2013年11月30日土曜日

ヨーロッパ近世の謎とき

メアリー1世
来週から期末考査である。ひさしぶりに世界史Bの授業についてエントリーしたい。今回はヨーロッパ近世が範囲である。大航海時代、ルネサンス、宗教改革それにイタリア戦争と絶対主義国家の成立が、ほぼ同時期に起こっているところがミソだ。つまり、それらが互いに連動している。

イタリア戦争の構図、フランスVSスペイン・神聖ローマ帝国・イギリスも、ヘンリー8世の離婚劇をめぐる系図が大いなる鍵となる。ヘンリー8世の正妃は、カザリンというスペイン王家の王女である。イギリスが参戦する理由は十分にある。英国教会成立後も、メアリー1世というカザリンとの娘がスペイン王・フェリペ2世と結婚している。父親のヘンリー8世には恨みをもっているので英国教会を潰そうとカトリックに改宗しているくらいだ。ただし、そのメアリの死後王位を継いだエリザベス1世はカザリンの侍女の娘である。カトリック=スペインには恨みがあるので、後にスペインの領土だったオランダ独立戦争ではオランダを支持、しかも無敵艦隊を破っている。凄いな。サスペンス・ドラマなみである。

このスペイン王というのが、ハプスブルグ家の血を引いているので、神聖ローマ帝国皇帝がスペイン王その人だったりする。フェリペ2世の父親カルロス1世である。彼は同時にカール5世で、「ローマの牝牛」と呼ばれた神聖ローマ帝国に、免罪符の販売部隊を引き込む。彼は南イタリアも支配してカトリックの総代みたいな立場である。フランスに免罪符を売れなかったのは、イタリア戦争がらみだし、何より免罪符販売のローマ教皇レオ10世は、ルネサンスの総本家メディチ家の出身。ルネサンスとルターの宗教改革は連動しているわけだ。そのイタリア=ルネサンスも、大航海時代のスペイン、ポルトガルにとって代わられ、さらには、カルヴァン派のオランダにとって代わられる。

最後のまとめで、全ての謎を明かすという授業をしていると、つい熱くなる。金曜日は、思わずふらっとしてしまった。低血糖状態である。授業後、チェルシーを舐めてなんとか治まったが、いやはや…。

2013年11月29日金曜日

沢木耕太郎氏の受賞を祝す

毎日新聞の朝刊に、沢木耕太郎氏が『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞したことが報道されていた。何度かこのブログにも書いたけれど、私は沢木耕太郎氏の大ファンである。スペイン内乱で撮られた一枚の写真が、キャパという写真家を一躍有名にしたのだが、この写真について、極めて精緻に、この写真が本当に彼の撮ったものかを検証していくノンフィクションが、今回の受賞作『キャパの十字架』である。

実は、私はこの本は読んでいない。だが、NHKで特集を組んでいて、本年2月4日のブログで詳しくエントリーしている。素晴らしい内容だった。記事では、かの柳田邦男氏が「航空機事故の事故調査のように徹底的に分析」と評している。思わず「マッハの恐怖」(柳田邦男著・航空機事故を扱ったノンフィクション)を思い起こして、すこし笑ってしまったが、まさにたった1枚の写真に、そういう感じの迫り方をしていることは確かだ。

ところで、新聞に載っていた沢木氏の写真を見て、歳をとられたなあとちょっと寂しく感じた。私も同様に歳をとってしまったのだから、当たり前か。これからも沢木耕太郎氏のますますの活躍を期待したい。

2013年11月28日木曜日

南アで誕生したツワネ原則

久しぶりにモーニングで日経を読んでいたら、春秋に『ツワネ原則』というコトバが載っていた。ツワネというのは、南アの行政的首都であるプレトリアが変更されるかもしれない地名である。(さすが、この話は知っていた。)このツワネにおいて、安全保障にかかわる国家機密と、知る権利や表現の自由といった基本的人権とのバランスをどうとつかという難題に世界の研究機関やNGOが議論した成果が『ツワネ原則』であるらしい。民間レベルの取り組みだが、世界の知恵の結晶ともいえる50の原則なのだという。

すこし調べてみた。以下にアクセスすると、全文(英文と日本語訳)が読める。

文学部出身の私にとっては、クラクラする様な文書であった。春秋では特に31番から35番の独立監視機関についてのあり方を巡って、今回の国会審議を批判している。2年以上をかけて念密な審議を経たという、この『ツワネ原則』、凄い文書だなと思わずにはおれない。国家機密と知る権利・表現の自由のバランスと、いった重要な問題は、今回のようなわずかな国会審議でクリアできるような問題ではないとも思ってしまう。『ツワネ原則』の内容については、とても素人の私がコメントできるような内容ではない。興味のある方は是非、上記にアクセスしていただきたいと思う。ちなみに日経の春秋WEB版は以下のページである。

2013年11月27日水曜日

新聞VS南ア政府

南ア ズマ大統領
報道の自由を巡り、南アでも政府とメディアが激しく対立している。今日の毎日新聞朝刊の記事である。今年4月に南アでも「国家機密」を暴露した者に最長25年を科す情報保護法案が今年4月に国会を通過し、ズマ大統領が署名するか否かに注目が集まっている。この中で大統領私邸の写真報道は「法律違反」と発言したことに反発した複数の有力紙が一斉にこの写真を1面に報道したのだ。この私邸、安全面拡充の名目で多額の公金が使われたとの疑惑があり、南アメディアが追っていたといういわくつきであるそうな。国家安全保障相が「違法だ。」と発言したところ、有力紙タイムズは「じゃあ我々を逮捕せよ。」との大見出しを載せ、社説で「我々は写真掲載を続ける。止めることは民主主義の監視役という責務への背信行為だ。」と明言。政府は、「掲載自体は問題ないが、私邸の安全面の特徴を報ずるのは大統領のリスクとなる。」と、少しトーンダウンしているという。

開発経済学から見れば、メディアは、まさに複数政党制とともに、館力を監視する民主主義の重要な装置である。アフリカの諸国を民主主義という視点で見るとき、その報道の自由さが、ひとつの尺度とされている。

