2012年1月31日火曜日

南スーダンのパイプライン南へ

毎日新聞の朝刊に、南スーダンとケニアに関する重要なニュースが載っていた。南スーダンの石油が、南隣のケニア国内経由でラム港へ運ぶパイプラインによって結ばれそうだというのである。両国政府が建設に同意したそうだ。現在、南スーダンの石油はスーダン経由既存のパイプラインに限定されており、原油利益の分配をめぐり対立が独立後の今も続いている。しかも、スーダンがパイプラインの使用料が支払われていないと、南スーダン産の石油を差し押さえているらしく、南スーダンは石油生産自体を停止し、対抗しているという。

どうも、ダルフール紛争以来、スーダン政府の評判は良くない。南スーダンの独立後もゴタゴタともめている感がある。本当のところは、遠い日本にいると判断に困るのだが、少ない情報だけで判断するのはやめようと思う。ふと、昔読んだ本のことを思い出した。「戦争広告代理店」という本である。ボスニア・ヘルツェゴビナの外相がアメリカの代理店を訪ねるのだ。セルビアとの戦いの中で、アメリカを味方につけたいとの思いだった。代理店は、彼の英語表現、服装などをうまく操作し、マスコミを味方につける。そして最後には「民族浄化」というコトバで、セルビアを完全に悪者にしてしまうというドキュメンタリーである。スーダンと南スーダンに当てはまるのかどうかも不明だが、ソマリアのアルシャバブ(昨年8月7日付ブログ参照)の話以来、自重しているところだ。

同時に、ケニア北部の乾燥地帯は、京大の公開講座でおなじみの遊牧民の世界だ。石油のパイプライン建設は両国にとって重要なプロジェクトだと私も思うが、彼ら遊牧民の生活を守れるような配慮も必要だと思う。なにかと難しい地域なのだ。

だから、このパイプライン建設、行け行けGO!GO!と私は単純に思えないのである。

2012年1月30日月曜日

『震災から考える国際協力』

前任校から逓送便が届いた。中身は、昨年「国際理解教育学会の高校の先生方へ」というアンケートに答えた宮城県立仙台H高校のI先生からのものだった。東北大学大学院教育研究科の昨年6月11日付の「研究年報」の抜刷で『高等学校におけるグローバル教育のアセスメント指標と実践枠組みに関する研究』が入っていた。かなり重厚な研究論文であった。
もう1つ、同封されていたのは、DEAR(開発教育協会)のニュースに発表された実践事例報告だった。テーマは、「震災から考える国際協力と私たち」で、英語科の2年生の学校設定科目「グローバル・シティズンシップ」(2コマ連続授業)選択者18名の授業である。すでに公にされている内容だと思われるし、私のブログを見ていただいている方の中で、ESDに興味を持っておられる方もおられると思うので、是非ともその素晴らしい実践の概要を紹介したい。

いうまでもなく、仙台は先日の大震災の被害を受けた。I先生は「震災を開発教育に取り入れる意義は大きい。」と考えられた。実際生徒の中には、ライフラインの断絶だけでなく家屋の津波被害にあっている生徒もいたという。真剣に取り組み、また実感を伴って国際理解・協力を学べたのではないかと感想に書かれてている。さて、授業は大きく4つの構成になっている。

準備(宿題):海外からの支援協力をまとめる 自分の知っているあるいは調べた範囲で、震災に対する海外からの支援について調べる。
STAGE1:東日本大震災への国際支援について知ろう
①発表準備。まとめてきた支援国の分だけ、付箋に名前を書いておく。
②付箋を持ち、1人ひとりが前に出て、自分の把握した支援内容を口頭で発表、それを大きな地球儀のその国の上に貼る。
STAGE2:国際協力の意義、必要性、あり方について学ぶ
①全員の付箋が地球儀に貼られたら、どんな特徴があるか、また発表を聞いて、わかったこと・感じたことを話し合う。
発問:なぜ支援してくれるのか?どんなところから支援がきているのか?
発問:付箋がつかなかった国からは、支援がなかった、あるは少なかったのか?
発問:恩返しといって協力を申し出た国が多くあるが、それはどういうものなのか?
発問:日本はどのような国に、そのような支援をしているのか?
補足:ODAの説明等。
STAGE3:開発途上国の現状と私たちの暮らし
①ライフラインがままならない途上国の現状・救援を要請できない忘れられた地域や人々の存在
発問:今回の震災でのライフラインの断絶についての実体験
補足:途上国のライフラインについて
補足と発問:日本には130国もの支援の手が差し伸べられたが、忘れられた人々・子どもたちがいる。このことをどう考えるか?
②まとめと振り返り

授業では、アメリカや韓国にたくさんの付箋が付いたらしい。仙台空港のトモダチ作戦などが大きく報道されたからであろう。同時に、メディアリテラシーの認識も生徒に認識させるようにしている。I先生自身、かなり詳細に調べられたのだと思う。ここから途上国の現状やライフラインに向けて生徒に発信するアイディアは素晴らしいと私は思う。さらに詳細を知りたい方はDEAR(開発教育協会)のニュースバックナンバーを開発教育協会で販売しているようである。(152号に掲載されている。)
http://www.dear.or.jp/book/book03_nl.html

2012年1月29日日曜日

「だっこちゃんの故郷」を読む

だっこちゃん
MIYAさんが書かれている「アフリカのニュースと解説」というブログがある。私のブログなどと比べものにならないほど精査した資料をもとに書かれている。毎回更新を楽しみにしている。その27日付けのブログで、1960年、日本赤十字社が、WHOの依頼を受け、戦後復興の証として独立間もないコンゴ民主共和国(当時はザイール)に、医療班を派遣する話が紹介され、その医療団の宮本貴文医師(故人)の回想録(水戸医師会報1979・80年)をタブページで紹介されている。

1960年。アフリカの年である。私は2歳児である。日本は、高度経済成長の助走に入ったころだ。宮本先生は、イタリアのピサから、国連所属の4発プロペラのカナダ軍用機で、トリポリへ。サハラ砂漠を越え、ナイジェリア経由で首都のキンシャサ(当時の名は、レオポドビル)に入っている。布製のベンチだったらしい。…時代を感じる話である。なお、MIYAさんも書いておられるが、「土人」という今から見れば差別的用語が使われているが、当時は問題視されていなかった。宮本先生の回想録を読めばよくわかるが、決してコンゴの人々を蔑視されているようには見えない。医師の目で様々な問題を批判されている部分はあるが、ヒューマンな回想録である。タイトルも「だっこちゃんの故郷」となっている。”だっこちゃん”とは、私が子供の頃流行った黒人風のビニール製の人形(画像参照)である。

この回想録、かなりの量である。MIYAさんの貴重な資料なので紹介しておきたいという執念を感じる。私が特に印象に残ったところをいくつか紹介したい。

治る見込みのない難病の子供がいた。「今のうちにその事実を家族に伝えてはどうか。」と看護師の男性に言うと、「私たちもそれを知っています。しかし不幸な結果を今のうちから早く告げて家族を悲しませる事はない。」と控えめに言ったという。この言葉に宮本先生は心打たれるのだ。日本ではあたりまえでも、アフリカの文化的・社会的風土を離れてはありえない。宮本先生は、「今も忘れられないアフリカの言葉」と言われている。…アフリカから学ぶという姿勢が素晴らしい。

現地語のリンガラ語の話が出てくる。リンガラ語には、「ありがとう」という言葉がない。豊かな太陽とジャングルの恵みの中、耕すことなく食物の与えられる世界で、感謝を表すコトバがないのは当然かもしれないと宮本先生は思索するのだ。また、「昨日」と「明日」、「一昨日」と「明後日」は同じ言葉である。「さよなら」には、立ち去る者の”さよなら”と留まる者の”さよなら”があるという。

現地での生活の話も面白い。政情不安定なニュースは、フランス語のわかる赤十字社の通訳Wさんがソニーのトランジスタラジオで聞いていたらしい。彼はノイローゼになるほど心配したらしい。が、フランス語が解らない医師は呑気に、空き箱に線を引き、硫酸キニーネ錠剤(マラリアの薬)を白石、ミネビタール(日本の三共製薬の総合ビタミン剤)の赤い錠剤を黒石がわりに碁を打っていたらしい。…なかなか面白い話である。

三か月の任務を終え、帰国時には、先日私がブログで書いた象牙の細工が送られている。(…時代を感じる話だ。1月27日付ブログ参照)現地には、白衣やシャツ、靴や、ソニーのポータブルラジオを贈ったとのことである。

長い回想録だけれど、また時代を感じる回想録だけれど、宮本先生の医師としての冷静かつ患者への熱い思いがあふれた文章だった。紹介していただいたMIYAさんに改めて感謝したいと思う。もし、興味とお時間があれば是非読んでいただきたい。

http://let-us-know-africa.blogspot.com/p/congo.html

2012年1月28日土曜日

女満別高校選抜出場オメデトウ

女満別のメルヘンの丘
センバツ高校野球の21世紀枠で、北海道の女満別高校が選ばれた。めでたい。実は、私はもし宝くじでも当たって金さえ十分あるのなら、リタイアしたら女満別に住みたいと思っている。
昔々、息子が小学生の低学年だった頃、毎年夏休みに北海道を旅をしていた。その記念すべき第1回目の北海道行で最後に訪れたのが、女満別だったのだ。と、いうのも最初の旅は飛行機で往復&レンタカーという贅沢な旅だったからだ。千歳にINして、富良野・美瑛で「北の国から」を追体感して、塩別つるつる温泉、阿寒湖を経由して釧路湿原、釧路市内に入って日本最長の直線道路を走り、野付半島のトドワラへ。次に知床半島の羅臼からウトロへ横断道路を走り、網走へ。サロマ湖の原生花園を見て、女満別に着いたのだ。女満別には2泊した。屈斜路湖と摩周湖にも近いし、ここを拠点に見て回った。女満別は空港があり、ここからOUTしたのだが、道東の名所へのアクセスがすごく良い所でもあるのだ。

泊まった民宿も凄く良かった。この旅では、できるだけ面白そうな宿を選んだのだが、女満別は観光協会に電話して、紹介してもらった民宿だった。だから期待も薄かったのだが、ここの民宿がまたよかった。ママさんは千葉から移住してきた方で、喫茶店もしておられた。アイスコーヒーのアイスは、コーヒーを凍らせたもので、氷が解けても薄くならない。息子がイチゴが食べたいと贅沢をいったら、食べきれないくらいのイチゴを出してくれた。部屋も綺麗だったし、お風呂もヒノキ風呂だった。完全無欠の民宿だった。

JR北海道 女満別駅
女満別の町は、黒沢監督の『夢』のロケ地で、少し回って見たのだが、小さいけれど落ち着いた綺麗な街だった。道東の美瑛といった感じだ。JRの駅は、町立図書館といっしょになっていてメルヘンチックだった。私は、完全に女満別のファンになったのだった。ママさんによると、女満別の冬はたしかに寒いけれど、雪はそれほどではないそうなのだ。(それだけ冬は寒いということでもあるのだが…。)晴れの日の年間比率が日本一の町でもある。

ちょっと、足を延ばせばオホーツク。知床連山が見渡せる。サロマ湖のワッカ原生花園も天下の絶景・屈斜路湖も日帰り圏内だ。こんなところでリタイア後の生活を送りたい。もちろん、大阪にも東京にも札幌にも、飛行機でひとっ飛び。海外に行くにもアクセスが良い。妻は「冬は寒いから絶対嫌やで。」と言っているのだが、私のあこがれの地であることに変わりはない。今年は本校野球部も秋田商業高校も出場できなかったので残念だけど、あこがれの地からやってくる女満別高校。私は勝手に応援するでぇ。

