2013年4月30日火曜日

第1回修学旅行委員会

漁業体験の場所・寿都漁港
4月も今日で終わりである。今年のGWは、見事に2分割されていて、今日などは生徒もなんとなく気が入らない感じである。(笑)そんなことはお構いなく、学校行事上沢山の会議が催された。生徒議会、厚生委員会…。2学年としても前々から修学旅行委員会を設定していた。会議が多いので、使用場所の関係で昼休みに行ったのだが、チャイムが鳴って約1分間で全員4人×8クラス=32人、見事に勢ぞろいした。なかなか生徒もやるものである。

今日の議題は委員長、副委員長を決めることである。すんなりと立候補者が出て決定。これまた、なかなかやるもんである。さらに、これからの日程を説明した後、最大の懸案となる事項を説明した。修学旅行の第3日目、ニセコでアクティビティを行う予定なのだ。11月と言う季節外れのアクティビティなのだが、部活の試合優先の本校では仕方ない。酪農体験と漁業体験である。酪農体験は、乳牛の世話を中心に牧場を見学する。漁業体験は寿都漁港で、魚の選別や実際に漁船に乗ったりするらしい。酪農体験の昼食はジンギスカン。漁業体験の昼食は海鮮バーベキュー。さて、非公式に32人に聞いてみた。どっちがいい?

なんと漁業体験が圧倒的人気だった。「やっぱ海鮮バーベキューの魅力っすかねえ。」とは、共に1泊2日北海道弾丸下見ツアーに行ったI先生の言である。(笑)私などは、くそ寒い時期に漁船に乗るなど、勘弁して欲しいところだが…。生徒の意見は面白い。今のところ、漁業体験の最大受入数は200名。酪農体験の方は20人受け入れ×15軒=300人。本校の生徒数は320人なので、なんとか調整可能だと思う。

この修学旅行、できるかぎり生徒自身の手で自主的に運営したいと私は念願している。まずは第一回委員会、好調な滑り出しというところか。

2013年4月29日月曜日

横尾忠則現代美術館に行く

外観は極めてフツーなのでミュージアムショップの写真を
GW三連休である。今年度は時間割がきびしいので、この土日はゆっくりと静養した。でないと次週の体調がが厳しい。歳をとったもんだ。とはいえ、今日こそは、どこかへ行きたかった。妻と相談の結果、前々から行きたかった神戸市・灘の横尾忠則現代美術館に行くことにしたのだった。

JR灘駅を降りて、JICA関西と反対の山側に、美術館はある。横尾忠則は、70年代の高校時代、デザインを学んでいた私たち夫婦にとっては、超スーパースターである。ビートルズが、インドに興味を持ち、サイケデリックとアジアンティストを見事なまでに芸術的に高めた時代である。横尾忠則のデザイン(特にポスターの類)は、まさにその時代の延長線上にある。

その横尾忠則が、FINE ARTの世界に入ってからも、様々な話題を提供してきた。彼の作品を集め、特化した美術館が出来たのである。開館直後から行きたかったのだが、まごまごしているうちに今は、二回目の展示になっている。どんどん更新していくらしい。

「ワード・イン・アート」というのが開館記念展Ⅱのテーマである。つまり絵画の中に「文字や言葉」が描かれている作品特集というわけだ。これがなかなか面白い。文字を全く左右上下に逆転して描いたり、ギリシア文字や数字を配置することで、さらに不思議な世界が広がっていたりする。また、言葉そのものを描いたものもある。「天才ハ忘レタ コロニィ ヤッテ狂ウ」(タイトルは天の足音)などが、その代表作であろう。面白い。横尾忠則はやっぱり、私たちの世代のスーパースターなのであった。ところで、彼の自画像が三点並んであったのだが、全てニーチェと同じポーズである。その辺もFINE ARTに対峙する彼の立場を暗示しているような気がする。

2013年4月28日日曜日

NHK「八重の桜」を応援する理由

NHKの大河ドラマ「八重の桜」の視聴率がどうも芳しくないらしい。私はこのドラマ、面白くて仕方ないのだが、その理由を少し考えてみた。最大の理由は、これまでの幕末・維新ものの中では珍しい「会津」という視点から描いているからだと思う。松平容保という人は、最初は養子という立場故に、幕府を護るという藩是を愚直なまでに貫き、京都守護職となってからは孝明天皇への至誠を貫いた。この辺、ドラマは上手く表現している。会津という超保守的な藩の本質もうまく表現していると思う。会津の人々の美学は十分魅力的だと私は思うのだが、地味に映るかもしれない。

薩長から幕末維新を描くのは、実にドラマチックで面白い展開になる。会津はまさにその「陰」なので、どうしても面白みに欠けるのかもしれない。しかも主人公の八重の日常は会津にあって、さらに地味に映るのかもしれない。ドラマのつくりとしても、大きな問題があるとは思えない。ひとつだけ、あれ?と思ったのは西郷が蛤御門の変の時、乗馬姿だったシーン。西郷は離島に島送りになった際病気になった。,以来馬に乗れないはずだ。それはさておき、会津の敗者の美学は、異様なほどに美しいと私は思うのだが…。

ところで、4月18日に日経のエコノミクストレンドという記事で、東大の澤田康幸教授がTPPについて、面白い論を展開されていた。英米の経済学者の論文を引いて、「日本の幕末と明治初期の比較を行うと、1人あたりのGDPで約8~9%上昇している。」らしい。開国の経済効果は大と言われているわけだ。またアメリカとカナダのFTA(自由貿易協定)によって、カナダは製造業の雇用が約5%減少したが、平均的な労働生産性は約6%向上したという。すなわち生産性の低い企業が退出して、高い企業のシェアが高まるとも。この貿易自由化による企業の選別と生産性改善のメカニズム、ハーバード大学の教授の名をとって「メリッツモデル」と言うらしい。

さしずめ会津は、TPPという第3の開国にあたって、労働生産性の低い企業ということか。薩摩や長州など雄藩は、藩の経済革命を成し遂げ、人材登用も家格にとらわれず、西洋の銃器を購入し、一気に(軍事的な)生産性を高めていく。そもそも経済的にも人材登用でも保守的であった会津藩は、やがて幕末の象徴的なスケープゴートになっていく。

今の日本には、そういう敗北の美学も、効率や生産性よりも矜持を重視するという事も、ウケないということなのだろうか。がんばれ「八重の桜」。

2013年4月27日土曜日

受胎告知図とスーパーマン

典型的な受胎告知図
昨日モーニングで、日経の文化面(最終面)を読んでいて、面白い蘊蓄を手に入れた。今日はそのことを書こうと思う。作家の中野京子さんの「注文の多い宗教画」である。タイトルの受胎告知というのは、聖マリアに神の子が受胎したことを知らせる天使ガブリエルの姿を描いたシーンである。昨夏イスラエルに行った際、ナザレにも行き、受胎告知教会(建物自体は新しい。この教会のすく近くの場所に受胎告知があったといわれる洞窟のようなところがある。)にも足を運んだ。