今回の南アの話は、決して他人ごとではない。日本の秘密保護法案もどうも不可解だ。妙に急いでいるのは何故なのか?何者かが蔭で動かしているような危うさを私は感じる。ネット社会におけるウィキリークスや元CIAの事件に関係しているのような感覚もある。誰しもが、ネットを通じてマスな情報発信力を持つ時代になったことを国家権力は危惧しているのではないだろうか。私の、この個人的なブログも、1日150~200人くらいの方の目にふれている。微々たる発信力だが、これまでには全く無かったものだ。国家によるピラミッド型の統制のコードが崩れ、リゾーム化しているのはたしかだと思う。しかし、それが法律で再構築されることが是だと言われると、なにか時代に逆行しているような気がする。その逆行の行き先が偏頗なナショナリズムであるとすると、恐ろしいことだと私は思っている。地球市民を育てたい私の想いとは全く対蹠的なベクトルだからだ。

今日が日本のカタストロフィー・ポイントとならないことを、まずは祈りたい。自由は責任ある行動を取れる個人が主体となって自ら勝ち取るものである。必要なら行動しなければならない、と思うのだった。

2013年11月26日火曜日

本校柔道部OB 溝内さんと対面

北海道では見れなったが、本校の桜は紅葉
昨日、念願かなって2011年12月3日付ブログにエントリーした本校柔道部OBの溝内さんとお会いすることが出来た。今回の帰国に合わせて2年生に是非とも講演していただきたかったのだが、ご多忙だったことと、修学旅行の日程が入ってかなわずだった。とはいえ、時間を割いて母校を訪問していただき、溝内さんの恩師・W先生の御好意もあって私にも会っていただけたというわけだ。

現在はタンザニアでJICAの調整員をしながら、研究を進めておられると言う。調整員という仕事は、JICA事務所とJOCVをつなぐ重要な仕事で、私もケニアやブルキナで何人かお会いした。そのかたわら、京大の大学院生として農村と都市の関わりについて博士論文を書こうとされている。グローバル化の波の中で、アフリカ特有の「情の経済」がだんだん薄れつつあるとのことだった。聞きたいことはいっぱいあったのだが、長く御引き留めするわけにもいかず、それでも30分ほどお話をさせていただいた。いやあ、嬉しかった。ついに念願かなったり、である。

なにより驚いたのは、現在ブルキナで調査中の荒熊さんとも飲み友達であるという事実を知ったことだった。アフリカ学会の交友関係はなかなか濃いらしい。もちろん京大の先生方や研究者の方々の話も伺った。私自身は、市井のアフリカ好きの高校教師にすぎないが、こういう交友関係(ダジャレではない。)の周辺に位置しているだけでも有為だと思う。

グローバル化がますます進展していくアフリカ。日本では伝えられない様々な貴重な情報も聞かせていただいた次第。来年夏にはまた帰国されるとのこと。是非とも生徒たちに溝内さんの生のアフリカの話を聞かせたいと思う。本校最強の国際理解教育だと思うのだ。

2013年11月25日月曜日

修学旅行余話 ホッケと近畿大会

昨日のエントリーで修学旅行の話は終わるつもりだったのだったが、少しだけ余話を。今朝、寿都の漁業組合から、漁業体験の際、生徒たちが開いたホッケの真空パックが送られてきた。放課後のSHRで配ったが、なかなか盛り上がったのだった。

左の画像は、書業組合の作業場で、一夜干しが開始されたところ。生徒たちがつくったホッケがくるくる回っているところである。

ところで、極めて本校の修学旅行らしい話を書いておきたい。今回の修学旅行で、柔道部の女子が一泊目の宿舎で夜と朝、練習をしていた。男子は試合を終えてから修学旅行に参加したのだが、女子はは帰阪後すぐ試合があり、しかも体重制限があって、好きなモノが食べられないという、厳しい修学旅行になっていたのだ。

ちょうど顧問のS先生も付き添いだったので、ロビーで共に練習。なかなか大変である。宿舎の方が、その姿に感激していただいたほど、打ち込みは早い。そんな努力が実って、近畿大会に出場することができたそうだ。よかった、よかった、というわけだ。

2013年11月24日日曜日

修学旅行 思い出にするなかれ

漁船乗船体験
本校の修学旅行の最大のヤマ場だった3日目について最後に述べておきたい。本校の修学旅行では、なにかしらのアクティビティが日程に入ることになっているらしい。今回は、酪農体験と漁業体験だった。
4か所に分かれて実施された酪農体験の方は私は行っていないのだが、付き添いの先生方に聞くと大満足の体験学習だったらしい。搾乳はもちろん、子牛に乳をあげたりする農場もあって生徒は大いに感激したと聞いた。昼食のジンギスカンも量が豊富でたいへん美味だったとか。

漁業体験の方は、一昨日の天候についてのエントリーでもふれたが、なんとか4回の漁船乗船体験も無事に行われた。この乗船体験、ガイドさんがなかなか楽しい方で、漁師さんらしく、飾り気のないコトバで生徒たちをグイグイ引っ張って行く。私が乗った時は、風が強く、しぶきが体中にかかったのだった。(それを見越してレインコートも着ている。)でも生徒にはそれが楽しく、おおはしゃぎだった。(笑)生きているホタテの殻剥き体験も、大阪では絶対体験できないものだったし、超新鮮な貝柱もヒモもすばらしく美味だった。ホッケを開く体験も、生徒たちは四苦八苦しながら楽しんでいた。一夜干しにして、それぞれ開いたモノを送付してくれることになっている。

寿都漁協の方々も、ホント素朴ですばらしい方々だった。こういう地元の方との触れ合いは修学旅行ならではだと思う。

さて、その夜は全体レクリェーションである。最後の宿舎は下見に行った我々が驚いたほどの豪華なホテルである。その食事会場が、レクの会場でもある。その会場を見た生徒たちも目を丸くしていた。ホントにこんなところでやっていいのかいな?という感じ。8F分くらいの吹き抜けになっている素晴らしい会場なのだ。