2012年1月27日金曜日

ケニアのKWSとゾウ密猟の話

ケニア・ナイロビ国立公園のKWS
今日の朝日新聞の朝刊に、ケニアのアフリカゾウ密猟の話が載っていた。その要旨は、次のとおりである。2011年度のケニアでの密猟は260頭、新興国の富裕層による象牙の需要層が背景だと見られる。密猟者は、銃から毒矢や槍に変えて警備の強化をかいくぐるらしく、摘発は過去最多なのだという。この密猟者を取り締まるのが、KWS(ケニア野生生物公社)である。ケニア南部のアンセボセリ国立公園では、空から警戒もし、地域住民3000人も協力しているのだが、密猟は後を絶たないという。

「需要が密猟を増やしている。」「(モンバサ港でアジア向けの積み荷から727本もの象牙が押収されたことを受けて)ケニアが、アフリカの密猟された象牙の輸送拠点となっている可能性がある。」とKWSは訴えている。

…この記事を学校で発見して、思わずコピーした。実は、私はJICAのケニア視察旅行の際、ナイロビ国立公園のKWSに行った事があるのだ。最初どんな場所の視察なのか見当もつかなかった。KWSのスタッフは、どう見ても軍服姿だった。後で、記事にあるように密猟者と闘う組織だということを知ったのだった。アフリカゾウは、野生動物の中でもかなりの保護対象である。だが、同時に野生動物と共生する住民にとっては脅威なわけで、今日の新聞記事にも凶暴なゾウに住民は困惑しているということも書かれていた。

…私は、アフリカ=野生動物という発想は好きではない。ケニアでは国立公園にも行ったが、野生動物より人間に興味があるので、人間と関わりのある家畜のほうが面白いと思っている。とはいえ、このニュースは気になる。KWSが言うように、「需要」の存在が、貧困に苦しむケニアの若者を密猟という犯罪に走らせるのだろう。そんなにまでして象牙が欲しいのだろうか。こんなところにも経済学の原理が働いている。…うーん。

2012年1月26日木曜日

仮想世界で庭いじり

こんな感じです。
だいぶ前のことになるが、妻がAmebaにブログを立てたこと (10月21日付ブログ参照) を書いた。シャレで私も、Amebaに一応ブログを作った。とはいえ、そのブログはシャレなので、何も書いていない。Bloggerに比べて、なんか稚拙な感じがしてほとんどほったらかしていたのだが、先日ふと、ブログなのに、庭が作れることがわかったのだ。最初はイチゴしか作れない。適当に操作していたら、5分くらいしたらイチゴが出来た。それから、いろんな作物がつくれることがわかった。そうなると、他にも作りたくなる。どうやら、たくさん経験を積むと作れるようになるらしい。まるでRPGゲームだ。ルッコラ、トマト、カブ、トウモロコシ…出来るまでの時間も違うのだが、水をやるとたくさん出来たりする。収穫する時、コインや経験値や作物などが飛び出して、自分のキャラの頭の籠に入ってくる。なかなか楽しい。やがて、ニンジンやキュウリやジャガイモ、カボチャ、玉ねぎ、キャベツ、なす、ピーマン、それに花や木も植えれるレベルになった。 まあ、無料のガーデニング・ゲームというところだ。

妻が、「ええ年をして何をしてんの。」と言っていたのだが、最近は、妻も庭づくりに励んでいる。私以上のレベルになって、いろいろと教えてくれる。妻の庭には、今日牛とニワトリまで飼うようになったらしい。できた作物で料理をつくるんだとか。オーブンレンジまで持っている。完全に抜かれてしまった。

このところ、毎日スティグリッツの入門経済学の講義を放課後2時間ほどやっている。充実した毎日なのだが、それなりにストレスも溜まっているような気がする。そんなストレス解消には、庭造り、ちょうどいい。なんか癒される。他の人の庭に行って水やりをすることも先日知った。昨日、他の人のキャラが私の庭に来て、水を撒いてくれていた。お辞儀をするアイコンを推すと、キャラもお辞儀する。先方もお辞儀してくれたりして、仮想世界の中で、なんか嬉しい思いをしたりするのだった。

今日も、ちょっと水やりをしに、他の人の庭を訪ねてみようと思っている。ただ、同じパソコンで入れ替わり立ち替わりやっているので、妻の庭に水をやりにいくことは出来ない。「お互い、専用のパソコンを持ったほうがいいのでは?」と妻に言うと、ジロッと睨まれた。(笑)

2012年1月25日水曜日

ケニア副首相 ICCで公判開始?

Uhuru Kenyatta
毎日新聞の朝刊に、ケニアのケニヤッタ副首相とルト元高等教育・科学技術相が、前回の大統領選(2007年)後に起こった暴動の首謀者としてICC(国際刑事裁判所)で「人道に対する罪」で公判を開始することになったという記事が載っていた。
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20120125k0000m030040000c.html

何気なく読めば、キバキ大統領派のケニヤッタ副首相が、そんなことをやったのか、と読めるのだが、そんな簡単な話ではないのではないか、そう思ったので、今回も、いろいろ調べてみた。最も勉強になったのが、JETROのアジア経済研究所の津田みわさんの記事であった。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Africa/Radar/kenya2012/20120110.html

さらに津田さんの論文、『ケニアにおける憲法改正問題と選挙後暴力』を読んだ。かなり詳しく、前回の大統領選挙後のケニアの政治状況が記されている。津田さんには誠に申し訳ないが、高校生にもやかるように要約すると、次のようになるかと思う。

1000人以上が死亡した暴動後、全く歩み寄れなかったキバキ大統領とオディンガ氏の調停のために、元国連事務総長だったガーナ人のアナン氏らが乗りこんできた。時間をかけ、ついにキバキ派がおれ連合政権が成立した。議会最大政党の代表が首相となることが決められ、したがって、オティンガ氏が首相となった。さらに副首相2名が連立政党から選出され、他の連合政権に入った各政党から閣僚を選出し、議員の1/4もが閣僚になった。この暫定的な憲法下の政治体制は、やがて、新憲法制定に繋がることになっている。その上で新たな選挙が今年にも行われることになっているのだが、上記のJETROの記事の如く、様々な問題が山積みになっている。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/2009/pdf/2009_405_ch3.pdf

で、キバキ大統領は引退する予定。大統領候補としては首相のオティンガ氏。その対立候補は、今回ICCで公判が行われる予定の2人だということなのだ。もちろん2人は罪状を否定している。有罪が決まらなければ、出馬は問題ないと言う事だが、うーん。と大好きなケニアの現状に顔をしかめざるを得ない私なのであった。

2012年1月24日火曜日

タンザニアのハイブリッドコーン

タンザニアのトウモロコシ柄の『カンガ』
先日の京大の公開講座で、「カンガ」を1枚購入した。震災への募金となるらしい。私は、以前ワン・フェスで1枚購入したことがある。その後阪大のスワヒリ語科卒のOGがお土産に1枚くれたので、これで3枚になった。モノ・ランゲージの教材として、持ち運びに便利だし、アフリカン=ドレスという本ももっているので、どう使うか指導もできる。なかなか女子生徒に好評である。しかも、カンガには、スワヒリ語のことわざが書かれているし、なかなか素敵だ。

さて、カンガの故郷、タンザニアでは、ハイブリッドコーンが栽培されているというニュースがあった。ハイブリッドといっても、アメリカのようなコーンではなく、気候変動に対応したもので『あまり肥沃ではない土地でも、また降水量が少なくとも栽培できる。』ものらしい。収穫量は、1haあたり2tから9tになり成長速度も3週間も早くなるという。これだけ読むと、良いことづくめではないか。タンザニア人の農業研究所の研究員が開発したと言う。
http://www.africa-news.jp/news_tFh3H2sYY.html?right

嬉しいニュースではないか。このところ、アフリカの開発に何が必要か、原点に戻って考えているのだが、やはりこういう地道な食糧生産に関わる開発が、最も重要だと思う。ニュースの文面からは、化学肥料のことは書かれていない。おそらくあまり必要がないようだ。もし、必要なら、私はちょっと躊躇するところだが、アフリカ人の手でこういう研究が進み、貧困撲滅を進めることが出来れば、こんな嬉しいことはないと思うのだ。

カンガに書かれているコトバを最後に…。Jipe moyoutashinda.(かんばれば、必ず成功する)

2012年1月23日月曜日

超小型モバイルプロジェクター

年に何回か、社会科の教師が集まる科会が開かれる。教科書の選定、副教材の選定、予算の申請、成績の確認、さらに次年度の担当決定などが議題となる。先週の金曜日、久しぶりに科会があって、副教材の選定と来年度の予算申請について協議したのだった。
副教材というのは、日本史や世界史の年表や地図、重要事項の整理や資料となる図版などが一冊になったもので、私たちが高校生だった70年代に比べると、教科書同様カラーになり、かなり贅沢な印象である。私の担当は、世界史だったので、F先生と以前から協議してあったものを提案して、簡単に了承された。社会科教員の集団は、私の思うところ、ギルドである。個人商店の集合体で、あまり授業進度を揃えたり、共通テストとかを好まない。本校で4校目だが、これだけは変わらない。(笑)

ところで、予算申請の時、私は、「プロジェクターが欲しいのですが…。」と急に言った。前任校の国際交流部で、小型のプロジェクターをよく使った。本校にも、社会科教室があって、視聴覚機材もそろっているようなのだが、選択科目が多く、他教科でも使う事が多い。結局、”社会科”教室でなくなっている。私など、全ての授業が定教室である。パワーポイントや視聴覚教材を使う事ができないのだ。「きっと、持ち運びに便利なプロジェクターがあると思うんですが…。」と言うと、ギルド的教科会は、簡単に承認してくれた。で、今日、学校のインターネット接続PCで調べてみると、4万円強で、超小型のモバイルプロジェクターがあることがわかった。80インチまで映せるので、定教室でも十分使えそうだ。購入に賛意を示してくれたF先生にも見てもらったが、好評。で、予算申請してもらうことになった次第。
http://accessories.apj.dell.com/sna/productdetail.aspx?c=jp&cs=jpbsd1&l=ja&s=bsd&sku=210-36168
時代は進んでいる。パワーポイント嫌いだった私も、国際理解教育学会や市高研の発表などで経験を積んだ。やはり、画像を見せながらの授業は大きな効果がある。是非とも手に入れたいものだ。

2012年1月22日日曜日

東洋経済 自衛隊のコスト

週刊東洋経済1/21号の話を書くのを忘れていた。特集は「自衛隊のコスト」である。私は、ヒコーキ大好き人間なので、軍事オタクとまではいかないが、そこそこ知っているつもりだ。しかし最新の装備価格を知っておくのも、教材研究として悪くない。代表的な装備でいうと、陸自や海自のヘリコプターで50~60億円。空自の次期主力戦闘機のF35Aが、98.75億円。C2輸送機(国産)が164.5億円。海自のDDH(ヘリコプター搭載型護衛艦)が、1155億円。SS(攻撃型潜水艦)が547億円。陸自の10式戦車(国産)が10億円。ただし、防衛関係費4兆6453億円のうち、45%の2兆0701億円が人件費と糧食費である。しかも、これらの装備は、購入を決めてから数年にわたって支払うしくみもあったりする。(この辺はかなりややこしい。)

ところで、自衛隊の装備は、基本的に戦闘機(F1やF2のように国産もあったけれど)以外は、国産である。様々な企業が、この防衛産業に関わっている。だいぶ前、某電気会社の開発部に勤めている友人とこんな話をしたことがある。私が「何を開発してたの?」と聞くと、「超長周波やねん。」「ふーん。ホーミング魚雷やね。」と私が言ったら、「シーッ」(笑)なんか、防衛産業に関わると言うのはあかんことのような雰囲気が今でもある。とはいえ、需要は防衛省のとってくる予算しかなく、しかも誰かが供給しなければならないわけである。企業としても、計算可能な硬い受注であると共に、それ以上増産できないという痛みもある。だから、価格は低くならないわけだ。

他国から購入するという手もある。(かなり戦車など安くなる。)しかし防衛技術は国産化すること自体が安全保障という考え方もあり、結局、国民としては、高い買い物を必要悪として受け入れなければならないという構造があるのだ。国も企業も、そういう互いの痛みを克服する手段として、武器輸出三原則の緩和という話になっていく。海外に重要が拡大すれば、価格は低くなり、両者ともWin-Winというわけだ。これに関しては賛否両論。私はふれないでおきたい。