さて、この受胎告知図は、時代が下がるにつれ約束事が決まっていく。マリアは赤い衣で、青いマント姿である。犠牲の血(赤)と天の真実(青)を示す。天使が来る直前まで聖書を読んでいたので、聖書が描かれ、天使ガブリエルは猛禽類の翼であること、処女性の証として白百合を天使が差し出す。天井からは聖霊を示す白いハトの姿。

このマリアの赤い衣(犠牲)と青のマント(天の真実)を逆に着ているのがスーパーマンというわけだ。私は、思わず膝を打ってしまった。スーパーマンも選ばれし犠牲の英雄である。こういう蘊蓄、実に楽しい。

ところで中野京子さんの記事では、シモーネ・マルティーニの受胎告知図について解説していた。このシエナ大聖堂の壁画では、天使が白百合ではなくオリーブを差し出しているのだ。(白百合は外せないので花瓶にさしている。)当時、シエナの町が敵対していたフィレンツェの紋章が白百合だったかららしい。…なるほど。宗教画とはいえ俗世にはいろいろあるわけだ。

2013年4月26日金曜日

毎日 ブルキナ報告「瞳輝くまで」

ゆで卵を売るブルキナの少女
毎日新聞で今週月曜から金曜まで、ブルキナファソ報告「瞳輝くまで」という連載記事が掲載された。ブルキナにいる子供たちの姿を3か所から報告したものだ。月・火と、マリから逃れてきたトゥアレグの難民の子供たち。水は首都ワガのコーラン学校の子供たち。木・金は、ワガの東にある金鉱で働く子供とそこからさらに100km離れた町にある職業訓練学校。

ブルキナに足を運んだ私としては、実感が伴う記事であった。遊牧の民・トゥアレグの人々とは、サヘルの村やゴロンゴロンという町の家畜市で接したし、ワガでは文化人類学者の荒熊さんの調査に付き合って、コーラン学校の子供やホームレスの子供の姿を追った。

こういう記事を読むと、たしかに最貧国のブルキナの子供たちには未来がないような感覚を覚える。記事の横にある「世界子ども救援金募集」のお知らせに見事に繋がる。彼らのためになにかしてあげたいと思うのは純粋な想いだ。そういう気持ちは大事にしたい。しかし、私はこういう悲惨さだげが全てだとは思わない。上から目線で、ブルキナの子供たちを見るのは、どうも違うと思うのだ。たしかに、ブルキナでは、子どもは親の所有物的な側面がある。日本の子どもなら考えらない様な苦難を経験している。アマルティア=センの言うように、「貧困とは潜在能力が生かされない状態」だと私も思う。彼らの潜在能力を生かす機会は日本の子どもたちに比べはるかに低いだろう。だが、彼は生きる力をもっている。いかに悲惨な状況であれ、かれらは誇りを持って生きているし、前を向いている。そのことだけは、私は声を大にして教え子たちに伝えたい。

募金をすることを否定しているのではない。上から目線ではなく、同じ地球で共生している仲間として、彼らの手助けをして欲しいと思うのだ。

今読んでいる「謎の独立国家ソマリランド」(4月18日付ブログ参照)に次のような記述がある。著者が難民キャンプを訪れた際に、ニコニコした笑顔の難民を見ることが多いということについて語っている部分だ。

『なぜ、難民や重傷者の家族が笑顔を見せるのか。それはきっとホッとしているのだと思う。彼らは戦乱や飢餓から必死の思いで逃れてきた。難民キャンプにしても病院にしても、やっとたどりついた「安全地帯」なのだ。そして私たちのようにカメラを構える外国人は「自分たちを助けてくれる人」と無意識に認識するのだろう。だから、警戒心もなく、むしろ仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう。これが現場のリアリティである。』

毎日新聞の記者の方に悪意はないだろう。こういう連載記事の意義も大いに認めるところである。だが、往々にして、アフリカの人々や子どもたちの「リアリティ」を失うこともあるのではないかと危惧するのである。

幸い、最後の最後に、職業訓練学校に通う少年の記事から、そのリアリティを感じた。「僕はここで(金鉱で働いていたために失いかけた)将来を取り返すんだ。」…そう、ブルキナの人々は、苦難に耐え、そして何があろうと常に前を向いている。我々が彼らから学ぶことはこれだ。

2013年4月25日木曜日

春の夜の夢、美保基地航空祭

「お父さん、お父さん。」と妻が新聞広告を見て叫んだ。夕食後のことだ。「ブルーインパルスが美保基地というとこで飛ぶで。河内磐船駅集合(注:日帰りバスツアー)。」「おお。」「インターネットで申し込みやて。」「おお。」と、言うわけで、急いで検索してみた。

「うん?×がついてる。」「もう満員なん?」「…みたい。」「今日の広告やで…。」「…。」「他にない?」「姫路発。」「無理やな。」「福知山発…。」「あかんな。」
と、いうわけで、ブルーインパルスとの再開は一瞬の夢と化したのであった。(笑)

この美保基地、米子空港に隣接しているらしい。かなり遠い。でも行きたいよなあ。一度でもブルーインパルスの演技を見た身の上としては、追っかけにならざるを得ない。あの空を切り裂くような爆音と、航空燃料のかすかな匂い。うーん、たまらん。

「やはり、岐阜基地ねらいやな。」と妻は言ったのだった。全然、あきらめてない。(笑)

2013年4月24日水曜日

アフリカSDゲーム報告 その2

現代社会演習の普通科と武道科・体育科の2クラスで、アフリカSDゲームの準備段階の授業をした。生徒用のマニュアル(全9P)を配布し、概説した。アフリカというと、貧困というイメージが強いが、ここ数年は、日本などより経済成長率が高い。それは、天然資源によるレントによる収入である。アフリカSDゲームは、このレントと農産物収入(エントリーした国々の最も多くの人々は農牧民である。)をもとに、持続可能な開発を進めていくゲームである。

レントは、各国で産出する資源によって収入が違う。しかも国際価格に左右されるので、毎回ファシリテーターである私がサイコロを振り、その結果で価格が上下する。一方農産物は各国の天候等に左右されるので、チームの行政マンの代表がサイコロを振る。この結果で収入が上下する。

さて、この収入を元に、持続可能な開発を進めるのだが、各国共通の政策を8つ設定した。最近の開発経済学で重視される項目である。さらに具体的にはレベル1から3の具体的政策がSDボードに設定されている。それぞれ政策実行に必要な費用も設定されている。

1.教育
2.保健医療
3.農業の生産性向上
4.エネルギーの整備
5.交通インフラの整備
6.投資関連法律と金融の整備
7.経済格差の是正
8.治安

これに、各国はそれぞれの国に必要だと思われる政策をプラスする。外務省の資料をもとに各国の資料を作成した。10の政策を設定した。全エントリー国が対応できるもの、限られた国だけが選択できるものがある。

1.観光 2.エイズ対策 3.情報インフラの整備 4.水産業の振興 5.林業の振興 6.水資源開発 7.内戦後の社会復帰 8.鉄道建設 9.科学技術振興 10.地方分権対策