関西芸人の裾野 我がクラス代表の漫才
食事の後、いよいよレクが始まった。司会の漫才に始まり、各クラス対抗のゲーム、歌、ダンス。中でも俊逸だったのは、まずはダンス部の舞台である。全国大会に行くほどのキレッキレッのダンスに全員が盛り上がる。彼女たちは、この修学旅行中も自室でこそっと練習していたらしい。さらに「H1」(Hは本校の頭文字を意味している。M1をもじったのはさすがだ思う。)と銘打たれた漫才コンテストである。なんと7組も、このレクにエントリーしてきたらしい。担任以外の先生方の採点でチャンピオンが決定する仕組みだ。番号の札も生徒の自作。レクの準備は生徒自身の手で進められてきた。残念ながら、「H1」の方は時間がかなりオーバーしてしまい、帰校後、出来なかった3組の漫才は、LHRの時間を使って学年集会で改めてやることにしたのだった。前半戦に登場した4組の出来は、なかなかのもので、地元北海道の添乗員さんやホテルのスタッフも思わず吹き出しておられた。(笑)関西芸人の裾野は広い。

フィナーレ 修学旅行委員が前に並ぶ
最後は、男女の性別をひっくりかえした各クラス対抗のファッションショーと、「全力少年」の合唱である。全員が立ちあがってのフィナーレ。委員長のI君が、修学旅行委員の努力を称えた後、「素晴らしい思い出になった。」と叫ぶと全員が身体全体で答えた。

私は、フツーの修学旅行なら「思い出」でいい、と思うのだ。だが、彼らには来年の団活動で体育祭・文化祭のリーダーシップをとるという使命がある。時間が大幅に遅れてホテルのスタッフに多大な迷惑をかけてしまった。コーディネイターとしては、ずいぶん気を揉んだのも事実である。

この修学旅行での成功と失敗を「出発点」として大いに活かして欲しいと思うのだ。そう、人は石垣、人は城である。

2013年11月23日土曜日

修学旅行 カラオケとJR北海道

晴れ間の昭和新山
今回の修学旅行のバスは、「JR北海道バス」だった。実は、出発直前に、このバスにカラオケの設備がないことが判明して、ひと悶着あったのだ。今回の修学旅行は移動距離が長いので、カラオケは必需品であると私は考えていた。テーマ曲である「全力少年」の周知ということも念頭にあった。結局、旅行社が(後でわかったことだが、ジャパネット・タカタの一般に販売されているマイク型の)カラオケを全車に準備してくれた。これをモニターにつなぐ。全1000曲以上入っているので、バス内のレクとしては十分だった。

我がクラスでは、普段おとなしいY君が最初に『ヘイ・ジュード』を歌ってカラオケ大会開始。大盛り上がりであった。冊子になったインデックスを利用するだけではなく画面に映し出される曲目を追って、どんどん誰かが歌っていく。女子生徒はホント上手い。面白かったのは、O君という(軽)音楽部の生徒に知らない曲だろうと何だろうと歌わせるというシチュエーションだった。文句を言いながら彼はなんとなく歌うのだが、そのコメントが面白いので大ウケするのだ。初日は「やさいの歌」という童謡がとにかく凄かった。(笑)二日目は、ハングルの曲を誰かがリクエストして、それをO君が無理やり歌うのだが、なんとも可笑しい。同乗していた写真屋さんやガイドさんも腹をかかえて大笑いしていたのだった。私も、3回ほど歌った。北海道と言えば松山千春ではないか。「季節の中で」「大空と大地の中で」、そして札幌と大阪を結ぶ「中之島ブルース」である。(笑)生徒は知らないらしく、しかもあまりにも上手くてウケはもうひとつだった。(笑)とにかく旅行社の努力は十分報われたのだった。

JR北海道バスに乗り込む(ニセコ)
さて、JR北海道バスは、普通のバスより移動速度が遅いようだった。旅行社の想定をかなり下回るようで、行程に遅れが出てしまうのだ。その度に風呂や食事の時間変更が必要になる。どうも、このところのJR北海道の事故や不始末に関係しているらしい。ちょっとしたスピード違反などでも通報があったりするので、つい慎重な運行になっているのだという。親会社はJR北海道でもバスはバスで別だと思うのだが、それほど道民の怒りは強いのだろう。

では、JR北海道バスはダメだったのかというと、私の評価は反対だ。運転手さんもバスガイドさんも一生懸命に丁寧な仕事をしてくれた。なにより生徒たちを愛してくれていたと思う。コーディネーターとして、何度か他号車の運転手さんやガイドさんとも接したが、皆さん純朴で気持ちのいい方々であった。結局は人は石垣、人は城である。

私は今回の修学旅行がJR北海道バスでよかったと心から思っている。頑張れ、JR北海道バス。

修学旅行 マネジメントの要諦

白老アイヌコタンにて
今回のエントリーは、教育論を書きたい。修学旅行におけるマネジメントの要諦とは何かについてである。今回の修学旅行は8クラスをまとめて、3つの宿泊先を移動するという「最近ではめずらしい日程」(旅行社の添乗員さんの話)だったらしい。私としては、1年時の担任団の希望であった「旭山動物園」「温泉」「小樽」それに「アクティビティ」「3泊4日」を組み合わせたにすぎないのだが…。

本校の生徒は、運動部員が多く、素直な生徒が極めて多い。ぐちゃぐちゃ文句を言わない。指示をするとかならず「ハイ」という返事が返ってくる。同時に、ノリが良すぎるところもある。(笑)先行きを考えず、ノリでいってしまう場合もある。今回は、8クラス、300人以上の集団行動だから、全体で指示する時、必ず顔と身体をしっかりと向けて、集中して聞くということを徹底した。学年集会だけでなく、普通科5クラスの授業などでも徹底して準備してきた。「パブロフの犬」という条件反射の比喩があるが、まさに誰かが前に立って話すとき、集中しなければならないという訓練を、まず徹底してほどこしてきたわけだ。