案外、面白かったのが、「地元への影響度は?自衛隊の経済効果」という記事だった。福岡の筑城市(空自の基地がある。)と、春日市(滑走路のない空自基地、陸自の駐屯地、自衛隊病院がある)を比較しながら、騒音問題と騒音助成の話や、交付金、地元への経済効果などがレポートされている。自衛隊基地のある町は、空気のような存在として受け止めているというのが結論だった。

先日、TVのクイズ番組で、全国の都道府県で自衛隊の基地がない県は?という出題があった。正解は、奈良県だそうだ。なるほど。奈良では、先日の震災や、台風被害を受けて、自衛隊の基地創設を要請しているとか。…私は、あまりに自衛隊が月見草的存在なので、擁護的な立場をとっている。自衛隊が最近見直されて、ちょっぴり喜んでいる。…しかし、それにしても、私の若いころとは、すこぶる時代が変わったなあと思うのだった。

2012年1月21日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座1月

1月の雨中 京大稲森財団記念館
いよいよ京大アフリカ地域研究資料センター公開講座『出会う』シリーズが始まった。あいにくの雨だったが、第1回目の講座は、センター長の重田眞義先生の講義ということもあって、なかなか盛況だった。今日のテーマは『不思議な植物エンセ―テに出会う』…エチオピアの南部の高地(標高1600m、降水量は1600mmほどと言っておられた。)で栽培されているバナナに近い植物エンセ―テの紹介と、それにまつわる食文化の話だった。

重田先生は、センター長として、最初に今回の『出会う』シリーズの紹介をしてくださった。『出会う』という今回のテーマは、公開講座のアンケートで、研究者の先生方が何故アフリカを研究しようとしたのか?という質問が多く、それに答えよう、さらに研究の対象との出会いも語ろう、そして受講者との出会いを大切にしたいという、3つのスタンスから導き出されたとのこと。そりゃあ、そうだよなあと私も思った。私でさえ「アフリカが好きで、開発経済学を学んでいる。」と言うと、だいたいの人が、「なぜ、アフリカ?」と聞かれる。(笑)重田先生の場合は、京大の農学部の学生時代、1978年に探検部でスーダンに行かれたことがきっかけだとか。雑穀の食文化に興味を持ちナイロビ大学へ留学された。修士課程で雑穀というアフリカでもマイナーな研究をされていたという。重田先生は、アフリカの食文化が大変お好きなようで、「好物」という発言が何度も飛び出した。(笑)
Ensete
さてさて、エンセ―テである。エンセ―テは、遺伝子からみてもバショウ科で最もバナナに近い植物である。「この辺は最先端の学問的な話です。」と重田先生。(笑)だが、大きな違いがあるそうだ。バナナは、種がなく、脇芽で増やすのだが、エンセ―テは種をつくる。つまり、長い時間(2~3年、数年の時もあるそうだ。)をかけて、花(馬鹿でかい。画像によると直径50cm長さ1mほどもある。)をつくり、1.5cmほどもある種で増えるという。エンセ―テは、バナナのような実をつくらず、イモにデンプン質が多く食用になる。葉も繊維質が優れていて良い材料となる有用な植物である。

ここからが面白いのだが、重田先生が調査したアリの人々は、この有用なエンセ―テを種で増やさない。イモを半分に切り、成長点の部分を切り取り、埋めておくと眠っていた芽が出てくるのだそうだ。(凄い発見なのだが、誰がいつ、こんなことを発見したかわからないらしい。)すると、様々な”品種”が生まれる。イモに甘みがあるエンセーテ。葉の色が違うエンセーテ。これは本当に違う”品種”なのか。農学者は、それを確認することになるそうだ。これを、重田先生は、「農学者の後講釈」と笑い飛ばされた。現地の農民が、「これは新品種だ。」というものは遺伝子で確認してもかならずそうなるそうだ。地域で、イモから増やされたエンセ―テはどんどん新品種が生まれるらしい。一方で、森にも野生のエンセ―テが生えている。これには、農民は儀礼的に入らない保護区のような存在であるらしい。村には、栽培されているイモから増やすエンセ―テと、近くの森に野生の種で増えるエンセ―テが共存しているのだ。これをコウモリなどが、行き来して送粉しているらしい。(重田先生は、こういう調査結果をもとにした博士論文を書かれたとか…。)

さて、このエンセーテ、食用のデンプンとしてかなり有用である。直径40cmを超えるエンセ―テを1本倒すと、一家4人が20日間養えるらしい。単純計算すると、1年で18本。生育にかかる年数を考慮すると、異なる生育段階のエンテーセが90本~100本あれば十分となるそうだ。連作も可能で、つまり肥料依頼性が低く、虫もつかない。ちょっとタンパク質が少ないが、そのまま食べたり、イモをつぶして葉にまいて発酵させたり、焼いたり他の香味野菜とともに蒸したりと、食のバリエーションは豊かだという。しかも調査地のアリ人々は、トウモロコシや牧畜製品なども食し、「毎日同じものなど食べれるか。」と言うらしい。実に豊かな食文化である。…私の中で、エチオピアのイメージが大きく変わった。

今日の公開講座、意外な展開があった。エチオピアの食文化といえば、インジェラである。イネ科のテフという穀物を粉にして発酵させたものを50cmくらいの鍋で、片面焼きしたものである。これが、講座終了後、参加者に振る舞われたのである。1人ずつロール巻きにして、ドロ・ワットと呼ばれるチキンのすり身と唐辛子を混ぜ合わせたオカズ、そしてコチョと呼ばれるエンセーテのデンプンを葉で巻いて焼いたものを合わせて出していただいた。みんなで食す大きな皿のものも作っていただいて感激である。お箸も用意されていたが、もちろん私は右手だけで、ちぎって食べさせてもらった。アフリカ料理は手で食べる方が絶対おいしい。

ところで、重田先生は自分の研究も含めて、アフリカの地域研究は、何の役にたつのだろうか、ということを深く考えておられるようだ。以前にも紹介した(昨年9月18日付ブログ参照)が、京大のアフリカ地域研究資料センターは、研究と開発、あるいは実践について模索している。その所長の言として「我々はアフリカ人の役に立っていないと最近は思っている。」とおっしゃった。

だが、エンセ―テが多品種ゆえに、その多くの品種を保存しておきたいと、エンセ―テの研究センターを現地で作っておられるとのこと。最初、村人に「エンセ―テの株をタダでください。」と言いつつ、記念写真を撮ってプリントしてあげるという方法で半年で300株くらいを集めたそうだ。(笑)最近は、そこから「こういう品種はないか。」と村人から言われてわけることもあるという。
村の周囲に広がる村人のエンセ―テ畑。野生の保護区。そして第3の日本の研究者が創立した多品種保存ためのエンセーテ・センターが存在するのだ。これは十分に、アリの人々に大きく貢献しているのではないだろうか、と思った次第。重田先生は、レジュメに「後講釈のすすめ」と書かれていながら、「後講釈はあまり意味がない。」と何度か言われた。重田先生の研究は、決して「後講釈」ではないと思った次第。

大満足の第1回公開講座でした。重田先生、スタッフの皆さん、インジェラを焼いてくれた研究者の皆さん、本当にありがとうございました。購入したエチオピア歴のカレンダーは、4月から新1年生の教室に貼りたいと思っています。

ブルワーズ 青木の男の美学

ヤクルトの青木選手が、ミルウォーキーのブルワーズに行くことになった。年棒は1/4になったそうだが、彼のコトバに、私は素直に感動した。

『今までの野球人生を振り返っても、本当の意味で大きな期待をかけられて迎えられたkとがない。レギュラーが確約されない中でのスタートはある意味ボクらしい。』

熱心な野球ファンでない私にとって、青木は、WBCの侍ジャパンでの活躍しか知らない。こんな良い選手がいるのかと驚いたことを覚えている。少し、青木のことを調べてみた。早稲田大学時代も、ヤクルトでも、そしてオールスター戦などでも凄い活躍をしているわりに、スタートは厳しい。ドラフト4位入団だし、2軍で実績を積んでここまで上り詰めてきたわけだ。こういう姿勢こそ、私は大事だと思う。常に周囲に評価されるとは限らない。内面の強さが、本当の自信に繋がるのであろう。こういう男の美学をもつ選手にこそ、MLBで頑張って欲しい。
ミルウォーキーは私にとっても馴染みの都市だ。シカゴとかに比べて、すごい田舎だけど私は大好き。

2012年1月20日金曜日

西岸良平に「シェー」

明日から、「三丁目の夕日」オールディーズが封切されるそうで、このところTVでも前作・前々作をやっているのだとか。今日、帰宅後糖尿病の薬をもらいに枚方市駅近くの病院に行く途中、FMラジオでそんな話題が出ていた。新作は、昭和39年という舞台設定らしい。昭和39年といえば、私は小学校1年生である。東京オリンピックの年だ。カラー放送が開始され、隣の家にカラーテレビが入った年でもある。(我が家は経済的に豊かでなかったので、遅れること4年かかった。笑)

さて、FMのDJのお姉さんが言っていたのだが、新作映画では薬師丸ひろこが、「シェー」をやるらしい。「シェー」というのは、赤塚不二雄の「おそ松くん」に出てくるイヤミというキャラクターのギャグである。ものすごく説明が難しいが、イヤミが驚いた時に「シェー」と声を発し、独特のポーズをとるのである。これは、無茶苦茶流行した。東宝の怪獣映画で、ゴジラまで「シェー」をしたくらいだ。FMを聞いてなつかしく思い、画像検索したら、当時の少年サンデーが出てきた。これは、正月の合併号だと思う。買った記憶がある。よくよく見ると、「おそ松くん」の他に、横山光輝の「伊賀の影丸」とか、手塚治虫の「W3(ワンダースリーと読む)」とか、藤子不二雄の「おばけのQ太郎」とか、白戸三平の「カムイ外伝」とかの文字が並んでいる。懐かしい。と、言うより懐かしすぎる。(画像の右上、日の丸の下に描かれているのがイヤミで、シェーをしている。)

ところで、三丁目の夕日というのは、ビッグコミック・オリジナルに連載されていた西岸良平の漫画である。実は私は古くからのファンであった。小学校時代の終わりには、少年サンデーも少年マガジンも卒業したが、大学時代には、漫画好きが復活し、ビッグコミックもオリジナルも毎回買って読んでいた。西岸良平の画には独特のあたたかさがあって好きだったのだが、いつまにかビッグコミックもオリジナルも買わなくなった。
左の画像は、その三丁目の夕日の最も古いコミック本で、プロフェッショナル列伝という内容。大工や花火師など凄いプロフェッショナルが登場するのだが、この後、鈴木オートを取り巻く、駄菓子屋の売れない作家の茶川さんとかの話に変わっていくのである。これが出世作になった。この他、西岸良平は、SFっぽいものも描いている。(画のタッチはほのぼのとしているが、内容は案外シリアスなのも多い。)こうして映画になり、大ヒットするなんて、当時の私には思いもよらなかった。そのことに私は、「シェー」である。

2012年1月19日木曜日

「ワン・フェス」のチラシを見る。

今年も、大阪国際交流センターでワン・ワールド・フェスティバルが開催される。今年は、スタンダードな2月の第一土・日曜日である。なかなか、チラシが出てこないなあと思っていたら、17日(火)付けで発表されていた。

さっそく裏面のイベント案内を見てみた。高校生国際ボランティアWITHが、今年も頑張って参加するみたいだ。(5日14:00~16:00)私の知っているメンバーはもう大学生で、OB・OGなので当日来るのかなあ。貿易ゲームをやるみたいである。うまくファシリテートできるかなあと、少し関わりがあるだけに、ちょっと心配。(笑)少し、時間がかぶる(5日12:30~14:30)けれど、「マスメディアとアフリカ」も面白そうである。
昨年も参加したが、JICAの研修員さんの母国紹介も面白い。(4日・5日ともに11:00~12:00)ユニクロのCSR活動の報告は目新しい。(4日12:30~14:30)また、昨年ワンフェスでメンバーになった「なんとかしなきゃプロジェクト」がシンポジウム・ステージで「なんとなかしなきゃ!東アフリカ編」をやるようだ。(4日14:00~15:30)