さて、この共通8項目と選択1項目の優先順位を次の時間、じっくりと生徒たちに検討してもらおうと思っている。今回のゲームの基本コンセプトは、「ゲームの中で学ぶ」ということである。単なる興味付け・導入ではなく、講義の後で楽しむゲームでもない。ゲームの中で様々なアフリカのことや開発経済学の概念を学んで欲しい。どんどん質問してもらい、自分たちで考えて欲しいと思っているのだ。明日の普通科での授業では、ダイヤモンド・ランキングを使う予定である。

2013年4月23日火曜日

人口支持力から世界史を見る。

開発経済学から世界史の始まりを見る時、「人口支持力」という視点が最も重要ではないかと私は考えている。文明の始まりは、メソポタミアやナイル流域など、乾燥地帯に外来河川が定期的な洪水を起こすところから始まっている。小アジアの山脈の雪解け水や、サバナ地域の雨季といった降水量の変化が生む「妙」であるが、その際に豊かな土壌を運んで来るわけだ。労せずして肥料を得れるようなもので、農業生産性が自然と高くなるわけだ。しかも、その生産性をさらに高めるためには測量や土木技術、暦などのスキルが必要となる。人口支持力とは、その地域の食糧生産量がどれくらいの人口を養えるかという事である。メソポタミアやナイルは、その人口支持力に余裕が生まれたからこそ、農業を行わないスキルを高めた専門家を養うことが可能となったし、都市を育むことが可能になったのである。

一方、ギリシアでは、その国土自体、山がちで人口支持力が高いとはいえなかった。だからこそ植民市を建設していくことになる。植民市が広がっても、ギリシアはアイデンティティを失わなかった。それが、ギリシア語であり、ホメロスであり、ギリシアの神々であったわけだ。人口支持力の低さが偉大なるギリシア文明を生んだとも見える。このような視点がないとギリシアがわからないと私は思う。

全国的にカリキュラム改編の時期で、本校では私の教えている2年生から世界史Bは2年で2単位+3年で2単位の計4単位になってしまった。(私が赴任する前に決定されていた。ちょっと信じられない。)どうしても学習範囲を精選しなければならない。オリエントは面白いのだが、3時間くらいで駆け抜けた。その基軸が「人口支持力」であったわけだ。無理にシュメールやらアッカドやら、国名を詰め込むよりは、歴史って面白いなあと思わせることに重点を置いた格好だ。

もちろん、授業の内容は上記のような理論的な話だけではなく、雪解け水を理解させるためにはキャンディーズの歌も歌う。授業はエンターテーメントだ。(笑)「人口支持力」から見る世界史B。ギリシア理解とも重なって、まあ成功かなと思う次第。

2013年4月22日月曜日

映画テルマエ・ロマエを見る

土曜日だったか、TVで映画「テルマエ・ロマエ」を見た。我が家では、息子が日本にいる時に漫画を買ってきて、妻が熱心に読んでいた。「聖☆おにいさん」のような教養が加味された漫画は我が家では大いに好まれる。この「テルマエ・ロマエ」はその延長線上にあるような気がする。ただ、私は読んでことがなかった。

と、いうわけで、私は映画が初遭遇である。妻に言わすと、かなりはしょってるらしい。そりゃ当然である。原作を知っている者には、第二次的な作品化はいつも物足りないというのは真理だ。だが、私にとっては、大いに面白かった。古代ローマの公衆浴場の設計技師が現代日本にタイムスリップし、その浴場文化をローマで具現化する。その一つひとつがパロディであり、笑える。

上戸彩扮する漫画家の女性の元に何度も現れ、やがて彼女や彼女の故郷の父やその仲間も古代ローマにタイムスリップし、彼を助けるのだが、最後の会話が俊逸である。うろ覚えで申し訳ないが、次のような会話だったと思う。「また会えるかしら。」「会えるさ。だってすべての道はローマに通ず。」

落語である。まさにオチとしてこれ以上のものはないだろう。そんな感想をいだいたのだ。原作、読んでみようかな。

2013年4月21日日曜日

平野克己先生のアフリカ文庫本

先日の京大のゴリラの講演会(4月13日付ブログ参照)の時、後ろの席に学生さんが3人座っていた。休憩時に、将来の話やブルキナの国名などが聞こえてきて嬉しくなって、つい声を掛けてしまった。(笑)聞くと女子学生は、関西大学の学生さんだった。「では政策創造学部かな?」と言ったら正解だった。なんでも平野克己先生が関西大学に来られるのだという。「ならば、『経済大陸アフリカ』は読んでおいたほうが良いよ。」と私は言った。すかさずメモをとってくれたのが嬉しい。こういう学生さんが、これからの国際協力をささえていくと思う。

その時言うのを忘れたのだが、平野先生が監修されている文庫本がPHPから出ている。『日本人が知っておきたいアフリカ53カ国のすべて』という、ちょっとベタなタイトルだが、さすが平野先生監修ということで、見事に各国の事情をコンパクトにまとめられている。もちろん国の重要度によってページ数は違うのだが、「シャーマンと呪術」「アフリカの通過儀礼」といったコラム、日本語で読める参考文献もなかなか充実している。

巻末のアフリカ53カ国のデータ一覧も、国名、首都、独立年月、人口、面積、公用語ときて、平均寿命(男女別)、国内総生産、1人あたり国民総所得、識字率が記されている。
その国のHDI(人間開発指数)の特徴をすぐ見れるようにしているところが、やはり平野先生である。HDIは、その国の豊かさを示す開発経済学における国際的な指標で、経済(1人あたり国民総所得)、保健(平均寿命)、教育(識字率)といった視点(本当はもう少し細かくあるが、普通これで十分判断可能だと私は思う。)から見るのである。

もちろんアフリカのことを学びたい方への絶好の一冊である。これだけの情報をよくぞ文庫本に詰め込んだという本である。お勧めである。

追記:前任校のOGのT君からメールがあった。平野先生の講演会の日程をわざわざ教えてくれたのだった。5月14日(火)13時から14時半、関大第二学舎F棟403教室。内容は「中国とアフリカの関わり」一般参加OKらしいが、私は当然、行けないよなあ。T君、情報ありがとう。

2013年4月20日土曜日

ナミビアのシロアリ塚の話

ナミビアの地図を見ると、北東部に長く伸びた地域がある。これが、「カブリビ回廊」である。ナミビアの宗主国だったドイツが、同じく植民地にしていたタンガニーカ(タンザニアの本土)とザンベジ川を通じて結ぼうとイギリスと交渉した結果、ザンジバルと交換という形で領土にしたという地域だ。「カブリビ」という名は、当時のドイツの外相の名前である。

前々から興味があった地域なのだが、先週アフリカ学会の講演会の後で重田先生からいただいた『ZAIRAICHI』(4月14日付ブログ参照)にこのカブリビ回廊にある村での地域研究論文が載っていたので紹介したい。山科千里さんという京大の研究員の方の『ナミビア北東部、氾濫原に暮らす人々のシロアリ塚利用』という論文だ。