だからこそ、観光地や食事、バスの出発時間などの集合は、ほぼ完ぺきに守られたのである。小樽では、「3分の2の学校が、出発時間に集まれない。」(旅行社の添乗員さんの話)らしいが、本校では全く問題がなかった。

生徒には、「自由は勝ち取るもの」である、「責任ある行動を取れる者こそが自由を得る」ことができると、何度も訴えてきた。だから、学年会で携帯電話の自由使用を認めてもらったのだし、観光地での「班行動」(普通はクラス内で班を決めて一緒に行動する。)を設定しなかった。おかげで、何組ものクラスを超えたカップルが小樽のデートを楽しんでいた。(笑)集団行動に徹する場面と自由に楽しむ場面のメリハリをつけることを、この修学旅行の主眼としていたのだ。まさにこの一点が、修学旅行のマネジメントの要諦であると思う。

今回の修学旅行のマネジメントが成功したのは、付き添い教員団、旅行社、バスのガイドさんなどの協力を得て、生徒諸君がそれぞれ精進した結果だったと思うのだ。

2013年11月22日金曜日

修学旅行スーパー晴れ男の面目

漁船乗船体験
今回の北海道修学旅行は、天候に恵まれたとは言えなかった。千歳空港に着いた時点では曇天。しかし、札幌方面に虹がかかっていた。生徒は大興奮。さすがに果てしない大空(曇天だけど…)にかかる虹は大阪では見れない素晴らしいものだった。しかし道央道を旭川に向かう頃には、雨が降ってきた。宿に着く頃にはやみ、なんとか傘を使う事はなかったという感じである。北海道は広大なので、天気もコロコロ変わる。

実は私はスーパー晴れ男を自認している。旅に出て、傘を使った経験は極めて少ない。昔、紋別に行った時ぐらい。海外では皆無である。バスなど交通機関に乗っているときは雨でも、降りるとやむ。

しかし、ついに旭山動物園は雨に降られてしまった。前半戦最大のヤマ場で雨はつらい。クラス写真も戦争状態。傘を閉じさせ、短時間で撮る。本校付の写真屋(卒業アルバムを作ってもらうことになっている。)のYさんの激闘に私も協力して、なんとか8クラスを捌ききった。「こんな雨の中、クラス写真を撮ったのは初めてです。」とYさん。でも、生徒の顔は、Yさんのうまいリードで盛り上がっていた。(笑)降りやまぬ雨の中、白老へ。しかもこの時期の北海道は日没が早い。なんとか、ぎりぎり明るいうちに白老のアイヌの観光村、ポロトコタンへ到着した。雨は上がっていた。

昭和新山に向かう道で、またもや曇天に虹。きれいに半円を描いていた。またまた生徒は大興奮である。私も、これほど見事な半円は初めて見た。さすが北海道である。昭和新山では青空も見えた。が、さらに曇天は続く。積丹半島の寿都(すっつ)漁港も曇天ときどき晴れ。気温は6℃ほど。だが風は強い。幸い、4組に分かれての漁船の乗船体験も無事に終えた。現地の方は、この時期、漁船を出すのは、おそらく無理だろうと思っていたらしい。きわめて幸運だと言われたのだった。漁港を出発した途端、アラレが凄い勢いで降ってきた。いやあ、スーパー晴れ男の面目躍如である。

最終日、私は羊蹄山の雄姿を青空の下で生徒全員に見せたかったのだが、生憎の雪。ホテルの朝、周囲は雪景色に変わっていた。これはこれでいいか。生徒は朝食と出発準備の合間を見て、雪合戦。(笑)その後の小樽も、小雨が降ったりしたが、なんとか傘なしで過ごせた次第。

そして千歳に向かう道で、三度目の虹。結局、晴天の連続と言うわけにはいかなかったけど、旭山動物園以外は傘を使う事はなかったのだった。教員の打ち合わせ会の結論では、今回の付き添い教員の中に、スーパー雨男のT先生がいたので、こうなったらしい。(笑)

北海道修学旅行より無事帰阪

修学旅行メインイベントのラストシーン
3泊4日の修学旅行より、昨夜帰阪しました。生徒諸君、担任団の先生方、付き添いの先生方方、旅行社の添乗員の皆さん、Jバスの運転手・ガイドの皆さん、宿泊先の皆さんを始め、多くの皆さんのご協力で、事故もなく無事帰阪できました。感謝申し上げたいと思います。

今日から3日間、身体を休めながら修学旅行で感じたことなどをつらつら書こうと思います。まずは、私の極めて個人的な体調のことから。糖尿病で入院寸前にまでところまでいったのですが、なんとか使命を果たせました。妻から、「炭水化物をとるな、炭水化物を少なくせい。」といやというほど言われていたので、およそ、次のような悲惨な食事状況でした。(笑)

一日目 朝:空港で大好物のピロシキを見つけたので1個だけ購入。ANAの機内サービスのコーヒーと共に。昼:千歳のドライブインで、生徒と同じ「ラーメン付団体向け昼食」。一人用のナベに入ったラーメンはいただきましたが、ご飯は食べず。夜:宿舎での御膳。フライものはクラスの男子生徒へ。ご飯もイクラを乗せて半分だけ食した次第。ただし、札幌のテレビ塔の雪印パーラーでソフトクリームだけは我慢できず。私は、コーヒーなしでは生きていけないのですが、缶コーヒーは以後ブラック無糖。(この修学旅行で、飲めるようになり、これが習慣づきました。)

二日目 朝:バイキング。野菜とヨーグルトを主体に、卵焼きとベーコン。炭水化物は取らず。昼:旭山動物園で、クリーム入りメロンパン1個。(これを食べるために朝、炭水化物を抜いたのでした。)正規の昼食は、砂川ハイウェイ・オアシス。「牛肉と海鮮の陶板焼き」。当然、ご飯は食べず。夕張メロンのソフトは我慢、我慢と思っていたら、うちのクラスの女子生徒が、最上部を少しだけた分けてくれました。(自前の小さなプラスチックのスプーンでいただきました。持つべきものは良い教え子です。笑)夜:宿舎での御膳。タラバ蟹がでました。(生徒は大興奮していました。笑)ここでも陶板焼きの肉と野菜は食べましたが、フライものは男子生徒行き。ご飯ぬき。