<ワン・フェスの内容については、PDFファイルで以下にアクセスすると見れます。>

こんなイベントと共に、エスニック料理の屋台も楽しみだし、NGOの紹介コーナーも楽しみ。大阪で唯一の国際協力のお祭り。OB・OG諸君、関西在住の読者の皆さん、ワン・フェスでお会いしましょう。今年は、本校生も連れて行くつもりデス。

2012年1月18日水曜日

新JICA理事長の「新しい中世」

緒方JICA理事長の後任として、東大の副総長の田中明彦氏が4月から就任するというニュースが流れた。どんな人物なのか少し調べてみた。かなり優秀な人らしい。浦和高校(佐藤優の出身校だ)から東大の教養学部で、MITで博士号をとったという。田中氏の研究では、「新しい中世」論が面白そうだ。

「新しい中世」という考え方は、田中氏独自のものではないらしい。グローバル化の進展によって、国家主権の相対化が進む現代社会を、主権国家体制が成立する以前の、複数の権威が領域横断的に並立するヨーロッパ中世とのアナロジーで把握する国際政治の見方である。で、田中氏の「新しい中世論」は、2つの仮説からなる。
1.グローバリゼーションの進展によって、世界のシステムが、近代的なものから中世的なものに変質する。
2.新しい中世に向かう傾向には差異が存在し、その基準で考えると、現在の世界はおおむね3つの圏域にわけることができる。

中世的なるものとは、主体の多様性とイデオロギーの普遍性だそうだ。現代社会では、主権国家以外に、多国籍企業、国際組織、NGOなどの非国家的主体が登場している。ヨーロッパ中世の普遍的なイデオロギーは、キリスト教だが、冷戦終焉後の現代社会では、民主主義(自由・人権の普遍性)と資本主義(市場経済)だというのだ。これが、ヨーロッパ中世と現代社会の「中世」的共通性。一方、技術水準や経済度システムなど経済的な結びつきで異なる。これが、「新しい」の意味らしい。なるほど。面白い見方だ。

現代社会における差異で、分けられる3つの圏域とは次のようなものらしい。
新中世圏:多様な主体をもち、経済や象徴を争点とし、「調整」が特徴で、経済や説得という手段をとり、戦争は皆無。脅威となるのは、心理や社会、近代化はすでに終了している。
近代圏:主権国家であり、争点は軍事ならびに経済、「対立」が特徴で、軍事・経済という手段をとり、戦争は政策手段となる。脅威となるのは経済・外敵で、近代化の途上にある。
混乱圏:域内集団を主体とし、軍事を争点とし、「生存」が特徴で、軍事を手段をとる。戦争状態であり、無数の脅威をもつ。近代化に失敗した地域である。

なかなか面白い論だ。さっそく、中古の文庫本をアマゾンで注文した。WEBの資料での要約だけでは掴みきれない。私も若干の関わりがある、JICAの新理事長である。アフリカをはじめとした途上国に対してどのような見方をしているか、著書の行間から是非とも知りたいところである。

2012年1月17日火曜日

スティグリッツと「行動経済学」

このところ、スティグリッツの入門経済学(12月25日付ブログ参照)を、授業の合間にひたすら読んで、各章の最後にある復習問題をやっている。これが、アメリカ式で非常に具体的な問題なのだ。しかっりと理解していないと到底答えられない。「この経済用語が意味するところの具体例をあげよ。」などという問題が多く、なかなか進まない。今日などは、ついにグラフを描けという問題があった。比較優位説で出てきたのが、生産可能曲線…。うーん。高校では、比較優位説は教えてもこんなグラフやらないぞ。しかもテキストには、その描き方は載っていない。なんとか、公式をWEBで手に入れて、数値を導入してみた。80xa+100xm72000…。あかん。完全文系の私としては、どんなグラフになるのか全くわからない。で、数学の若手のH先生に教えてもらった。「簡単な一時方程式ですよ。」と、すらすらと式を解いて、「こんなグラフになります。」…なるほど。(方程式なんか何十年ぶりに解いたぞ。)

ふー。と言う感じであった。このスティグリッツのテキストを読んで、痛感するのは経済学の大原則である。それは、人間の合理的な行動を前提としていることである。比較優位の問題の中で、「グローバリゼーション下で、開発途上国は、貿易の自由化をよしとせず、保護貿易化する傾向がある。先進国に対し、絶対優位も比較優位も持ち合わせていない故である。これについて論ぜよ。」というのまであった。そんな簡単に論ずることはできないぞ。
比較優位説をグラフ化する
ただ、スティグリッツのいう経済学の大原則から見れば、やはり取引を行う事で双方に利益が生まれると書いてある。さすが、アメリカの本で、そうは行っても、社会保障などの不備のため様々なマイナス面もあり、云々と逃げ道も書いてあったりする。学生は、あらゆる局面をシミュレーションして論ずるのだろう。この問題だけで、回答に凄い時間がかかる。なかなかの読み応え。全く、ふー。という感じである。

ところで、今朝いつものようにモーニングで日経を読んでいたら、広告で今週の『週刊東洋経済』が面白そうな記事を特集していることを知った。『自衛隊のコスト』…つい、帰宅路に買ってしまったのだった。パラパラとめくっていたら、「経済を見る眼」というコラムがあり、阪大の大竹教授の「行動経済学を使って問題解決を」という小論が載っていた。
簡単に要約すると、スティグリッツのテキストのような「人間は合理的な行動をとる経済学の大前提」をとらず、様々な人間の行動特性を認め、その知見の集積によって社会に望ましい方向に誘導する「行動経済学」の可能性と有為性を示したものだった。

なるほど、と思いつつ、この文章、どこかで読んだような気がした。そうだ!先日の日経の「経済教室」の記事だ!

2012年1月16日月曜日

センターにイスラムの十戒登場?

昨日、センター試験の倫理の問題を気楽な気持ちで紹介したら、息子から専門家らしい批判コメントが送られてきた。私は、一昨日の問題を見て、素朴に「ふーん、そんなこと教えたこともないなあ。イスラムにも十戒があるのか。」くらいの認識であった。これまで、ユダヤ・キリスト・イスラムの一神教を比較して高校生に教えることは、非常に重要だと思ってきたし、今もそう思っている。

ただ、息子は、そもそもアラビア語とイスラムの専門家であり、同志社大学の大学院でヘブライ語とユダヤ教も学び、修士論文もイスラム教とユダヤ教の比較を行っている在イェルサレム・ヘブライ大学に通う研究者である。イスラムに十戒などない、と大上段からバサッと斬って捨てている。現場の高校教師としては、到底この分野においては息子にかなわない。おそらく息子の指摘は当たっているのだろうと思う。

クルアーンに「十戒(十の戒律、「十戒同様、十の戒律が列挙されている箇所」)」など、ありません。
少なくともそのような言い方はしません。
そして(参照していると仮定して)原文の要約にもなってません。

内容からして、おそらくクルアーン17章22節~39節に取材したと思われる(別の箇所かも知れないし切り貼りかも知れませんが)のですが、これを「十戒」などと呼ぶ伝統は聞いたことがありません。近代以降のユダヤ教の猿真似をしたい、アメリカ=イスラエルの勝ち組に対抗したい、という欲望が働いて提唱した資料や人物、あるいはこのようなことを述べる西欧文明産の比較宗教学者(さすがにいないと思いますが)がどこかにいるのかも知れませんが、少なくとも私の同僚・先輩の専門家に相談してもそんな「十戒」など知らぬ存ぜぬ(当たり前ですが)。日本人の専門家が書いた「まともな」イスラームに関する本でもこのような記述が出てくるようなことはあり得ません。少なくとも私は知りません。そして古典ではクルアーンのこの箇所を「十戒」などではなくむしろ「二十五戒」と述べる程です(例えばジャラーラインのタフスィール17章22節参照)。

詳細は、http://barhebraeus.blogspot.com/を是非お読みいただきたい。研究者というのは、真理追求のために、辛辣な言葉を批判に使うものらしい。それも真理を愛せばこそである。たしかに、この問題、過去問として、長らく残るであろうし、センター試験で倫理を受験する高校生は、イスラムにも十戒があると信じるだろうし、現場の倫理の教師の多くもおそらく同様だろう。それくらい、影響は大きい。息子同様、大変危惧するところである。

2012年1月15日日曜日

センターにイスラムの十戒登場

昨日からセンター試験が始まった。今年は、転勤したので私の専門の「倫理」の受験生徒はいなかった。(本校のセンター受験者は少ない。)いささか拍子抜けなのだが、一応試験問題を確認してみた。「倫理」の面白い問題としては、問題9/ユダヤ教とイスラム教の十戒の比較問題がでた。クルアーン(コーラン)の十戒など、初めての出題だ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の比較宗教学的な設問がこのところ出題されていて、昨年も書いた(昨年1月16日付)が私は、一神教理解についての倫理教育は正しい方向に向かっていると思っている。
ちなみに、この問題<左記の問題参照>の正解は『4』である。1も2も3も間違いが明確なので、秒殺問題(一瞬で回答できる問題)で、容易い問題なのだが…。またフッサールが出題された。ついに現象学から出題されたわけだ。デリダやドゥルーズが出題される日も近いのではないかなどと思う。

実は、希望大学の受験科目で、センター試験の地歴公民が任意の1科目なら、絶対「倫理」が有利である。なんといっても、他の日本史や世界史、地理、政治経済とは、学習範囲の絶対量が違う。しかも、平均得点が毎年のように高い。これは、私の私見ではなく受験の専門家ならほぼ同意見だと思う。要するに受験テクニックとしては、地歴公民の穴場なのである。(こういう側面が強調されすぎることは、私自身は好まないが、事実である。)

他の科目の受験と不平等だという批判は前からあった。そこで、今回から倫理と政治経済をミックスした科目が、センター試験に登場した。公民分野では、従来の「倫理」「政治経済」「現代社会」と「倫理・政治経済」から選択することになったわけだ。受験科目を設定するのは大学なので、いくつか、「倫理」と「政治経済」を認めない、「倫理・政治経済」のみという大学も出てきた。関西では、京大、阪大、神大や奈良女子大、医学部系など超難関の大学である。

超難関大学を志望する生徒からすれば、倫理を選択する気なら、必ず政治経済もついてくるようになったわけだ。2教科になったからといって易しくなるわけではない。こちらの問題も見てみたら、6大問で、半々で出題されていた。要するに負担が二倍になったわけだ。

私はこのことを批判する立場にはない。地歴の学習範囲と比べて不公平感はあったのは確かだし、まだまだ超難関校だけが、「倫理」のみの選択を認めなかったからだ。ただ、これが全ての国公立大学に広がるとカリキュラムについて再考が必要になる学校もあるだろうと思う。実は、高校ではすでに新指導要領実施に向けて、ほぼカリキュラムが確定してしまっている。ちょっと、センター入試を改訂するには、若干時期が遅かったと思うのだ。当分、混乱するかもしれない。

追記:このセンター試験の問題に関して、イスラムに十戒などない、という極めて重要な批判が、息子から送られてきました。詳細は、16日付ブログをご覧ください。

2012年1月14日土曜日

ザンビアの教育事情から

このブログの読者で、ザンビアで理数科教師としてJOCVで頑張っている桐生さんから、先日、活動報告がメールされてきた。ちょうど、JICA大阪の高校生セミナーでも途上国の教育への関わりがテーマになったことだし、少し長くなるが、是非とも紹介したい。