論文には、シロアリ塚に関して、まず面白い記述がある。シロアリ塚は、アフリカ東部や南部ではその土が農業に利用されたり、解毒やミネラル接取のために子供や妊婦、家畜、野生動物に好んで食されたりすること、シロアリ自体も重要なタンパク源になること。文化的な側面では西アフリカではシロアリや塚が信仰の対象となっている地域があること、東アフリカの一部地域では邪悪な存在と見なすこと、南アフリカのサン人の壁画にはシロアリと霊的な世界の結びつきが描かれているという。

さて、山科さんが調査されたM村は、ナミビアでも湿潤な地域で、特に雨季には洪水で部分的に冠水する氾濫原の村である。この村でGPSを使い、分布を正確に掌握したうえで聞き取り調査をしたもので、特に山科さんは、この地域のシロアリ塚の形態をもとに調査を進めている。高さ2~4mの煙突型、直径20m以上のマウント型、その中間型と3種のシロアリ塚があり、塚の直径が大きくなるに従って塚上に樹木(常緑樹)の密度や種類が多くなるという。

京大アフリカ件HPより
煙突型は住居の壁材として活動中のものが利用されている。シロアリに放棄された中間型は家畜囲いとして利用されている。氾濫原という地域の特性で、小高いということで家畜を守れるということもあるが、強い日射から常緑樹で家畜を守るという面でも有用であるわけだ。さらに、マウント型では特定の作物(カボチャやニンジン:水分の多いおいしい野菜がつくれる)の耕作地として利用されていた。意外な利用法としては、マウント型には特定の植物が生育するのでランドマークとしても利用されているという。壁材としての利用は他の地域でもあるが、マウント型などの利用法はこの地域特有のもらしい。

アフリカのサバナ地帯では、シロアリ塚をよく見る。私もケニアでも故ピーター氏に教えてもらい、煙突型の大きなものを見て、びっくりしたことがある。日本ではいいイメージのないシロアリだが、アフリカでは極めて利用価値の高い在来知であるわけだ。

2013年4月19日金曜日

日経 「リクルート」の連載記事

日経で、今週は毎日「リクルート」について、第2面に連載記事が載っていた。「リクルート」とは、我々の世代なら大学時代の就職本の「リクルート」であり、政界をゆるがした「リクルート事件」の「リクルート」である。江副元社長が逝去したこともあって、様々な角度からこの企業を論じていた。

江副元社長は、毀誉褒貶のある人だが、人材育成の天才だったらしい。新人の社員が契約を初めて取り、会社に喜びの報告を入れると、上司の褒めコメントだけでなく、オフィスにいる社員たちから拍手喝さいが聞こえるようにしたという。たしかにその新人社員、感激するだろうなあ。

今も元リクルートの社員は、様々な企業で活躍しているという。江副イズムを吸収した人材が会社を離れ独立したり、ヘッドハンティングされて活躍しているのだという。今日は楽天で活躍する元社員の話も載っていた。なかなか面白い連載記事だったのだ。

ところで、私の商業高校時代の教え子でK君という人物がいる。もう50近いので生徒と呼ぶのは憚れる。ちなみに彼の奥さんも私の教え子で、今も連絡を取り合っているのだが、実は彼は元リクルートの社員なのだ。本来なら実家を継ぐ予定で商業高校に来たK君だったが、私に一般企業に就職したほうがいいと言われ、「リクルート」にエントリーしたのだった。ちなみに彼は高校生なので、大学生なら絶対的知名度があるこの企業を知らなかった。面接試験の練習を担任だった私は買って出た。「絶対試験官から目を逸らすな。」という鉄則を叩き込んだのだった。成績はフツーだったK君だが、なんと高校生の部の最終面接まで残った。

そこで、面接官から、「なぜ本社を受験したか?」と厳しい口調で聞かれたらしい。「就職情報誌の営業(募集は『営業職』だった。)をやりたいからです。」と毅然と答えたら、「君のような若造が、中小企業の経験豊かな社長から、就職募集の注文が取れるとでも思っているのかっ!」と一括されるのだ。間髪を入れず、K君は「取ります!」と答え、面接官と約1分間ガンの飛ばしあいをしたらしい。K君によると、他の面接官から「まあまあ」と仲裁に入ってもらい、最終面接は終了したそうだ。凄い面接である。(笑)彼は最後まで私の教えを守り通し、結局合格してしまったのだ。後でわかったのだが、全国で採用された高校生はたった2名だった。K君はなぜか大阪本社の経理にまわされたのだが、毎日25時くらいまで残業をして、莫大な給料(と言っても使う時間がないほどの…)を貰うことになったのだった。

リクルートはたしかに面白い会社である。人材育成に長けている。なんといってもK君の面接がそのことを物語っていると思うのだ。だからこそ、日経の連載記事に強い属性を感じて毎日読んでいたのだった。

2013年4月18日木曜日

「謎の独立国家ソマリランド」#1

先週、京橋に出たときに、前から気になっていた「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行著/本の雑誌社/2月20日初版)を手に入れた。プロローグを少し立ち読みしたら止まらなくなったのだ。文庫本や新書しかめったに買わない貧乏教員としてはちょっと勇気がいったが、これも運命(さだめ)である。(笑)2200円+税。500ページを超える重い本でもある。

この本、ものすごく面白い。読み出したら止まらない。著者の高野氏の本は他にも読んだことがあるが、読みやすい文章を書く人だ。学術書ではないノンフィクションなのでよけい読みやすい。一気に読むともったいないので、できるだけ登下校の車内限定で読んでいる。今日現在で1/3ほど読んだ。ガンガン赤線を引きながら読んでいる。と、いうのもソマリアの内戦についてはなかなか複雑で、概説された文書はいくらか読んだが、ソマリアの事情は、もうひとつわかりにくかった。しかしここには玉石混合で様々な貴重な情報がちりばめられているからだ。

ソマリランドという元イギリス領植民地だった地域だけが、武装解除して平和になったことは有名だ。ソマリアという国は、アフリカには珍しいほぼ単一民族国家で、「氏族」の長老が話し合い停戦合意したのだが、なぜ話し合いで解決できたのか。その疑問に、この本は見事に答えてくれている。その辺の核心部分については次回に譲るとして、今日のエントリーでは、この本の前半部を読んで私が「おおっ」と思った非核心部分について述べたい。

イギリスがソマリランドを植民地化した時、解放のための武装闘争を行った。この武装勢力を「ダルヴィーシュ」と呼ぶらしい。イスラムの神秘主義(スーフィー)の修行僧を意味する。テキサス・レンジャーズの投手・ダルビッシュは、この「ダルヴィーシュ」と同じ意味であるという。こういう、どうでもいい蘊蓄こそ面白い。当然、授業で使うぞ。いや、もう使ったぞ。