三日目 朝:宿舎の御膳。ここでもご飯ぬき。昼:漁業体験での食事。海鮮のBBQで、まるごとのイカやホタテと、ホッケは、さすがに新鮮で美味。漁業組合の作業場で、しかも紙皿に乗せられていたのですが最高の味。しかも甘エビ入りの味噌汁は、今回最高の美味。これだけは私もおかわりしました。プラスチック容器に入った地元のお母さんがにぎった大きなおにぎり2個。さすがにこれは残さず、おいしくいただきました。夜:宿舎のバイキング。野菜サラダ主体。スペアリブ3個としゅうまい1個。炭水化物は茶碗にしたら半分くらいのオムライス。グレープフルーツのゼリー。ケーキは無茶苦茶美味そうでしたが我慢。

四日目 朝:宿舎のバイキング。やはり野菜主体。炭水化物なし。昼:小樽での自由昼食。生徒たちは、海鮮丼(ポセイ丼などという名の店があったりしました。笑)やソフトクリームの三段重ねなどを楽しんでいましたが、結局、喫茶店でハム入りのパン1個とカフエオレ1杯。あまりに悲しい小樽でした。(笑)

と、いうわけで北海道に行ったのに、体重は77kgほどに減りました。8クラス全体のコーディネーターという使命を全うできたのは、案外この節制によるものだったのかもしれません。

2013年11月17日日曜日

毎日 南部アフリカフォーラム

今朝の毎日新聞朝刊に、10月29日に開催された「南部アフリカフォーラム2013」の特集記事が載っていた。毎日新聞の主催で南部アフリカ開発共同体(SADC)加盟15カ国のうち日本に駐在する11カ国の大使らが参加したという。ちなみに、SADCの加盟国は、タンザニア、マラウイ、セーシェル、モザンビーク、マダガスカル、モーリシャス、ジンバブエ、スワジランド、レソト、南ア、ザンビア、ボツワナ、ナミビア、アンゴラ、コンゴ民主共和国である。(フォーラムに不参加だったのは、セーシェル・モーリシャス・スワジランド・ナミビアである。)

南部アフリカ地域は、アフリカの中でも、政治的に大きな問題があるジンバブエやコンゴ民主共和国も含まれるが、比較的平穏な地域であるといってよい。各国とも、その辺をもっと日本企業に理解してもらい、第一次産品に付加価値をつける工業力を持てるよう助力して欲しい、ODAもだが、民間投資にも大きな期待を寄せていると主張しているように読めた。SADCは、アフリカにいくつかある地域統合を進めている地域共同体構想の中でもうまくいっている地域でもある。英語圏の国が多いことも日本の進出にとっては都合がいい。

ところで、大使たちの発言の中で、私が最も印象に残ったのはザンビア大使の発言だ。南部アフリカに日本からの直行便を飛ばしてもらいたいという要請である。観光開発に力を入れているザンビア大使らしい。南部アフリカのハブ空港といえば、やはり南ア・ヨハネスブルグであろう。私がヨハネスブルグに飛んだ際は、ユナテッドのマイレージによる無料便だった関係でシンガガポール航空を使ってバンコク経由シンガポール経由ヨハネスブルグ着というコースだった。(復路は、フランクフルト経由。ほとんど東半球一周である。笑)正距方位図法で見ると、南アを目指すとすれば、シンガポール経由は最短距離コースに近い。距離的にはヨーロッパ諸国とあまりかわらず、ニューヨークよりははるかに近い。ということは、B777やB787なら直行便は十分可能な話である。

以前エントリーしたことがあるが、韓国は大韓航空をナイロビに直行便を飛ばしている。ある意味、効率を超えた国と国、あるいは地域のつながりが、ナショナルフラッグ(今、JALがそうなのかどうかわからないが…)の存在価値にもなりうることは事実だ。ちなみに南ア航空は、ANAと同じスターアライアンス・グループ。現在は香港経由でもANAと連絡している。(JALは、キャセイ航空と香港で、またエミレーツ航空とドバイ経由で、あるいはヨーロッパ経由となるようだ。)直行便を飛ばすということになればANAの方が有利かな。

ともかくも、このようなフォーラムがどんどん行われていくことは、アフリカの開発にとって有意だと私も思う次第。

2013年11月16日土曜日

修学旅行に向けて最後の仕事

修学旅行教員用マニュアル
修学旅行も月曜日に出発・本番間近である。付き添い教員打ち合わせ(にまつわるマニュアルの完成)、生徒用しおりの完成・製本作業、結団式(にまつわるパワーポイント制作・説明と式の運営)という3つのヤマを超えて、一息したのだが、直前になって、3人の先生方が体調不良や御不幸があって、行けなくなってしまった。実はこの数日、その対応に追われていたのだった。

昨日、その代行の先生方が決まり、一気に対応を迫られた。もちろん、こういう人事は、きちんと決定され、組織的に発表されるまでは、公言すべきものではない。人心が乱れることこそ最も忌むべきことである。その辺の段階もきちんと踏みながら、昨日の昼休みには担任団、放課後には生徒に発表できるよう手立てした。

管理職の先生と役割分担を確定したうえで、新たな付き添い教員の先生方に、マニュアルを用意し、レクチャーをする必要があった。これまでの長い経過を御存じない先生方に一からレクチャーするのだが、そんなに時間もかけられないし、かといってあまりに簡単にできるおのでもない。正直疲れた身体と脳みそに鞭打って対処したのだった。もちろん、旅行社、事務所との連絡もある。航空券の名前差し替えや出張書類などのことともある。