 『先日、学期の真っ最中にも関わらず、女性教諭の一人が 「このクラスの担任を交代してくれないか?」 と言ってきました。 「私はクラスコントロールに失敗したから、ギブアップした。」 とへらへら言っています。ふざけるな。即決で断りました。 ここで引き受けたら「桐生に頼めば面倒な仕事を引き受けてくれるぞ」という噂が広がって職務放棄する教員が増えるのがこれまでの経験から目に見えています。 ギブアップというのは、全力で努力した上でそれでも力及ばずに、そしてさらに努力して再挑戦するプロセスから逃げることを決断をした時にのみ使う言葉です。 本当に彼女に言ってやりたかった。あなたは教師として最低限の事をこの子ども達にしていましたか?と。 毎日学校に遅し、気分が乗らなければ欠勤し、生徒が呼びに来るまでは授業に行かない。担任と言っても生徒の名前も知らず、出欠も取ったことが無い。「忙しい」と言って職員室でおやつを食べて雑談しているだけ。そして、たまに教室に行ったかと思えば、出来ない子どもを適当に怒鳴りつけるだけ。
1 年間そんな事を繰り返された結果、そのクラスはクラス人数 45 人いるのにかかわらず、学校に来ているのは常時 10 数名という状態、不登校率7割という状態になりました。 そんな崩壊した子ども集団を残して、 「あ~失敗。もう面倒だから無理。あとはお願い。」 と言ってくる神経は、理解など到底出来るものではありません。ただ、その女性教諭も開き直って全く聞く耳も持たず、最終的には見かねた男性教諭がそのクラスの担任を交代することになりました。
この女性教諭に限った話では無く、ザンビアの多くの学校で状況は同じです。最初の頃は、どうしたらこうした先生方の勤務態度を変えていけるのかと悩んでいるのですが、今では、こういう教員に対する僕のスタンスはもう決めています。「何もしない」です。
そのスタンスで何年間も働いてきて、そしてその風土が多数派である学校において、外国人が小言を言ったところで良いことは一つもありません。それよりも、圧倒的少数派であってもここで交代を申し出られるような熱意ある男性教員のサポートを全力で行い、学校の片隅に少しでもいいから「子どものために何が出来るか考える」雰囲気をそうしたザンビア人と一緒に作ること、そして自分のエネルギーは目の前の子ども達のために注いで出来ることを必死にする背中を見せる事、それが自分に出来る事だと思っています。

ヨーロッパや日本のように、社会の変化からの必要に迫られて「学校」という装置が作られたのと違い、ザンビアでは先進国の真似事をして「学校」という仕組みを形だけ維持させているだけのように感じることが多々あります。そこでどんな子ども達を育ていのかという理念が感じられず、ザンビアの日常とかけ離れたイギリスと同じ教科書を黒板に写しているだけです。
この国に「学校」を作ることに何の意味があるのだろう。 ずっと向き合い続けてきた問いであって、多分正解は 2 年経っても出せない問いのだと思います。でも、少なくとも、この女性教員のような、責任感が無く努力する価値も知らない大人を再生産しないことは求められていると思います。
これは、援助現場で批判される「価値観の押しつけ」でしょうか?自分はそうは思いません。教育現場における信念とは、非常に穿った見方をすれば価値観の押しつけです。それが無ければ教員という仕事は出来ません。 あせらない、あわてない、あきらめない。 』(注:”あせらない、あわてない、あきらめない。”というのは、JOCVの活動に必要な3つの「あ」だということです。)

熱血派の桐生さんの嘆き。桐生さんが1年間、ザンビアで感じたこと、それがここで率直に語られている。もし、JICAの高校生セミナーの時に、ザンビアの教育現場改善プロジェクトがワークショップのプログラムの1つに入っていたら、参加した高校生はどう反応したのだろうかと考えてしまう。

私は、この桐生さんの報告の中で、非常に重要な示唆と考察があると思っている。「ヨーロッパや日本のように社会の変化に迫られて「学校」という装置がつくられたのと違いザンビアでは先進国の真似事をして「学校」という仕組みを形だけ維持させているだけのように感じる」という部分である。アフリカの多くの国でデモクラシーがデモクレイジーになってしまったように、エドケーションが、エドフォーマルになっているのかもしれない。

先日、政治経済の授業で、日本の近代化を語っていた。私は江戸幕府を倒した明治維新より、実は「廃藩置県」の方がはるかに革命的であると思っている。全ての大名から下級武士まで全ての士族が一瞬で失業した大革命である。その後、士族は「学校」に行き、専門知識を得ることで生き延びようと考える。明治以降、日本の近代化が成功・発展した背景には、こういう士族の教育への関心の強さが莫大な中間管理職を創造したからだと私は思っている。

たしかに、ザンビアをはじめ、アフリカ諸国にはそういう歴史的背景がない。「教育」の必要性は開発経済学が等しく説くところであるが、”教育への意識の底流に流れるもの”へのアプローチが、非常に重要だと痛感した次第。先日(12月5付)ブログでも書いたが、様々な就学率向上への社会実験が行われているが、結局のところ、幸せになりたい、豊かになりたいという煩悩のような気がするのである。つまるところ、アフリカの人々の幸福観というところに帰着するのではないだろうか。この問題、とても1回のエントリーでは書ききれないので、改めて思索したいと思う。

とにかくも、ザンビアで頑張る桐生さん、自分に出来ることを3つの「あ」を胸にやり抜いて下さい。”アフリカに学ぶ教師”の一人として、遠く日本から応援しています。
桐生さんのブログ:http://jocvzambiakiryu.blog136.fc2.com/

2012年1月13日金曜日

沢木耕太郎「貧乏だけど贅沢」

沢木耕太郎の新刊文庫「貧乏だけど贅沢」を読んだ。この本は、沢木耕太郎と様々な人々との長年の対談を集めたものである。井上陽水、阿川弘之、此経啓助(日大芸術学部教授・深夜特急の旅のブッダガヤで登場した人物)、高倉健、高田宏(作家)、山口文憲(香港旅の雑学ノートの著者)、今福龍太(東京外大大学院教授・文化人類学者)、群ようこ(作家)、八木啓代(シンガー)、田村光昭(プロ雀士)。

『旅における贅沢な時間』をテーマに、自由に沢木耕太郎と語り合う構成になっている。ブログで何度か書いているが、沢木耕太郎は私の最も好きな作家だ。今回の対談は、ノンフィクションライター・インダヴューアーとしての本領発揮といったところ。坂本龍馬は、西郷のことを、「小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く」と形容したというが、この本を読んで、沢木耕太郎の形容としてもふさわしいような気もした。対談する相手によって、全くスタイルが異なるのである。そこが、この本の妙であろうと思う。

最も気楽に読めるのが、群ようこだろうか。軽妙なインタヴューとなっている。話もおもしろい。井上陽水も、長年の友人関係故の気楽さがある。意外なのが、沢木耕太郎の最も贅沢な旅先は、ハワイだということである。対談者の何人かが同意を示しているのも面白い。ちなみに、私はハワイに行った事がない。行った人々はほとんど例外なく最高だという。ふーん。喫煙者の私には、地獄の地である。

それに対して、今福龍太との対談は、かなり哲学的である。文化人類学のアプローチ(異文化の中で自分が無色透明な存在になってその世界を観察し、客観的にテクスト化していく)の破綻と、ノンフィクションでの取材の信用性から対談は始まる。語られる言葉の意味と、叙述される言葉の乖離について語り合っている。まるでデリダの形而上学批判を論評しているような感じだった。とはいえ、私は一番印象に残った。(その後の対談が群ようこだったので、余計印象が強かったのかもしれない。)

今月の新刊文庫本である。あんまり詳しく書くと、沢木ファンに怒られるので、今日はこれくらいにしておきたい。それぞれの対談に味がある一冊。おすすめである。

2012年1月12日木曜日

ナイジェリアのゼネスト考

ロイター電よりダウンロード
毎日新聞の夕刊に「ナイジェリア ゼネスト暴徒化 燃料補助金打ち切り抗議」という記事が載っていた。先日、北部の「ボコ・ハラム」について書いたのだが、北部だけでなく、今度はラゴスや首都アブジャなど全土で治安が悪化しているらしい。WEBのニュースで、日本経済新聞、毎日新聞、ロイター電などを読み比べしてみた。

ゼネストのきっかけは、これまで燃料などへの補助金の打ち切りらしい。ガソリン価格が一気に2倍に高騰したという。1リットルあたり150ライラ(約71円)になったという。普通に考えると、ナイジェリアはアフリカ最大の産油国。だが、石油精製工業自体はあまり発達していないので、ガソリンなどの石油製品をベネズエラなどから輸入に頼っている。その割合は約7割にも及ぶと言う。この燃料補助金制度は、1兆ナイラ(約4600億円)の規模で、政府はこれをインフラ整備に回すと譲らない姿勢だ。エコノミストによると、この燃料補助金は、市場関係者や輸入業者に利用され、腐敗しており無駄な出費だと指摘されていたものらしい。

世界が注視するのは、石油生産についてだろうが、当然石油関係(ロイヤル・ダッチシェルやエクソン・モービルなど)の労働組合もストに入っているという報道である。とはいえ、石油生産はほぼ完全な装置工業であり、労働者がストに入っても大きな影響はないようだ。

とはいえ、ゼネストである。これに乗じた様々な治安悪化が懸念されるところである。普段は大人しい人々も、こういう騒乱があると普段の不満が爆発するものだ。まして、治安部隊が発砲したり、むやみに催涙ガスで威嚇したりすると、さらに混乱が拡大する。ゼネストの長期化は、やがてナイジェリアの経済を大きく圧迫することは間違いない。うまくソフト・ランディングすることを願うばかりだ。

ふと、佐々敦行氏の危機管理の話を思い出した。治安維持のためには断固とした措置をとること。但し、絶対に生命に危害を加えないこと。その一線を守ることで、多くの市民を味方にすることができ、大局的には治安維持に繋がるとのことである。アジア各地で、治安維持・危機管理のプロとして、この戦略を説いて回り、指導したという経験談だ。以来、アジア各国の治安維持は上手くいっているという。十二分に、日本的な発想であるが、珍しい「論理のMEDE IN JAPAN」であると私は思っている。

ナイジェリア政府は、敵に回す必要のない人々を敵に追いやっている。まずは、これ以上の犠牲を出さないことだ。そして治安部隊が発砲したことには、速やかに「遺憾の意」を表するこ。そこから、話し合いが始まる。こういうジャパニーズ・スタンダードが、グローバル・スタンダードになることを祈るものである。

2012年1月11日水曜日

JICA高校生セミナーの情報入手

e-Edcation より 国立大の合格者
前任校のU先生から、先日行われたJICA高校生セミナーの資料が送られてきた。今回私は参加できなかったが、ESDを学ぼうとされている読者もおられると思うので、その内容を紹介したいと思う。今回のセミナー、こう題されている。『高校生国際協力実体験セミナー2012 なぜ学び、なにを学ぶのか?!~関西で高校生が世界と日本の「学び」について考える~』”実体験”という語彙が入っているところに私はまず注目した。プログラムは、これまでの2泊3日から、1泊2日に短縮されているので、初日は10:00始まりで、二日目は16:00終了である。およそのプログラムは以下の通り。

ワークショップ①:「学び」を問い直す/なぜ学び、なにを学ぶのか?教育に望むものは?開発途上国で、日本で、一人ひとりの力になる「学び」について改めて考えます。<昼食・休憩>
講演「前へ!前へ!前へ!」~足立区の落ちこぼれがバングラディシュで起こした奇跡。(e-Education代表S氏)
テレビ会議:バングラディシュの高校生と意見交換しよう
ワークショップ②:開発プロジェクトを企画しよう/世界には教育のニーズがありながら困難な条件下にある人々がいます。その状況を理解し、教育開発プロジェクトをつくってみましょう。<夕食・休憩>

この後グループワークが行われ、二日目午前中に発表。(この辺は例年と同様なので割愛したい。)