もうひとつ、まさにどうでもいいことなのだが、著者はソマリランドで、スバゲティを食している。ただ、フォークを使わず、手で食するのだ。昔、大阪のドーンセンターというところで、ソマリアを支援するNGOが主催した異文化理解としての「ソマリアの昼食」というワークショップに参加したことがある。その時の昼食が、ナポリタン・スパゲティを手で食べるというものだった。私は疑心暗鬼だったのだが、あれは本当だったのだった。読者にもやってみることを勧めるが、床に数人分ののスパゲティを置き、座って右手だけで食べてみてほしい。これがなんとも難しい。四苦八苦するのだ。服が汚れることは間違いない。(笑)著者も同様の感想を書いている。

とにかくも、この「謎の独立国家ソマリランド」、アフリカに興味を持っている方には超お勧めの一冊である。

2013年4月17日水曜日

アフリカのウィキリークス

朝日の朝刊に、NYCから祖国の不正を追及するアフリカのネット記者『サハラ・リポーターズ』の話が載っていた。祖国にいる読者から、スマホなどで情報や写真、映像が送られてくる。2000人の匿名市民リポーターがいるそうだ。ナイジェリアを中心に徹底した政府の不正を追及している。たとえば、「パイプラインから石油を抜き取ろうとして30人以上が死亡したニュースを流し、彼らを責めることができるか?政府は失業者を放置しているのだから。」と女性キャスターが訴えるといった具合だ。ナイジェリアには『言論の自由』はあるが、『言論後の自由』はない(入国したら拘束すると何度も政府に通告されている)と彼らは、NYCを拠点に活動しているわけだ。アフリカのウィキリークスと呼ばれているらしい。

とはいえ、ハッカーがあったり、損害賠償訴訟されたりと、権力の圧力はやまないらしい。しかし読者との双方向性やソーシャルメディアを活用し、『市民を巻き込んだ報道』を行っているのだ。

情報の真偽の確認など匿名性に問題は残るけれど、こういう動きがあることに私は驚いた。アフリカでのモバイルの普及速度はとにかく凄い。まだまだ電話が中心だが、識字率が向上すればネットの利用者はさらに爆発的に増えるだろう。アフリカではレンティア国家となり、莫大なレントを握る政府官僚の汚職が蔓延している。それをガンガン暴こうというのだから凄い。

ふと、『ホテル・ルワンダ』で登場したラジオDJの声を思い出した。(映像は全くなく、DJの声のみが、ツチとフツの大虐殺を煽るのだ。)このアフリカのウィキリークスの報道が、非建設的な暴力にだけは繋がらないように祈りたい。

2013年4月16日火曜日

アフリカSDゲーム報告 その1

今年は、3年生の普通科と武道科/体育科2クラスの「現代社会演習」(2単位)という教科を担当することになった。選択科目で、これまでずっと担当してきたF先生の言によると、積極的に選択したという生徒より、消去法で選択した生徒が多いそうだが、新しいアクティビティの実験的な実施には好都合であると私は思っている。

この授業で、いよいよアフリカSDゲームが始動した。前回はケニアの写真を見せたり、オリジナルの『ケニア人生双六』で導入としてやってみたのだが、私の「同情」ではなく「共生」という地球市民を育みたいと言う想いは、全員にいきわたったようで、皆真剣に聞いてくれた。
今回は、ゲームのチーム分けをしたうえで、国を決めてもらうという算段だ。最初の授業でちょっと試験をしてみた。たとえばBRICSのそれぞれを答えれるかや、円高の意味がわかっているかなど、現代社会の基本的な設問をした。その成績を元に事前に分けたておいたのだ。その発表は楽しみにとっておくとして、アフリカの画像を見せたのだった。このアフリカ画像、SDゲームのチーム(今回は人数の関係で、6チーム、すなわち6カ国)を紹介したものだ。

私の選んだ6カ国は以下のとおり。ウガンダ・タンザニア・ニジェール・ザンビア・マダガスカル・モザンビークである。これらの国に共通するのは、最近レンティア国家として経済成長が進んでいたり、進む可能性の高い国である。ウガンダは石油、タンザニアは金、ニジェールはウラン、ザンビアは銅、マダガスカルはニッケル、モザンビークは天然ガスといった具合である。

画像を見せた上で、チーム分けを発表した。さあ、それぞれのチームで、どの国でエントリーするかを決める。武道科/体育科で、人気だったのはマダガスカル。アニメ映画の影響かな?(笑)男気じゃんけんで決めていった。かなり盛り上がったのだった。

本日の実践報告はここまで。徐々に「アフリカSDゲーム」の事をエントリーしていこうと思う。

2013年4月14日日曜日

ブルキナのマイクロファイナンス

昨日の講演会の後で、『ZAIRAICHI』という研究誌を重田先生からいただいた。若手の研究者を育成するための雑誌であった。重田先生の「刊行によせて」によると、この研究誌のタイトル『ZAIRAICHI』は、「在来知」を意味するそうだ。「人々が自然・社会・環境と日々関わる中で形成される実践的、経験的な知」を意味する。これは伝統知と近代知、科学知といったこれまでの知では捉えきれない知である。さらには、開発学と人類学の対立を止揚する概念でもある。しかも、グローカル(global+local)な文脈でフィールドワークから導かれるといった研究方法をとるとのこと。

私は京大のアフリカ地域研究資料センターの、単なる文化人類学的なスタンスから脱して、持続可能な開発の視点をも併せ持ち、同時に地域研究とグローバルな視点の止揚を図ろうとする研究のスタンスをいつも素晴らしいと感じている。以前(2010年4月29日)、『コンゴのオナトラ船と「猿」論争』というエントリーで論じたように、往々にして伝統知を正義とする文化人類学と、近代知・科学知を正義とする開発学は対立する。私は、開発側からアフリカ研究(所詮市井の高校教師なので、研究というほどではないが…。)に入った。だが、文化人類学の研究は、近代知・科学知を超克すると思っている。開発経済学が目指す(アフリカにとっての)豊かさとは、近代知・科学知だけで測ることはできないと常々思っているのだ。京大の皆さんのこういう研究に大いに期待している次第。

さて、今回いただいた創刊号には5本の論文が掲載されていた。創刊号の大きなテーマは、「アフリカにおける社会的な性差を基盤にした知識や技法を理解するためのあらたなアプローチ」である。以前公開講座で、エチオピアの土器づくりを講義していただいた金子先生が、ジェンダーを中心に研究したものはほとんどないが、必ずフィールドワークの中で研究者はジェンダーにまつわる経験をする旨を書かれている。と、いうわけで今回は、この5本の論文のうち、神代ちひろさんの「ブルキナファソ農村地域における女性住民組織によるマイクロファイナンス運営」について、感想を述べておきたい。