ところで、最も私が憂慮したのは、担任団のO先生の件である。御母堂の逝去で、悩みに悩まれた挙句、不参加を決断されたのだった。その思いはすでに母を失っている私には痛いほどわかる。幸い、私の母の他界時は前任校で担任をしていなかったし、学年末考査の最終日のことだった。あまり学校に迷惑をかけることもなくすんだ。だが、私がO先生の立場だったらと思うと、その無念を同苦できる。で、今日通勤途上、私がO先生のためになにか出来ることはないかとずっと考えていた。昨日、クラス全員の名簿や写真も渡したり、できるかぎりのことはしたのだが、なにか足りない。

その結論は、やはり担任代行していただくことになったS先生に、生徒が礼儀を尽くして、出発前にクラス一同で「4日間よろしくお願いします。」と挨拶させることだった。空港での出発時に、なにかあやふやなカタチでスタートするのはよくないと考えたのだ。朝一番に、修学旅行の仕事をしてくれているI先生やK先生と相談した。私は生徒全員にS先生の元へ行って挨拶させるべきだと考えていたのだが、S先生に副担任と朝のSHRに出向いてもらって、一言述べてもらい、挨拶を受けるというカタチにすることになった。クラス代表の生徒に十分言いふくめ、彼をささえる生徒たちにもその旨を伝えた。S先生もSHRに出向くことを快諾していただき、全てのお膳立ては終了した。

若い副担任のT先生(彼も付き添いメンバーだ。)が、SHR後「凄く感動しました。」と言ってくれたので、うまくいったのだろう。担任が無念のリタイアをしたからこそ、彼らには自立して楽しんで欲しい。マイナスをプラスに換えて欲しい。中学生の体験入学で多忙な日だが、若いT先生には、終わりのSHR時に、その旨を自分の言葉で伝えてもらうようにお願いした。彼自身にも大きな経験になったと思うのだ。

2013年11月15日金曜日

ガンビアの台湾断交

ガンビアが、今日、台湾と断交したという報道が流れた。調べてみると、これで、アフリカで台湾と国交を結んでいる国は、サントメ・プリンシペ、ブルキナファソ、スワジランドの3カ国になった。

ガンビアは、セネガルに囲まれたガンビア川流域の旧イギリス領の小国である。報道によると断交の理由もはっきりしない。ある日突然…らしい。おそらくは大陸の工作によるものではないかと推測できる。この以前にもマラウイ・セネガルなどが、台湾と断交している。うーん、台湾のアフリカ外交も、じり貧状態だ。中国の覇権主義的な外交には、私もこのところ、かなりうんざりしているので、どうしても判官贔屓になってしまう。

サントメ・プリンシペは元ポルトガル領の島嶼国だ。ブルキナも、西アフリカでは内陸国だし、治安の良さ以外に地勢的な力は弱い。スワジランドにいたっては、南アの悪行(アパルトヘイト時に南ア企業の隠れみのとなって工業化を進めた過去がある。)を継ぐ最悪の王国である。(ここの王室はきわめて贅沢三昧を謳歌していて、その経済格差のえげつなさが有名。)台湾の味方というには余りに無勢である。

それほど中国のアフリカへの影響力が大きい、ということなのだろう。思わず、ふー、とため息が出るところだ。全く個人的に、サントメ・プリンシペとブルキナには頑張ってほしいと、思ってしまう。

2013年11月14日木曜日

フランス法相の危機感

Christiane Taubira 仏法相
今日の日経の春秋にこんな話が載っていた。フランスの法相は、海外州のひとつ南米仏領ギアナの出身で、要するにアフリカ系フランス人なのだそうだ。その法相がある地方訪問した際、子供たちに「猿だ。バナナをやれ。」といった差別発言を受けたのだと言う。人種差別は悪である、という当然も守られるべきルールが破られていくという、フランスの危機感を強くしたというような内容だったと思う。

日本でも、レストランなどで素材などを偽る事件が毎日のように拡大、報道されている。あたりまえの社会のルールが破られている。私は、こういう高級レストランに行くようなことは極めて少ないので、大した影響は受けていなのだが、こういうあたりまえのルールがやぶられていたことに、フランスの法相同様、日本という国の危機を感じる。

生き残るためにルールをやぶらざるを得ない競争。しかも誰が見ても詐欺まがいの行為を平然と管理ミスといった詭弁で押しとうそうとする経営者の記者会見を見ると、ぞっとする。これまで日本社会が築いてきた信頼を大きく破壊していることの自覚はないらしい。いくらオモテナシなどという美麗美句でパフォーマンスしようと、この不信感はぬぐえない。日本はどうなっているのか?

経済効率より、普遍的な社会のルールがあるはずだ。日本は、このところ、随分とおかしくなっていると感じているのは私だけだろうか。

2013年11月12日火曜日

「蟹」で疲れを癒す。

昨日今日と、学年会もいれて10時間授業である。1週間で一番疲れがたまるのが火曜日の放課後だ。今日の我がクラスの授業で、教壇で少し足を踏み外して、膝がおかしくなった。何人かの生徒が気づいたかもしれない。教卓に手を添えていないと立ってられないほど痛かった。幸い、すぐ治ったのだが、あーあ、である。

ところで今日は、妻が夕食に「蟹」を用意してくれた。H城鍼灸院の院長先生からの釣りのお土産である。解禁直後の「ずわい蟹」。私は「蟹」が大好き。と、いっても蟹味噌は苦手。妻は、子供の舌だと馬鹿にするが、蟹味噌を全て食せることは、彼女にとって大きなメリットらしい。足は私が多めに食べ、妻はもっぱら蟹味噌と胴体を食する。私にとってもメリットが大きい。結婚にあたって、こういう組み合わせは人生における幸運なのであろう。(笑)

2杯の「蟹」を十二分に堪能させていただいた。妻によると、「蟹」には、身体のサビをとる効果があるらしい。さすがに、身から出た「サビ」までは取れないだろうが、疲れを癒すことはできたのだった。メデタシ、メデタシ。H城鍼灸院の院長先生に大感謝である。