今回のセミナーのテーマは「教育」であると聞いていた。今回のファシリテーターもS先生である。うーん、資料を読んで、練りに練ったワークショップだと感心した。最初のワークショップ①の詳細な資料がないのでわからないが、おそらくS先生が、今回のセミナーに必要なスタンスを、アイスブレーキング(始めて合う参加者の不安を溶かし、自己紹介させて雰囲気を和ませること)しながら、インプットされたのだと思う。(S先生は絶対、結論を押し付けない。皆の発言をもとにまとめていく。)
その後、実際にバングラディシュで、教育プロジェクトを立ち上げているS氏(W大3回生)の講演とTV会議で、開発途上国における教育の実態と、実際のプロジェクトの苦労話などを実体験するわけだ。

そして、最大の山場が、ワークショップ②である。N国の小学校運営企画、M国の識字教育強化、B国の職業訓練強化という3つのプロジェクトを、それぞれグループに分かれて実際に考え、プレゼンテーションにまでもっていくのである。それぞれには、プロジェクトの目標や大まかな背景が、かなり現実的に示されたペーパーが渡される。しかも、それぞれの国にJOCVとして派遣されていたメンバーがセミナーに参加していて、参加者が質問できる。その上で「夢をかなえるプラン」をいくつも考え、グループ内で絞る。再度JOCVに予想される困難などを聞き、プランを補完する。そしてプレゼンの準備、5分間の発表。自分たちの考えた国と違う2国については、感想を記入し投票を行い、その完成度やユニーク度を競うというものだ。

セミナーのタイトルに冠せられた”実体験”という語彙の意味がよくわかる。バングラディシュの学習プロジェクトとJICAの教育支援の実際のプロジェクトを、経験知として、高校生として出来る限り現実的にプロジェクトを創出することが、”実体験”なのである。

実際に参加できなかった私だが、これまでの経験からどのようなワークショップが行われたか容易に想像することができる。私は、自分の国際理解教育のスタンスとして、出来る限り現実的なワークショップを希求してきた。今回のワークショップは、そういう意味で私好みであるとともに、ファシリテーターS先生とJICAスタッフのこれまでの成果の集大成的な素晴らしいものになったと思われる。U先生の感想にも、その痕跡がありありと読みとれた次第。今回初めて参加した高校もあり、新たな国際理解教育の担い手が育っていくと思われる。それもまた嬉しい。S先生、JICA大阪のスタッフの皆さん、ご苦労様でした。

2012年1月10日火曜日

♪ 年賀状 フロム カナダ

Alberta Canada
さきほど、玄関に年賀状が届いているのを発見した。息子あての小包(きっと海外からの学術書である。)の下に挟まっていた。前任校のOGからである。彼女は、1年生の時私のクラスで、2年生の秋からカナダに1年間自費留学して、下の学年に入って卒業した子だ。英語科だったので、英語力においてホント凄い子らがたくさんいたのだが、その中でも皆に一目置かれていた。某公立外国語大学に進学して、そこでも頭角を現し、大学の留学生試験にパスして、再びカナダに留学している。

住所に「AB」とあったので、アルバータ州だとすぐ分かった。アメリカやカナダの州コードは楽しい。アルバータ州は、有名な観光地・バンフなどで知られるカナディアン・ロッキーの美しい州であると共に、州都エドモントンやカルガリーを中心とした石油やオイルサンドなどの豊かな鉱産資源の州でもある。

年賀状によると、観光産業やコミュニケーション学を学んでいるようだ。英語力向上にのためには、まだまだ精進が必要とのこと。凄いよなあ。一流になるための「謙虚さ」だろうか。教え子ながら、学ぶことが多い。

神戸モスク
さて、彼女には、鼻高々の思いをさせてもらったことがある。JICAでは、毎年、国際協力中学生・高校生エッセイコンテストを開催している。私も前任校で、何度も生徒に応募してもらったのだが、後にも先にも、彼女1人だけが、入選したのだ。(彼女が1年生の時だ。)表彰式は、JICA兵庫国際センターで行われた。仲良しのOさん(彼女も同じ大学に進学し、カナダに留学した経験をもつ。)も、式に付き添いで参加してくれた。
式の後、「さあ、せっかくだから二人に、中華街で飯でも奢ろうか?」と言うと、「クラブがあって行けなかった、モスクに連れていいってください。」とのこと。そう言えば年末に、神戸・北野町にある神戸モスクとシナゴーグに、有志の生徒を連れて行ったのだった。吹奏楽部だった彼女は行けなかったので、そう言ったのだった。「OK!」私はタクシーを飛ばして、神戸モスクへ連れて行ってあげたのだった。

あれから幾星霜。担任するっていいよなあ!とあらためて思う私であった。明日、さっそく返事を書いて送ろうと思う。ちなみに、このエントリーのタイトルのギャグ性を理解できる方は、かなりの年配かな?と思う。(笑)

蹴球「市立」高校の健闘を讃える

今年はずいぶん遅いが、今日が始業式である。だいたい3学期の始業式は、どこでも短い。気温が低いこともあるが、始業式で挨拶する学校長も、生活指導部長も話すことがあまりない。私も前任校で生活指導部長をしたことがあるが、3学期の始業式はずいぶん困った。さて、本校の生活指導部長は、T先生と言うサッカー部の監督でもある。昨日終わったサッカーの全国大会の話をされるのではないかと思っていた。予想はバッチリ当たった。(笑)サッカー部と無関係な私でも生活指導部長なら、この話でいくと思う。

昨日の決勝戦、私はLIVEでTV観戦していた。四日市中央工業高校が前半すぐに得点したまま、後半ロスタイム、市立船橋高校が、驚異的なねばりで同点とした。さらに延長戦後半、ついに逆転したのだった。凄い。昨年末から体育系のメンタルを鍛えるというコトについて考えている(1月1日付ブログ参照)のだが、この死闘ともいえる決勝戦を見ていて、なるほどなあと思ったのだった。
T先生は、「市立船橋は、ホントよく鍛えられていますわ。どんな状況になっても諦めないよう、数々の修羅場をくぐっていますよね。」と始業式前に決勝戦の私と雑談をしていた時言われていた。

始業式では、T先生は、市立船橋高校の「最後まで諦めない」精神力を讃えた後、さらに西宮市立高校の健闘についてもふれられた。西宮市立高校は進学校だが、センター試験直前のここまで頑張った。市立船橋高校は、同じ「市立」で、「体育科」設置校であるらしい。(普通科・商業科・体育科を設置している。)同じ「市立」で、「体育科」設置の本校も負けてられないぞ。と檄を飛ばされたのだった。ちなみに、T先生の前に挨拶した学校長は、「今年こそ甲子園。」と発言されている。大目標を見失うな、との新年の檄だった。

「檄」が連発された3学期の始業式だったわけだ。前任校の浪人2人組(昨年9月25日付ブログ参照)にも”忘れたころに突然”の「檄」をメールしておいた。大事な2人の教え子の勝利の報告を待つ!

2012年1月9日月曜日

モザンビークに熱い眼差し

JICAの日伯合同調査
モザンビークは、近年景気のよい話が続いている。ガス田の発見。経済回廊(内陸国のマラウイ、ザンビアやジンバブエとインド洋を結ぶ国際道路)の建設と発展。この経済回廊のひとつ、北部のナカラ回廊を中心に、JICAが進めていた農業振興プロジェクトが一気に進むようだ。以前からJICAは、ブラジルのセラード(サバナ気候の熱帯草原)で大豆などの生産に成功している。この話は、JICAの月刊誌で知っていた。これを南南(途上国が得た経験をさらに途上国で活かす)協力で、さらにモザンビークで行うことも知っていた。それが、日本とブラジルの企業が30社ほど集まり、このほど調査活動が一気に本格化したわけだ。JICAの国際支援プロジェクトが、国際ビジネスとして発展していくともいえる。

このプロジェクト、隣国のザンビアで嫌中国を訴えた大統領が当選したりして、今アフリカで活発な中国型(現地の雇用を創造しない開発)への批判という風にも乗っているらしい。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120109/bsg1201090503006-n1.htm

モザンビークはインド洋に面していることもあって、内陸国の罠の枠外にある。モザンビークのサバナ地帯で、新しい農業開発が進めば、そのスキルが経済回廊を経由してマラウイやザンビアにも拡大し、慢性的な食糧不足に大きな恵みを与える可能性がある。私が賛意を示すのは、そういう農業生産拡大による貧困撲滅という一点である。巨大な商業的プランテーションになるとしても、そのスキルのおこぼれは周囲の小農に影響を及ぼすのではないか。JICAの皆さんは、決して国際ビジネスの走狗ではない。このあたりをうまくコントロールして欲しいものだ。でないと、いくら雇用創造しても中国と同様に見られてしまう。アフリカのビジネスは、何より、アフリカの貧困撲滅とリンクしたものでなければならないと私は考えている。

追記:ところで、一昨日から昨日にかけて、JICA大阪の高校生セミナーが行われた。前任校のU先生から12校の参加があったとのこと。内容については改めて報告してもらえる予定になっている。U先生、お疲れ様でした。本校は参加できなくて残念だったけど…。

2012年1月8日日曜日

日本とアフリカの経済の共通点

平野先生の図説アフリカ経済
WEBでJETROのHPを調べていたら、アフリカ開発経済学のビッグネーム・平野克己先生の『20年も成長しない経済の秘密-日本とアフリカの共通点』という論文(2011年8月)を発見した。なかなか興味深い論文だったので、例によって高校生にわかるくらいに要約してみたいと思う。

日本経済とアフリカ経済の共通点は、20年にわたる成長停止だという。アフリカの場合は1961年から2002年まで。日本では1991年から2011年現在に至るまで。開発経済学は、アフリカの経済停滞の原因を探るべく、様々な論を展開して生きた。いわく「内陸国ゆえ」「金融政策のあやまり」「ガバナンスの問題」などなど。これらは、その有効性を問われるとともに、日本の経済停滞を説明できない。

そんななかで、日本にもあてはまる開発経済学の議論がある。それは「貿易開放度」である。サブ・サハラ=アフリカの貿易依存度は1980年代に40%に低落している。貿易立国と称する日本は、輸出入のGDP比は30%ほどで、アメリカ同様著しく低い。EU貿易圏では50%、中国で80%、韓国で100%、マレーシアで200%、シンガポールは300%に達する。日本経済は非常に内向きなのである。

平野論文から
さらに、平野論文では、日本の人口について言及している。生産年齢人口の推移をみると、その割合が増えた時期が、高度経済成長期にあたっている。減少に転じてから平成不況が続いているわけだ。(この問題とアフリカの経済の比較はない。アフリカでは、エイズの問題はあるが、生産年齢人口が確実に増えているといえるだろう。だが経済成長と直接関連性があると実証できていないと思われる。)ちなみに、中国の生産年齢人口のピークは2015年、韓国は2016年と言われているそうだ。東アジアの経済にもそろそろ陰りがみえるのだろうか。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Africa/Radar/20110802.html

平野論文を平面的に読むと、貿易の自由化、日本にはTPP推進が必要だと説いているように見える。世界的に見ると日本経済が内向きであることは間違いない。だからといって自由貿易によってグローバリゼーションのクレイジーな市場に翻弄されながらも競争していくのが善であるとも言い難い。貿易開放度が進むと、それだけ影響を受けやすい。格差もますます進むだろう。
サブ・サハラ=アフリカは、このところ鉱産資源の開発や地域内貿易圏などで地域差はあるものの、投資も集まり経済成長が進んでいる。「貿易開放度」とともに、いまだ実証されていないとはいえ、生産年齢人口ともからんでくるのだろう。ただ、この地域差が問題である。経済によるアフリカ再編さえ進むのではないかと私は危惧している。平和的な再編ならいいが、多くの問題を含んでいると思うのだ。だからといって、アフリカも内向きになればいいともいえない。
日本も、アフリカも、グローバリゼーションの中で、まさに経済の自由と平等という二律背反のジレンマに苦しんでいると、この論文を読んで私は感じたのだった。