この論文は、ブルキナの北西部のパラコ村、(ブワム語を使うブワ人:人口は約3000人)でのフィールドワークの詳細な報告である。ブルキナでも女性住民組織を中心にマイクロファイナンス(MF)が利用されている。これまでの研究の多くはある特定のMFを実施する機関(MFI:政府系、商業銀行、MF専門銀行、信用金庫、共同出資型組合、NGO/NPOなど)からの目線で、アウトリサーチ的な分析に留まっていた。それに対し、この論文では、MFIを利用する側からの目線で、そのMFI活用と、その後MFIの介入を嫌い自己資金でMFを運営する能力を得た人々の研究である。
調査対象の女性住民組織はハナーミ(何かを作り出す意味)と呼ばれる、村に13ある組織の1つである。(この数は、隣村が2しかないことを鑑みるとかなり多い。)現金収入を得る為の菜園づくりを目的に、1997年の設立時のメンバーは37名。現在は30歳代を中心に54名に増えている。最初は、様々なMFIから融資を受けており、返済期間や利子率などをめぐり交渉を重ねてきた。やがて、自主運営のMFも行うようになる。「健康のおかね」という老後のための貯蓄(毎月500CFAだから100円ほど)を会費とし、この貯蓄金がクレジットに運用されている。ハナーミは、MFIとの折衝経験の中で、会費や返済金の集め方、さらに貸付・記帳の仕方などを習得したらしい。神代さんは、それを可能にしたのは次の3点だと結論づけている。1.ハナーミの自律性の高さ。2.MFを運営できる技術の定着。(書記の継承もうまく行われている。)3.個人の会員がきちんと借入金と利子を返済している事実である。

私が大きな関心を寄せたのは、次の記述である。「就学歴があるのは会員の3割。識字教育を受けた経験者は4割。幹部11名のうち、3名に就学歴があり、書記と代表のみ公用語の仏語を習得。」
…ブルキナファソは、最貧国のひとつで、HDIの順位も極めて低いのだが、それは1人あたりGDPの問題ではなく、就学率と保健衛生の数値が低いからなのである。特に女性の就学率・識字率は低い。だが、このハナーミのように、仏語を扱える人材さえいれば、誠実で人柄の良いブルキナべ(ブルキナ人)なら、マイクロファイナンスの自主運営まで出来るわけだ。

…私はその事実が嬉しいし、ブルキナの教育改革に頑張っているゾンゴ氏との対話を思い出した。ゾンゴ氏はJICAのスマッセという理数科教育のプロジェクト全体のカウンターパートであった。若いが視学官という高級官僚で、来日経験もあった。JICAの専門家に通訳していただきながら、様々な話をさせていただいた。彼がこの研究成果を知ったら、たとえ嬉しくとも無表情で、また様々な思索をしつつ、これを教育政策に生かすだろうと思う。

彼は、ブルキナの未来を教育で拓こうと懸命に仕事をしていた。彼のコトバには、儀礼も愛想もなかった。全てが箴言であった。世界でも最底辺の教育状態を脱することに全てを捧げている懸命さが伝わる。本当に信用できる人物だった。彼が存在しているだけで、ブルキナの未来は決して暗くないと私は思っている。

2013年4月13日土曜日

アフリカ学会 公開講座4月

たんぽぽと京大稲森財団記念館
アフリカ学会創立50周年記念の市民公開講座『アフリカ研究最前線:アフリカ、その魅力と可能性』第二回は、京大理学部のゴリラ研究の第一人者・山極寿一先生の「アフリカの自然が作った人間」である。今日は前京大アフリカ地域研究資料センター長の重田先生が司会に立たれ、院生の時、山極先生がゴリラ研究の為に初めてアフリカに旅立たれるのを見送られたとの話をされていた。なんか、すごくいい感じで始まったのだった。

さて、毎回のように京大の公開講座や講演会に行かせていただいて思うのだが、先生方の語られる質が高いのはもちろん、伝えようとされる量がどうしても制限時間というキャパを越えてしまうことが多い。私どもとしてはありがたい事なのであるが、本日の山極先生の場合、質・量とも特にハンパではなかったといえるだろう。山極先生は理学部の教授であられるし、理系らしく手際良く論点を進めていかれる。しかも切り口が剃刀のように鋭い。何度か私のブログで引用している外山滋比古先生の『思考の整理学』には、「講義や講演を聞いて、せっせとメモを取る人が少なくない。(中略)めったにメモをとらないことだ。ただぼんやり聞いていると、大部分は忘れるが、本当に興味のあることは忘れない。」などと書かれている。本当は、外山先生の指導よろしく、ぼんやり聞いてみたかったが、なんのなんの、あまりの質と量の快刀乱麻さに、メモしきれなかったというのが今日の実感である。(笑)

講義の最大の論点は、「なぜ、人類はアフリカを出たのか。類人猿はアフリカを出れなかったのか。」である。類人猿とは、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンを差す。最もヒトと祖先が近い猿である。その最大の原因として、共に居住していた熱帯林と、地球の寒冷化(乾燥化)という自然環境の変化が挙げられる。山極先生は、物凄いスピードで、熱帯林の状況や、そこで得る食物環境、鳥類や植物の様々な着目点を語られた。
で、私がぼんやり聞きながら、メモしていて興味を抱いたこと。それは、一般の猿と類人猿の食の構造の相違という問題である。ニホンザルなど、一般の猿は強者の論理で食べる。つまり、弱者が食べ物を見つけても強者に横取りされるのだ。それに対して、類人猿はヒトも含めて強者は弱者に分け与えるのだという。この類人猿の食の構造が「共感」というコミュニケーション能力を彼らに与えたのではないかというのだ。無茶苦茶面白い話ではないか。

もうひとつ、脳と消化器のトレードオフという問題である。類人猿の中でも、ヒトは二足歩行するとともに、他の脅威となる動物から身を守るために、家族主体でありながらも社会的集団行動をも、取るようになった(互酬性)。また多産化し種の保存の強化を推進したらしい。そんな中で肉食と、火の使用で、植物を主に食する他の類人猿と異なり、消化器が小さくなり脳が発達したのだという。それだけ栄養をうまく享受できるようになり、そのあまったエネルギーを脳に使えるように進化したというわけだ。この脳の発達でヒトはホモ=サピエンスとなり、やがて言語を発明していく。瞳もまた、ホモ=サピエンスだけが、白眼を持ち言葉とともに目でコミュニケーションを図れるようになったという。こういう進化によって、アフリカの寒冷化(乾燥化)に際して、熱帯林を離れることが可能になったのだという。…なるほど、なるほどである。

その他にもゴリラの面白い子育て論やヒトのみが有する子供期や青年期の解説などを語っていただいた。それだけで、いくつエントリーできるやもしれぬほどの質・量である。(笑)最後に、一番記憶に留めておきたいことを記しておきたい。それは講義後の質問タイムでの回答の1つである。

山極先生は、この時、現代への警鐘を語られたのだ。「猿の世界(強者の論理)のほうが、ある意味では効率的である。現代社会は、類人猿のface to faceの食のコミュニケーションをITなどの発達で失いつつある。これはまさに人間性の崩壊ではないか。」

…まことに同感である。私は完全文系人間なので、今日の講演は正直苦手意識を持って臨んだのだが、ホント面白かった。ゴリラの研究から人間性の真価を問う…。最高の学識に接したが故に感じた面白さだと思う次第。