2013年11月11日月曜日

ポール・コリアー「収奪の星」

ポール・コリアーの新刊が出ていることを先日知って、あわててアマゾンで注文した。これまで、彼が予告していた環境問題と貧困削減を関連付けた考察がされている。「収奪の星-天然資源と貧困削減の経済学」(2012年3月発行/みすず書房)である。前任校では、通勤経路にK屋書店があって、月に2~3回寄っていたのだが、本校では通勤経路にそんなに大きな本屋がない。よほどアンテナを張っていないとこういう目にあってしまう。

おりしもフィリピンで台風の大被害が出ている。途上国こそが、最も環境問題に脆弱であるし、被害を受けることになる。日本でさえ、今年の台風被害は凄かった。明らかに、今年のて気象状況はこれまでとは違う。

正直、疲れやすいのだが、コツコツと読んでいこうと思っている次第。

2013年11月10日日曜日

中央アフリカ帝国の悲惨

久しぶりにアフリカの話題を書こうと思う。中央アフリカ帝国(現在、世界中で帝国と称しているのはこの国だけだ。)の話題だ。あまり良い話題ではない。中央アフリカは、長いこと最貧国で政変続き。ここも典型的な失敗国家である。今、ここでは「忘れられた人道危機」が起こっていると、朝日新聞は表現している。まさに正しい表現だ。

大統領も逃げ出して、完全な無法地帯になり、イスラム勢力とキリスト教勢力が対立し、互いに虐殺・略奪を繰り返している。「盗賊」「テロリスト」と互いを呼び合うさまは地獄だ。「国民は政府、世界に見捨てられた。」という神父の声は重い。
http://www.asahi.com/international/update/1107/TKY201311060584.html
こういう報道を目にするにつれ、気が重くなる。今回の中央アフリカでの無政府状態で、同じ神(イスラムもキリスト教も同じ神を信じている。)を信じる者同士が、互いを認めず排除するということ自体が、ブテイストである私にとっては、根本的に不可解なのである。一神教の根底に流れる遊牧民的な「風土」だと言ってしまえばそれまでかもしれない。神のみが完全で、人間は不完全・矛盾した存在であるというコトバで片づけられるものでもあるまい。

ただ、報道にある神父(彼はカトリックだから神父と報道されたと思われる。)は、「神に見放された。」とは言っていない。それがせめてもの救いだろうか。うーんと、私はまた唸ってしまうのだ。

2013年11月9日土曜日

職務命令

先日、Nクリニックで、私の糖尿病が悪化してサジを投げられた話を本校の学校長に報告したら、その後10分ほどして校長室に呼びだされたのだった。本校の学校長とは、前々任校以来の古いつきあいである。報告と言っても四方山話的な雰囲気であったのだが、前々から私の体調については心配していただいていた。

なんと、学校長、教頭、事務長と管理職三人そろい踏みである。一瞬何事かと思ったら、学校長から「次に行く病院で、修学旅行付き添いに問題がないかどうか診断書を書いてもらうように。」と言われたのだ。「万が一、あかんと言われたらどうなりますか?」「修学旅行には行ってもらっては困る。」「(中心者である)私が行かないと大変だと思いますが…。」「君に(本当はこんな他人行儀な言い方ではないが…。)倒れてもらう方が困る。なによりも身体が大事。これから先(2年生が卒業するまでの)のこともあるやないか。」「うーん。これは命令ですか?」「…命令や。職務命令。」教頭も事務長もうなづくばかり。後でお二人とも、別々にやってこられて、かなり心配していただいていることがわかった。ありがたいことである。

で、金曜日に新しい専門医にいってきたのだった。検尿や採血、心電図と進み、問診。先生は、かなり深刻な表情で私を見た。ドキッとしたが、結局服用する薬が少し増えただけで済んだ。修学旅行は行ってもいいとのこと。診断書も書いていただくこともできた。…職務命令遂行完了である。

これで、晴れて修学旅行に付き添いできることになった。とはいえ、私をとりまく食環境は極めて厳しくなった。妻が、大豆の粉をや大豆麺を取り寄せるらしい。シュークリームやチョコレート、缶コーヒーなどとは絶縁宣言させられたのだった。せっかく北海道に行くのに、「絶対夕張メロンなんか食べたらあかんで!」

2013年11月7日木曜日

佐藤優の「新約聖書Ⅰ」を読む。

佐藤優の「新約聖書Ⅰ」を読んだ。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書が収められている。もちろん、日本語訳福音書だけでなく著者による各福音書の解説と、「私の聖書論Ⅰ」という小論が収められている。

「序文にかえて」の中で、佐藤優は『標準的な日本人にとって、キリスト教について知るという目的のためには、新約聖書を通読すれば十分であると私は考える。』と述べているが、私は旧約聖書というベースがやはり必要ではないかと思う。佐藤優に反論するのは傲慢以外の何物ではないが、「日本人に贈る聖書物語」を読んだ後で、本書に接した身としては、そういう感想をもたざるを得ない。

各福音書に登場する、ヨハネの洗礼の箇所にしても、旧約の伝統的な預言者的なるものの理解がなければ分かりにくいのだ。圧倒的に日本人の立つところと、違いすぎる。そう考えてしまうのだ。反対に、「日本人に贈る聖書物語」を読んだ上で、この4つの福音書を読むと、うまくミックスして聖書の内容を止揚して著述されていることがわかるのだ。

今日、世界史Bで宗教改革の授業をしていたのだけれど、ルターの免罪符批判など、福音書に出てくる金持ちの青年とイエスの対話を引くと、生徒に解り易く説明できたりする。ローマを聖書から批判することは可能だとする神学者ルターの面目躍如というところだ。

本当は、各福音書の解説や巻末の「私の聖書論Ⅰ」について書きたいのだけれど、とても1回のエントリーでは書ききれない。物凄く面白かった。佐藤優の凄さは、単に宗教論を語るのではなく、現実の社会においての深い社会科学的な考察が同時に行われていることだと思う。神学をここまで開くのは、なみなみならぬ知識と構想力がないと出来ない。あらためてそれを感じた一冊だった。