この論文は、単に経済停滞が20年も続いたという共通点だけを論じた論文ではない。平野論文の結論は、こういう「開発経済学の研究蓄積が、日本経済再生に有効だ」との主張である。

2012年1月7日土曜日

「遊牧民から見た世界史」を読む

2年生普通科文系の世界史Bは、2単位なので、3学期からはやっとこさ中国史に突入する。5クラスのうち、何クラスかは、すでに中国の風土の話をしている。中国と一口に言うが、13億の人口の多くを支えているのは東部の海岸部の平野地帯である。西部は農耕すらままならない。気候と地形・土壌といった自然環境と農耕・牧畜の法則性を語っていたら1時間終了となる。穀物の中で最も人口支持力が高いのは米である。次に小麦、さらにトウモロコシ、雑穀となる。これは、栽培の難易さ、(特に降水量と気温)と反比例の関係にある。米以外の穀物はカロリーの補充として牧畜が行われる。全く農耕が出来ない地域では、遊牧という牧畜携帯となるわけだ。それだけ環境が厳しく、人口支持力が低い土地だということになる。(こういう地理的な法則性は、世界史においても非常に重要だと私は思っている。)これが理解できてこそ、やっと遊牧民の話ができる。中国史は、ユーラシアを闊歩した多くの遊牧民との関わりを抜きに語れない。そんな事情もあって、「遊牧民から見た世界史」(杉山正明・日経ビジネス人文庫・昨年7月1日発行)を手に入れて読んでいる。

先日、東洋史が専門のF先生と話していいたら、著者の杉山先生は京大のユーラシア学会の重鎮らしい。F先生の専門は中国史なので、杉山先生の対場からすれば、東洋史を中国史として認識している輩なんだそうだ。すなわちユーラシアから見るのが正しい東洋史だという立場なんだとか。なるほど。資料集などを見ると、”ユーラシア全体から見る”というページがあったりして、私が教師を始めたころとは大部様相が変化している。これも歴史学の学説の進捗からくるものなのだろう。

この文庫本、かなり内容が濃いテキストである。ユーラシアの風土の紹介だけでもなかなかの濃さであり、読み進むのにわりと時間がかかったのだった。ところが、一気にスピードがあがった。それは、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王が黒海北岸の遊牧国家スキタイに攻め込んだ話からである。アケメネス朝ペルシャとくれば、普通ギリシアとのペルシャ戦争が有名である。杉山先生は、こう記しておられる。

『(スキタイにペルシャ軍が敗北した後)前4世紀末までのおよそ200年ほど、ユーラシアの西半では、北のスキタイと南のアケメネス朝ペルシアが、カフカズと黒海、カスピ海をへだてて南北に並び立つ形成が続いた。そしてかたわらにギリシアがあった。従来ともすればペルシア対ギリシアの「東西対立」ばかりいいたてて、こちらの「南北対立」については目を向けようとしない。(中略)人間とは、思い込みやすいものである。頭になにか前提がインプットされていると、なかなかその枠組みの呪縛から離れられない。この場合、ギリシアを無条件に中心とする西洋人の言う事を、そのまま鵜呑みにしている感はぬぐいがたい。』私は、なるほど、と思った。まさにそのとうりだと思う。

Scythae
少し長くなるが、このスキタイVSペルシア戦争も面白い。(ちなみに原典は、ヘロドトスのかの有名な『歴史』である。)ダレイオスは、70万の大軍を黒海北岸に送るのである。ボスポラス海峡を浮き橋で越え、ドナウ川を越えた。しかも偵察と補給のために黒海に艦隊を海岸線に浮かべていた。ダレイオスの戦略は凄い。地理に不案内故、陸軍だけでカフカス山脈を越えるという冒険をしない。しかも海軍を見たことがない敵への威嚇。さすがである。しかしながら、ドナウの河口付近は沼地が多く、海岸線の行軍が不可能になり、本隊と艦隊が離れてしまう。スキタイ騎馬軍団は、ここで本隊にゲリラ的に攻撃をしかけ、さらに奥地にさそう。そこで、焦土作戦を行うのだ。補給のための艦隊と引き離され、奥地で糧食を断たれたペルシア軍は、8万の兵を失い、ドナウ川まで撤退するのだ。ダレイオスは二度とスキタイとは戦わなかった。

ロシアがナポレオン、ナチス=ドイツ、そして日露戦争にとった撤退しながらの焦土作戦。実はこのスキタイの戦いに源があったのだ。”大陸国家の一種の体質”と杉山先生は評しておられるが、この話、無茶苦茶面白かった。私はこういう目からウロコが何枚もはがれるような学びが、なにより面白いと思う。さて、こういう話を授業にどう生かすかである。

2012年1月6日金曜日

タンザニアのパナソニックに問う

タンザニアの日本企業といえば、マラリア対策に長じた蚊帳を作っている住友化学が有名であるが、我が大阪の代表的企業であるパナソニックも電池を生産している事を,恥ずかしながらWEBニュースで知った。これまでパナソニックの社内カンパニーの「エナジー社」がマンガン電池を生産しておりアフリカの乾電池シェアの46%、年間約1億個の生産規模をもつという。さらに今年から容量の大きいアルカリ電池を生産することにしたらしい。

タンザニアは、東アフリカ共同体(EAC:ケニア・タンザニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジ計5カ国)と南部アフリカ開発共同体(SADC:南ア・ザンビア・ボツワナ・モザンビーク・アンゴラ・レソト・マラウイ・スワジランド・ジンバブエ・ナミビア・モーリシャス・セイシェル・コンゴ民主共和国とタンザニア計14カ国+現在国内情勢によりマダガスカルが資格停止中)に参加しているので、これらの17カ国に無関税で輸出ができるわけだ。タンザニアに生産拠点をつくるというのは、なかなかビジネスにとって有為だ。20%増の売り上げを目指しているらしい。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120106/biz12010608100007-n1.htm

一方、パナソニックは、ビジネスだけではなく、タンザニア国内でバイオ燃料を生みだす「ジャトロファ」(ナンヨウアブラギリ)の植樹や、無電化の村に「ライフイノベーションコンテナ」という発電装置を寄贈したりしている。こういうビジネスと持続可能な開発への協力の日常的な実践こそが、中国のアフリカ支援とは、一線を画す”日本”の開発だと私は思う。これからも頑張って欲しい。
http://ex-blog.panasonic.co.jp/ch_panasonic/ch09/review01431.html
http://sibg.panasonic.co.jp/cgi-bin/btool/typerw-s.cgi?blog_id=531&tag=%A5%BF%A5%F3%A5%B6%A5%CB%A5%A2&limit=5

ただ、私が心配なのは、電池の回収についてである。今日のエントリーのタイトルを『タンザニアのパナソニックに問う』としたのは「アフリカの各地で乾電池が投棄された場合、深刻な環境問題を引き起こす可能性を否定できない。」という危惧を私がもっているからだ。

で、完全文系の私だが、マンガン電池・アルカリ電池について調べてみた。日本のメーカーの乾電池では、現在は水銀やカドミウムなどの毒性のある重金属は使われていないらしい。ちょっと安心した。なぜこんなことを調べたかと言うと、昔々、息子がまだ小学生だった頃、北海道・留辺蘂にあるイトムカ鉱山に社会見学にいったことがあるからである。当時はまだ乾電池に毒性の強い水銀が使われていて、そのリサイクルが慎重に行われていたのだった。

水銀よりはるかに安全とはいえ、マンガン電池の電解質の塩化亜鉛は、水生生物に対して毒性が強いし、アルカリ電池の電解質は水酸化カリウムで土壌汚染を起こしかねないという。アフリカでは、多くの国で廃品回収のシステムがない。要するにゴミはそのままになっている所が多い。アフリカで電池をいかにうまく回収するか、それこそが日本企業の本当の良心だと思うのだが…。是非一考願いたい。もし、すでに回収に手をうっていたなら、それこそ我が大阪の最大の誇りである。

2012年1月5日木曜日

セネガルの大統領選 波乱

Youssou N'Dour
先日紹介した今年のアフリカの政治日程にも記したが、2月26日にセネガルで大統領選挙が行われる。その選挙に、同国の有名ミュージシャンが出馬表明を行ったというニュースが流れた。このミュージシャン、ユッスー・ウンドール氏は、グラミー賞も獲得した世界的なミュージシャンであり、ドイツでのワールドカップでファイナル前のイベントもプロデュースした人物らしい。私はどんな音楽か興味深かったので、YOUTUBEでも彼の歌を数曲聞いてみたが、たしかにアフリカ音楽にポップスを注入した感じだった。ブルキナでも、TVでフランス語圏の様々なミュージシャンのプロモーションVTRを見た。それに良く似ていた、というより先駆者なのであろうと思われる。

とにかく、このユッスー・ウンドール氏、なかなかの人物らしい。単に大御所ミュージシャンというだけでなく、『ネルソンマンデラ』というアルバムを発表したり、反戦の意志を表明するため全米ツアーを取りやめたりと硬骨漢のようであるし、ユニセフの親善大使でもある。<今日の画像参照>
http://www.africa-news.jp/news_sBYMpDLcv.html

では、彼が批判したという現大統領はどんな人物なのか。これも調べてみた。アブドゥライ・ワッド氏。元ダカール大学の法経学部長から野党政治家になり、2007年に決選投票で大統領に選出されている。大統領の任期を7年から5年にするなど、改革派に見えるが、2010年4月、セネガル独立50周年を期して、長年のアイデアである「アフリカ・ルネサンス像」を完成させた。

おそらくユッスー・ウンドール氏が批判したのは、この「アフリカ・ルネサンス像」にまつわる事だと思われる。高さ約50m。ブロンズ像としては自由の女神をしのぐ巨大な像である。ひと組の男女と子どもが大西洋上の西の空を見上げている。数世紀にもおよぶ無知・忍耐・人種差別から自らを開放したアフリカを象徴しているのだとか。旧ソ連を連想するデザインだが、設計はセネガル人。建設費は約19億円(20億円超という説もある。)。施行はなんと北朝鮮で、セネガルの国有地を北朝鮮に売却する形で支払われたという。(民間に国有地を売却して捻出したとの説もある。)この像による観光収入は65%が国庫に、35%は発案者のアブドゥライ・ワッド氏に支払われるのだという。この像については、完成前から非難が続出したらしい。そりゃあそうだよなあ。どうも権力者というのは、歴史的に見てもハコモノが好きだ。自分の権力でなにか残したいらしい。私はこの像が無意味だとは思わない。観光目的に巨大なものを作るのも悪いことではない。(あの4人の大統領を岸壁に彫ったマウント・ラッシュモアだって観光目的でつくられたものだ。)ただ国力に対して費用がかかりすぎだし、その収入が現大統領とその息子が総裁を務める管理団体に流れると言うのは、私物化の誹りを免れないだろう。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2634759/4499069

「へぇー。ミュージシャンが大統領選挙に出馬ねえ。」という思いで調べてみたら、北朝鮮が施行した巨大ブロンズ像が飛び出してきたのだった。

追記:mackeeさん、32人目の読者登録ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

2012年1月4日水曜日

アイオワのデモイン報道に萌える

アイオワ州議会堂
今日は、アメリカ大統領選挙のアイオワ州党員集会の日である。よってメディアには、アイオワや州都デモインというコトバが氾濫している。大統領選挙とくれば、4年に1度、アイオワ州、そしてニューハンプシャー州がその開幕を告げるので当然だが、前任校の研修旅行で行った事があるだけになんだか萌えるのである。TVで、デモインの全景が映された。ああ、丘の上の州議会堂からだなとわかったりして萌える。(笑)

今回は、共和党のロムニー候補とサントラム候補がたった8票差で1位・2位を分け合ったらしい。共和党は、オバマ大統領の支持率低下を背景にガンガン行こうとしているのだが、どうも候補が絞れていない。ロムニーは共和党でありながら、マサチューセッツ州知事時代に健康保険制度を推進した穏健派である。モルモン教徒であることも、ネックであるらしい。優れた経営手腕をもち、ソルトレイク・冬季オリンヒックの運営実績などは申し分がない。一方、急遽注目されたサントラム下院議員はペンシルベニア出身で、ロムニーの実績から見ればかなり見劣りがする。こちらも、イタリア系と1/4アイリッシュの血が入った筋金入りのカトリック教徒である。