山極先生、重田先生、京大アフリカ地域研究資料センターのスタッフの皆さん、今回も本当にありがとうございました。

2013年4月11日木曜日

ウフル・ケニヤッタ大統領就任

ウフル・ケニヤッタ氏が9日、大統領に就任した。今回は大統領選後の暴動もなく、まずはホッと一息である。このウフル・ケニヤッタ氏、初代大統領のジョモ・ケニヤッタ大統領の息子である。ウフルと言う名は、スワヒリ語で『自由』『独立』を意味する。

父のジョモ・ケニヤッタは、ケニアでは建国の父であり評判は良い。故ピーター氏の言によれば、その後のモイ第二代大統領の評判はかなり悪い。キバキ第三代大統領も、就任当初はともかく、その後はもうひとつである。このモイ、キバキのバックアップもあっての政治家人生を歩んできた。

お坊ちゃんで、二世政治家バリバリなのであるが、だから駄目だとは私は思わない。政治家に必要なのは、国民を幸せにするという能力だ。ケニアでも、鉱産資源が発見され、経済的にも大きな転換期を迎えている。さらに、前回の大統領選の暴動の責任を問われ、国際刑事裁判所に訴追されている身の上でもある。謙虚に、ケニアのために頑張って欲しいと率直に思うのだ。

父のジョモ・ケニヤッタ大統領は、『ハランベー(助け合い)』の精神を説いた。ハランベーはケニアの人々の美徳である。今こそ、グローバル化の中で、エスニックグループを超克した『ハランベー』を期待したい。

2013年4月10日水曜日

アフリカ・コレクション万歳

amazonから、ナショナルジオグラフィックのアフリカ・コレクションのカメラバッグが値下げしてますよというメールが何度か届いた。2年前、このシリーズの中型のバッグを購入して、以来毎日使っている。大のお気に入りである。使いこんできたなあという風格も出始めてきた。もうひとつあってもいいかなと思い始めたのが1カ月ほど前である。だいたい、ストレスがあると、発散するのに買い物することが多い。(笑)ストレスを払拭するには、欲しいものを手に入れるに限る。2年前なら2万円弱していた小型のリュックサックが、12544円。大分下がったもんだ。いつか手に入らなくなるだろう、ならば、と思い切って買う事にしたのだった。

この小型リュックサック、3WAYバッグと言った方がいいと思う。裏面を見るとよくわかるのだが、ものすごく簡単に普通のショルダーになるのだ。リュックにした場合の下部のところでベルトが左右に自由に行き来出るようになっている。凄いアイデアである。容量は少しばかりスリムだが、使いではありそう。季節ごとに使い分けようかなどと思っている次第。

ところで、私はまだ日本で、このアフリカ・コレクションのバッグを持っている人に出会った記憶がない。嬉しいような嬉しくないような…。イスラエルはテルアビブのカフェで、アフリカ・コレクションを持ったオバサンに出会ったことが唯一である。この時は、ものすごく嬉しかった。(笑)

この2つのバッグ、大事に大事に、末長く使って行きたいと思っている。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=X5607ssfqcQ

2013年4月9日火曜日

日経 途上国向け新薬開発

日経の小さな記事だが、アフリカの持続可能な開発にとって重要な情報を見つけた。厚生労働省が8日、外務省と共にUNDPへ7億円の資金を拠出するとともに、エーザイや第一三共などの日本の製薬会社ならびにビルゲイツ財団が出資しているGHIT(グローバルヘルス技術振興基金)ファンドに評議員や理事を派遣し、途上国向けの新薬開発を支援すると発表したというニュースである。

この途上国向け新薬と言うのは、熱帯地方で拡がる感染症の治療薬をさすそうだ。開発だけでなく、現地への流通の仕組みも整えていくという。厚生省や外務省は日本の製薬会社の途上国への進出を支援するという、およそ国益本位の話だが、先進国での需要が少ない故に開発が進まない感染症の対策への取り組みが進むと言う点は評価したいと思う。

…感染症と言えば、先日もエントリーしたエイズをはじめ、ポリオ、エボラ出血熱、レジオレラ症、新型ヤコブ病、眠り病、頷き病、O-157、結核、マラリア、百日ぜき、サルモネラ、狂犬病、テング熱…。まだまだアフリカには克服しなければならない疾病がある。アフリカの風土病もあるし、先進国ではすでに克服したものもある。
これまで先進国で需要がないから開発しなかったというのは、新薬開発が製造業などと違い、桁違いに開発費がかかるからだと思われる。しかし、アフリカの消費力が石油や鉱産資源のおかげで上向きだけに、販売の目途も立つという判断もあったのだろう。あえて、綺麗ゴトは言うまい。この新薬開発によって助かる命があるはずだ。

2013年4月8日月曜日

2年5組、始動。

リハーサルの様子
始業式である。いよいよ2年生の担任生活が始まった。今年は5組を受け持つことになった。1年生の時とは異なり、知った顔も多い。本校では、2年生は入学式で行う合唱の練習日である4日の日にクラスの名簿を発表している。だが、担任は今日わかることになっている。朝のSHRに直接担任が出向き、判明するわけだ。なかなか面白い。5組に入ると、拍手で歓迎してくれた。嬉しいぞ。(笑)

大掃除の後、着任式と始業式、そして休憩の後、いよいよ入学式での合唱である。本校の良き伝統だと思う。2学期末から3学期、コツコツと練習を積み上げてきた。混声四部合唱である。リハーサルの出来は最高だった。(本番はやはり緊張ぎみだったかな。)

2年生の担任としては、これが終わるまでは気が気でない。無事終了してホット一息である。明日からさっそく授業だ。春休みに完成しているプリントを印刷したり、選択クラスの座席を決めたりと、結局雑務に追われたのだった。

2年5組は、これからだ。朝のSHRから合唱練習開始まで、ずーっと教室で、いろんな生徒と話をしていた。初めて話す生徒もいるし、昨年教えていた生徒もいる、もちろん気心の知れた旧1組の生徒も。やっぱり、いいよなあ。担任生活。

2013年4月7日日曜日

「経済大陸アフリカ」を読む6

WEDGE Infinityが、「経済大陸アフリカ」の特集記事を組んでいた。平野克己先生のインタヴューで、重要だと思う箇所がいくつかあったので、エントリーしておきたい。

アフリカの経済成長を支えているのは内需、それも個人消費。スーパーマーケットやショッピングモールがあちこちにできて、かつてはなかった様々な商品が並んでいる。自動車も家電製品も売れている。こういう分野では南アフリカの企業がアフリカ中に進出して圧倒的な強みを発揮している。

海外からの投資額は、国によってはGDPの半分にも達している。(資源開発によって)資源部門を中心にさまざまな生産力が拡大してアフリカの所得が増える。その所得をアフリカ人が消費に回している。投資は外から入り、その成果をアフリカ人が消費するという構図になっている。

現在のアフリカの総輸出の7割が石油で、他の鉱産資源は1割というところ。

中国人に話を聞くと、外国人が思っているような包括的な戦略が中国にあるわけではないと言う。中国の3社ある石油企業でさえ、調整せず勝手に動いている。援助に関しても中国は、独立採算制らしく、日本のJICAのような援助機関は存在せず案件ごとに様々な機関が請け負うかたちをとっている。

中国のアフリカ政策の3つの柱は、資源獲得、台湾の追い出し、走出去である。走出去戦略とは、中国企業の対外進出戦略。中国経済は投資効率が非常に悪い。過剰投資で過剰生産。生産性の悪い企業は利益があがっていない。そこで海外への進出を促進している。

アフリカの社会ははるか昔から他言語社会で、基本的に異文化別言語の人間を拒まない。他者にたいして非常にオープンな社会である。これはアフリカのすばらしい特徴。その包容力が100万人もの中国人を受け入れている。

…この特集記事、『オトナの教養・週末の一冊』というシリーズらしい。なんか、素敵だな。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2696?page=1

2013年4月6日土曜日

香港人・台湾人=日本人?