2013年11月5日火曜日

久しぶりにディベート実践

ナイロビの事件のあったショッピングモール
3年生の現代社会演習(2単位)で、2学期になってから一神教の講義を続けている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を教えているわけだ。今日は体育科・武道科のクラスで、本物のコーランなどを見せたりしていた。国際問題を考える上で、一神教理解は必須だと私は考えているからだ。

実は、大冒険かもしれないが、久しぶりにディベートをやろうと思っている。1学期に、ゲーム主体でアフリカの開発経済学をやって、2学期に一神教を講義したうえでディベート。さて、そのお題を何にするかずっと考えていた。パレスチナ問題もいいのだが、折角なので先日のケニア・ナイロビのテロについてやろうかなと今考えている。昔JICA大阪でパネル・ディベートというのを経験した。いくつかの立場で途上国の開発問題についてディベートを行った。先進国の企業、地元住民、NGO、労働者など、環境問題も含めて討議したのだった。

今回は単純に、ケニアの多数派キリスト教人々、ケニアのイスラム原理主義に立つ人々、それにケニアに投資し開発を後押しする先進国の3チームでやろうかなと思っている。一神教の講義が終わったら、各チームで立論を立てることから始めたいと思っている。

さて、今日も4時間授業だったが、豆ばかり食べていて体調はまだマシである。修学旅行の「しおり」製本作業も、生徒諸君や担任団の先生方の協力もあって、スムーズに済んだ。やはり妻の食事療法は効果があるらしい。

2013年11月4日月曜日

修学旅行結団式に向けて

修学旅行 コース説明(2日目)

今週の水曜日の6時限目、修学旅行の結団式を行うことになっている。「しおり」を生徒に配り、およその説明をするわけだ。細かいことを2週間前に指導しても無駄だと私は思っている。1時間を有意義に過ごしたい。ます司会は生徒の修学旅行委員長にやってもらうことにした。彼は体育科の生徒で、修学旅行3日目のレクリェ-ション司会も、来年度の文化祭の司会もしてくれる予定のナイスガイだ。結団式の司会も喜んで引き受けてくれた。

集合場所の画像
最初は団長(学校長)の挨拶。本校の学校長は、重要な指導の時以外は話が短い。挨拶をお願いしたところ、「楽しく行こな。の一言でいいか?」と言われている。きっと生徒は大拍手だと思う。(笑)次に私が登壇して、パワーポイントで修学旅行の概説をする。「しおり」を使ってやると長くなる。細かいことは全て「しおり」に書いてあるので、地図を使ってコース説明と、3日目はジャージでホテルを出ること、アクティビティ(酪農・漁業体験)の場所が違うので、乗るバスがそれぞれ変わることをメインに説明することにしている。それと、大阪空港での集合場所を画像で紹介するつもりだ。ホテルの室内などもパワーポイントで紹介するが、あまり見せると楽しみがなくなるので最小限。最後はニセコの羊蹄山の雄姿(昨年度の下見弾丸ツアーで農場から撮影したもの)で終わりにしようと思っている。

旅行業者から、服装や機内持ち込みの荷物など気をつけることを語ってもらい、その後、生徒にまかせてレクリェーションの紹介をしてもらう。金曜日放課後ににレク委員が集まって、白熱した論議が行われた。クラス対抗でのど自慢やゲームをするらしい。有志の漫才やダンスもかなり出演するらしい。(笑)最後に学年主任のO先生に、生活指導面も含めて語ってもらうという式次第だ。結団式の後、大阪空港行きのリムジンバスの乗車券の発売もある。一気に300人近いバス乗車があるとパニックになるらしい。なるほどと思う。

この3日間じっくりと身体を休めた。決して本調子ではないけれど、なんとかなりそうだ。

2013年11月3日日曜日

修学旅行マニュアルと「入院」

生徒用修学旅行マニュアルの一部
先週は激務だった。月曜日は5時眼授業。空き時間は修学旅行の生徒用のマニュアル(24P分)の最終版を完成させた。(不参加生徒の部屋割の変更などがそのつど必要になる。)翌日の学年会に提案するためである。学校を出たのは夜7時30分を過ぎていた。12時間労働である。火曜日も4時間授業+学年会で実質5時間。マニュアルを8部両面コピーするだけで一苦労。水曜日は視聴覚行事が昼からあった。授業は1時間だったが、疲れた。生徒を大声で叱ることがあったからだ。修学旅行はタイトな日程である。降雪などで予定が狂うことも想定される。時間変更などの連絡時に生徒は集中してもらわなければ困る。そんな話をしている時に、窓のカーテンを閉めだした生徒がいたのだ。その瞬間、私のスイッチがブチッと入ってしまったのだ。授業は1時間だったが4時間分くらい精力を使ってしまった。木曜日は4時間授業。放課後に職員会議があり、その後付添教員用の資料を20部コピーする必要があり、S先生・Y先生のご協力を得てなんとか空き時間に仕上げた。1時間強、打ち合わせ会で説明。もうくたくたである。金曜日は2時間しか授業はなかったが、ふらついての授業となった。空き時間は、現地バスの問題が出てきて旅行会社と折衝したり、保健室でアレルギー生徒の情報交換、次の水曜日の結団式に備えてパワーポイントの準備をしていた。生徒用のマニュアルは、6時すぎからI先生が350部全部印刷してくれた。火曜日に生徒と共に製本作業となる。ありがたいことである。

と、いうわけで、疲労困憊。この2日間我がブログのエントリーができなかった次第である。10月のエントリーが少ないのもそういう理由である。

昨日、妻といつものNクリニックに行ってきた。先日の血液検査を見た院長は、近くの糖尿病の専門医に行くよう宣言された。入院することになるかもしれないとのこと。(修学旅行、期末考査等を考えると、何が何でも冬休みまで入院する気はないが…。)要するにサジを投げられたわけだ。

実は、自分の身体である。限界状況なことは分かっていたのである。ここから修学旅行まで、出来るだけ疲れを取ろうと思う。妻から緊急事態宣言がでて、食事も野菜中心に一気に変わった。