そもそも、アメリカ大統領はプロテスタント(アングリカンやメソジスト、バブティストなど)が主流だ。と、いうより、その属性を持っていないのはアイリッシュでカトリックだったJ.F.K.(民主党)のみである。共和党は、特にプロテスタントのキリスト教原理主義者も多く、妊娠中絶や同性愛も認めない党員が多い。おいおい。と私などは意外な気がする。

私は、別に共和党も民主党もどちらも応援する気はないが、意外な候補者がデモインの町を走り回っていたことに驚きをかくせない。高校生には、自由と平等は二律背反するが、どちらかというと自由に重きを置き、小さな政府を目指すのが共和党、どちらかというと平等を目指すのが民主党でこれは大きな政府にならざるを得ないと教えている。

ところで、昔々、ワシントンDCのユニオン駅で、紺色のポロシャツを買った。共和党のゾウと民主党のロバのロゴ入りの二種類があった。なぜか民主党の方が少し安かったので、ロバの方を買ったのだった。(私のアメリカ政治に対する意識はそんなモンである。)その後、ノースカロライナ州に行った際、晩御飯を奢ってくれたALTのお母さんは民主党の州議会議員だった。ちょうど私はそのポロシャツを着ていたので、それを見て彼女は大喜びしたのだった。「あなたは民主党支持者なのね?」…私はついに本当のことを言えなかったのだった。

ウガンダの「頷き病」とホッブズ

頷き病の発症地
先ほど、世界史Bの補習を終えて帰宅した。最寄駅につくと、凄い雪である。明日は積もらなければいいのだが、非常に心配である。今日の職員室は、出勤者も少なく、ガスストーブがついているからとエアコンなしで室温14℃。窓際の私の席は足元が無茶苦茶寒い。おまけに喫煙で公園にいくと強風が吹いてすこぶる寒い。補習前に完全に風邪をひいた。ちなみに”私の風邪は鼻から”である。グシュグシュいいながら、たった一人の受講者相手に中世ヨーロッパとはいかなるものか。ホッブズの「万人の万人に対する戦い」をキーワードに、経済学史(土地経済)と森の風土と農業生産性、キリスト教的契約的概念をミックスしながら、講義した。カノッサの屈辱までいったので、明日は十字軍をやる予定。これもまた、地理と倫理をベースに、経済学的に大局を語ることになると思う。

さて昨夜、「大阪の雪」などよりに、はるかに心配なWEBニュースを発見した。ウガンダ北部から南スーダンにかけて不思議な子どもの病気(おそらく風土病のようである)が発生しているとのニュースである。食事をすると激しく頷きだすという症状がでるので、「頷き病」と名付けられているらしい。発作は、子供が食べるのをやめるか、寒さを感じなくなると収まるらしく、また未知の食品を食べたとしても発作は生じないという奇病で、寄生虫によるてんかんの一種と推測されているのだが、すでに1000人以上の症例と66人の死亡が確認されているという。また知的障害に陥ることもあるらしい。すでにこの病気に対して研究が始まっているらしいが、一刻も早い解明を切望するところである。
http://www.gizmodo.jp/2012/01/what-is-the-mysterious-nodding-disease-spreading-across-uganda.html

考えてみると、今日補習で話した「万人の万人に対する戦い」というホッブズのアフォリズムは、長らく人類史の中で普遍的な意味合いを持っていたように思う。強弱にかかわらず自己の生存を保障されるという今ではあたりまえのことにたどり着いたのは、この100年くらいのことである。

アフリカでは今なお、上記のような保健・衛生的、経済的・政治的に不条理なホッブズのアフォリズムが存在するところがある。アフリカの持続可能な開発を考え、人間の安全保障政策を進めるというのは、こういう闇に立ち向かうことなのである。

2012年1月3日火曜日

ニジェールのモバイルの可能性

ニジェールという国は、我がブログの読者で文化人類学者でもある荒熊さんが、昨年足を運ばれた国である。HDI(人間開発指数)が最も低い(2009年度182位/182カ国)文字どおりの最貧国である。国土の大部分が砂漠で、ウランが産出するも、農業生産は南西部のニジェール川の近くでしか出来ないし常に気候変動に悩まされている。
そのニジェールのサッカー代表チームをアフリカ・ネーションズカップに派遣するため苦労しているというニュースが入った。

アフリカでは、サッカーは最高に人気のあるスポーツだ。ニジェールの隣国ブルキナでは、露天の服屋さんにはブルキナのナショナルチームのユニフォームが最も目立つ所に置いていたりする。大人気だ。(私も持っている。)ニジェールでもおそらくそうだろうと推測する。サッカー万歳。
ところが出場権を得ても肝心の派遣資金がないらしい。今年は、21日から、ガボンと赤道ギニアで行われるらしいのだが…。干ばつによる食料危機に悩む政府がギブアップしたので、サッカー協会は、300万ユーロの寄付を呼び掛けている。これに、答えたのが、地元の電話会社。大会終了までの携帯電話の通話に0.0015ユーロ(日本円になおすと15銭)の臨時税を取ると発表したらしい。

ニジェールのような人間の安全保障が最も必要な国で、寄付を募ろうとすれば、なるほど最も有効な方法だと私も思う。人口統計さえままならないガバナンス状況の中でも、携帯電話はそれなりに普及しているはずだ。携帯電話を使う層は、若い人が多いだろうし、サッカー協会への寄付を厭わないだろうと思う。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/10_databook/pdfs/05-34.pdf

アフリカの携帯電話のもつ潜在能力、こういう使い方もあったのか、とあらためて驚いた次第。チュニジア、モロッコ、ガボンと強豪のC組で戦うみたいだが、頑張れ!ニジェールのナショナルチーム。

追記:tito_1227さん、読者登録ありがとうございます。31人目、ついに掛布(元阪神)の背番号になりました。これからもよろしくお願いします。

2012年1月2日月曜日

2012年度アフリカの政治日程

JETOROのWEBに、2012年度のサブ・サハラ=アフリカの政治日程が載っていた。主な政治日程は次のとおり。
2月26日 セネガル大統領選挙
3月24日 ガンビア国会地方選挙
3月中 マダガスカル大統領選挙・国民議会選挙
4月29日 マリ大統領選挙(決選投票は5月)
7月中 カメルーン国会地方選挙
8月14日 ケニア大統領選挙・国会選挙
8月中 シエラレオネ国民議会選挙
9月中 アンゴラ議会選挙
11月17日 シエラレオネ大統領選挙
12月中 ガーナ大統領選挙・国民議会選挙
これに、日程未定の議会選挙が、ブルキナファソ、セネガル、レソト、トーゴ、赤道ギニア、ギニアビサウ、コンゴ民主共和国で行われるらしい。

ケニアでは前回の大統領選で民族が対立し、かなり治安が悪化した。今回はキバキ大統領が引退するらしい。多くの候補がいるようだ。同様の混乱が起こらなければいいが…。マダガスカルもかなり不安定になっているらしい。
http://www.jetro.go.jp/world/africa/biznews/4ef7da79b71b0

一方で、アフリカ経済委員会の事務局長が、2017年までに「アフリカ全体を自由貿易圏にする」という構想を打ち出したらしい。これまでの各地域の貿易共同体構想(SADCやCOMESAなど)を統合していこうとするらしい。構想としては、アフリカの年以来の理想にあふれていて、聞こえはいいが、実際のところ、多くの国のガバナンスの状況を考えると、むやみにグローバリゼーションンのクレイジー・マーケットに周縁化している国を巻き込み、混乱を拡大するだけのような気もする。サブ・サハラ=アフリカは、多くの面で統合に向かうには、まだ早いと私などは思ってしまうのである。
http://www.africa-news.jp/news_sfgkPAyFt.html

2012年1月1日日曜日

今年こそイェルサレムへ行こう!

昨年の正月にも書いたような気がするが、年頭はどうも旅愁がつのる。昨年は新潟行きの逃したので今年こそ親友の顔を見ようと思うのだが、今年をはずすと、おそらく行けない場所がひとつだけある。息子夫婦が滞在中のイェルサレムである。(おそらく、来年の今頃は違うトコロにいるだろうと思われる。)

妻と、息子夫婦を訪ねてみようかと昨日も2人で相談していた。宗教学を長くやっている私としては、無理してでも是非とも行きたい場所である。で、調べてみた。関空からだと、エミレーツ航空で行くのが最も快適そうである。トルコ航空で行くという手もある。ソウル経由で大韓航空で一気にテレアビブ空港INというのもあるみたいだ。妻が言うに、「イスラエル入国がかなりややこしいらしいから、添乗員付き団体ツアーにしようよぉ。」すると、一気に値段が跳ね上がる。1人40万円。うーん。

おそらく来年は担任できそうだから、懇談の日程なども考慮して、行くとしたら8月初頭。私は、イスラエルの過酷なイミグレも経験してみたい。英検準3級のサバイバルイングリッシュでなんとかするさ。それも良い教材研究になる。宿なんか、息子に適当にアラブ人地区で手配させればいい。(妻は絶対許さないと思うけど…。)出来るだけ安く行きたい。中年バックパッカーの血が騒ぐ。しかも行き帰りにどこかにトランジットしてみたい。そうなると、やはりイスタンブール経由かなあ、などと考えている。

妻が急に「新聞、新聞!」と言いだした。「?」とその後を追っていくと、ジャンボ宝くじを見ている。どうやらハズレたらしい。(といっても、たった5枚ほどだが…。)これで、添乗員付きのツアーの線は無くなったようだ。(笑)

日体大の集団行動に学ぶ

2012年最初のエントリーは、TVで見た日体大の史上初の女子学生による集団行動の話である。「笑ってこらえて」で以前から見ていたが、完全版は始めて見た。(練習時からのドキュメントに夫婦で感激して泣いてしまったのだった。)ただ単に凄いとか、綺麗だとかではなかく、私は体育系の訓練という意味を自分の中で、一生懸命理解しようと努めている自分を再発見することになった。2012年はまさにそういう年になるような気がする。

年末の校内の分掌希望調査では、当然1年生の担任を希望した。おそらく担任になれるだろうと思うが、本校では、普通科・体育科・武道科があるので、体育科の担任になる可能性もある。担任として体育科の先生をサポートするためには、体育系の指導理念をよくよく理解する必要があるように思う。先日(12月20日)もブログでちょっとふれたが、私のスタンスとは180度異なるスタンスである。私は社会科の教師だから、人づくりは帰納法的である。様々な角度から人づくりを考えている。体育科は、その指導者の指導理念から導かれる演繹的な個性が強い。1+1=3との三進法などという指導理念がであれば、それが演繹的真理となるわけだ。最近そういうことをずっと考えている。

昨年末、若いH先生と喫茶店に行った時、そういう話をしていた。彼は某クラブの顧問で、自身もそういう経験をしている。彼と話していて、体育系の教育の本義とは、指導者のもとで練習に練習を重ね、やり抜いた自信とメンタル的な強さを目指すもののように理解した。彼はこう熱弁をふるってくれた。そういう理不尽な育てられ方、絶対的なものへの服従をある一定の時期に経験することは今の教育には絶対必要だと。なるほどなあと感じた次第である。

TVで見た指導者は、それまで経験のなかった女子学生の指導にあたって、自己の経験則から創意工夫をされていたようだ。なかなか勉強になった。とはいえ、自分なりの演繹的真理をもっておられることは間違いない。当然、私も帰納的に導き出した演繹的な指導理念はある。結局方法論的な問題なのだろうか。うーん。やっぱり普通科の担任のほうが気が楽だよなあ、と思ったりする。さてさてどうなりますことやら。

我がブログの読者の皆さん、またよく来訪していただいている皆さん、末筆になりましたが、今年もよろしくお願いいたします。