに勝ち、右サイドにトライを決めたのだった!

本校の陣営は大騒ぎだ。私も大騒ぎした。結局ゴールキックは決まらず、ここでノーサイドとなった。

29対24で接戦をものにしたのだった。いやあ、いいなあ。ラグビー。このところ、私が見た本校の運動部の試合はこれで2連勝だ。勝利の女神が私に義理だてしてくれているようである。(笑)

2011年10月1日土曜日

総合的学習の時間 後半戦

ドラクエ3の世界地図
本校の団活動は、主に総合的学習の時間(水曜日の5時限目)を利用していた。体育祭の団アピールの練習や、文化祭の打ち合わせ・準備などを団単位でやってきたわけだ。そのイベントが終わったので、さっそく来週の水曜日からは別メニューの総合的学習の時間が始まる。要するに前半期と後半期で総合的学習の時間を機能的に分けているのだった。こういう本校の合理性に、私はなかなか感心した。

さて、その使い方であるが、私が担当するのは、2年生対象の世界史講座である。週2時間世界史Bをやっている関係で私が担当に決まった。といっても『世界史を理解するための地理トレーニング』という内容に、社会科会で了承を得て変更させてもらった。世界史の理解のためには、地理の基礎的な知識がどうしても必要である。

「ゆとり教育」に対して、私は若干批判的である。高校の社会科教師としては、あまりに基礎的な知識の習得がなされていないと強く感じているからだ。これは進学校だった前任校でも同じだった。ヨーロッパの国名で、ドイツ・フランス・イタリア・イギリスくらいは、まあ認識できるが、北欧や東欧になると厳しい。ベネルクス三国も厳しい。アジアなど中国とインドがせいぜい。こんな状況で世界史をやると、私の講義は宇宙語になるのである。(笑)
これは生徒の勉強不足だけでなく、小学校・中学校の地理の教え方に大きな問題があるのではないかと思う。私が小学生のころは、日本地理を無理やり叩き込まれた。県名や県庁所在地は当然のこと、山脈や岬、川などほぼ暗記させられた。私は幸い地理大好き少年だったので小学校時代、世界の国名と首都をほぼマスターしていたから、中学は楽勝だった。(ただ、その時覚えた中国の都市名はほぼカタカナ中国語読みに現在変わっており、大変困っている。)ところが、今の高校生はそういう暗記の修羅場をくぐっていない。九九といっしょなのだが…。大学入試は、ゆとり教育だからと遠慮してくれるわけもなく、高校の現場で追いつめられて苦しむ羽目になる。

私は、意味付けのない暗記は苦しいと思う。面白い、覚えたいというスタンスが必要だと思っている。まあ、理想論かもしれないのだが…。その理想論を今回の総合的な学習の時間でやろうと思っている。まずは、何も見ないで、「世界地図」を描かせてみようと思っている。どんな世界地図ができるか。楽しみである。それを黒板に張り出してコンクールをしてみようか、と思っている。そう、『笑っていいともの書道のコーナー』みたいに、赤マジックでペケや二重丸を入れてみようか。(笑)楽しくやりたいと思う。

新コンゴ大使はJOCV出身

9月30日付けの毎日新聞の『ひと』の欄に、JOCV(青年海外協力隊)OBで初の特命全権大使となった冨永純正(よしまさ)氏の紹介記事が載っていた。以下は、私の抄訳。

61歳で10月初旬にコンゴ民主共和国に赴任する。「大使館に閉じこもっているつもりはない。どんどん地方に出向いて草の根、現場主義を貫きます。」エリート外交官とは一味異なる気概。福岡大学体育学部卒。元々水泳自由形のオリンピック候補選手だった。「モロッコで水泳代表選手を育ててみないか。」という日本水泳連盟の勧めでJOCVに参加したのが23歳の時。砂漠に広がる地方都市暮らし。「向上心も素質もあるのに、栄養不足の子が多い。ジレンマを抱えながら真剣勝負の日々。幸せな3年間でした。」帰国後、途上国支援を生涯の業と志した。語学力を磨くためにフランス留学などを経て外務省に入った。以来ほぼ一貫してアフリカ畑(中東アフリカ局や経済協力局)を歩んできた。元JOCVとしての『虫の目』と、大使として全体を見渡す『鳥の目』を併せ、国益を追求する。コンゴ民主共和国は資源大国。中国などとの争奪戦は激烈である。「資金援助の見返りとしてではなく、僕自身の『情』で勝ち取ります。」

JICAのHPにも紹介記事が…
http://www.jica.go.jp/topics/2011/20110930_01.html

この冨永さん、ホント凄い人なのだ。JOCVと留学から帰国後、外務省の外郭団体「国際協力サービス協会」が在外公館派遣員を募集しているのに応募。「アフリカに行けるのなら」という動機が凄い。純粋である。コートジボワールに派遣された。ここから、周辺のフランス語圏というかセーファー=フラン圏を走り回ったらしい。ここでの働きが認められ、「アフリカの現場をよく知る人物」として外務省に入省。ガボン、中央アフリカ、カメルーン大使館に勤務。異色のアフリカ一筋の人なのだ。

こういう人が日本にいること自体が、大きな財産であると私は思う。大いに期待したい。