毎日新聞の朝刊に「みんぱく 公開講演会のなんだ?日本の文化って-芸術からMANGAまで」の報告が載っていた。私が面白いと思ったのは、王向華(香港大学グローバル創造的産業プログラム主任)氏の講演「香港人/台湾人になることは日本人になること」である。要約された新聞記事であるが、さらに要約すると次のようになる。

外来文化の受容には大きく分けて二つの見方がある。同質化とクレオール(異種混交)化である。外国文化を自国文化に合わせて受容し、自国文化を強化するとの見方が後者である。香港では、1967年に共産主義と保守派が争い暴動に発展したので、総督府は香港人の脱政治化をはかる。「香港人は政治に興味がなく、金儲けが好き」というイデオロギーを作ったのである。この時香港市民に受け入れられたのが、欧米ほど遠くなく、漢字圏でありながら非中国でサービスや製品の質がいい日本だったのだ。「ヤオハンで買い物をすること=香港人」となったわけだ。一方、台湾では、戦前の日本文化同化政策があった。台湾人はこれに是々非々で臨んだ。日本語は近代化に必要なので学んだが、内面は日本人化しなかった。戦後国民党政権は日本の影響を排し、中国化したが、88年頃から始まる独立志向の高い李政権頃から、台湾文化の脱中国化が図られた。日本のポップスカルチャーなどが解禁され、中国本土より強く日本文化を受け入れることで「台湾は中国とは違う」となり「政治的に独立したい。」という意識がつくられた。

…なるほどと思う。香港も台湾も、対中国本土に対抗して、政治が主導した日本文化の受容だったわけだ。だが、私は一般の香港人も台湾人も、日本文化を対中国のためのツールだという意識で受容したのではないだろうと思う。日本のアメリカ文化受容も、戦後は大きな政治的な意味があったに違いない。しかし、結局のところ、いいものはいいのだ。外国文化の受容とはそういうものなのだろう。私たち(50歳代)はアメリカの漫画(ディズニーやトムとジェリーなど)やドラマ(奥様は魔女など)を見て育った。ジャズもアメリカン・ポップスも、いいものだから受け入れたのだと思うし、日本も、台湾が日本化しないのと同様、アメリカ化しなかったと思っている。

王氏も同様、自身の日本文化への讃歌で講演を締めくくっている。(笑)そう、いい文化は受容されるし、よくないものは淘汰されるわけだ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130406ddn010040077000c.html

2013年4月4日木曜日

カール爺さんの空飛ぶ家を見る

昨夜、TVで「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。私が、本校に赴任した時、当時の3年生の女子生徒に「カール爺さんそっくりですね。」と言われて大きなショックを受けたことを思い出す。(笑)
以来ずっと見たかったのだが、我が家はビデオの機械もないし、DVDを借りて見る習慣もないし、TVの地上波登場をじっと待っていたのだった。(笑)

結論から先に書くと、非常に悲しかった。そして面白かった。ストーリーは、子供も楽しめる冒険譚だったが、大人としては、冒頭の妻エリーとの出会い、子供の流産、オシドリ夫婦の様子、そして妻の死…このサイレントの部分が、ホント心にしみたのだった。悲しい。この悲しさは、先日55歳になった(年相応の)私のようなカール爺さんと呼ばれるような輩しか分かるまい。

アメリカ人の家庭では、家族の写真が所狭しと、家の壁などに飾れている。前任校でアイオワ州の姉妹校に行った時、ホームスティさせていただいたミラー先生(彼も見事な白髪のカール爺さんである。)のお宅もそうだった。アメリカの家は、まさに家族の思い出が凝縮されているわけだ。カール爺さんが、前半部で、それらの思い出の写真や家具を守ろうと必死になった気持ちはよくわかる。後半部で、命にも等しいそれらを打ち捨てて、最後は戦うのだ。過去から未来に生きる姿は、彼の老いからの超克である。非常にアメリカ的なんだな~。

ところで、ふと、今朝我が家にはそんな思い出の写真がないことに気付いた。外山先生の「思考の整理学」の中に書かれていた『sleep over』(一晩寝かして考えること)かなと思う。妻とは、いろんな所に行っているが、私には二人で並んで写真を撮ったりする習慣がないのだった。私は写真を撮るのは好きだが、撮られるのは好きではない。まして夫婦の写真を撮ることなど…。昨夏のイスラエル行でさえ、一枚もない。(笑)

これからは、そんな写真も撮り始めてもいいかな…と思ったのだった。私には、超克すべき(形になった)夫婦の過去さえないのだった。(笑)

2013年4月3日水曜日

マラウイの品のない民主主義

グローバルボイスの4月3日付の記事によると、マラウイのバンダ大統領が、議員たちに未払いの燃料手当(移動のためのガソリン代らしい。日本の国会議員のJR無料パスや一部の大臣などの公用車の費用にあたると思われる。)を支給しないと主張したことで、議会が混乱しているらしい。

要するに財政上の問題である。マラウイの市民社会では、果たして議員たちは、そのような支払いをするだけの仕事をしているのか?という疑問が起こっているらしい。「彼らは国旗の変更法案など人気のない政策を通すくらいしかしていない。」として支払う必要はないというブロガーの意見も出ている。

先日舩田クラーセン・さやか先生が、モザンビークの話をしていただいた時に、最も基盤となる概念として、「主権」を挙げられた。まさにマラウイの民主主義では、その主権についての論議が盛んに行われていることを強く示している。「我々雇用者が得ているもの以上のものを被雇用者に支払っている余裕はない。」との主張に注目したい。ここでいう雇用者とは、主権をもつ国民=納税者であり、被雇用者=公僕たる国会議員を意味する。

ポール・コリアーの「民主主義がアフリカ経済を殺す」を読んで以来、アフリカ=デモクレイジーな政治という意識が、私の中では知らぬうちにステレオタイプ化していたようだ。もちろん多くの国ではそうだと思うが、少なくともマラウイでは民主主義は順調に確立されてきているようだ。

あるマラウイ人のブロガーは、この未払い燃料手当の件を評して、『品がない民主主義真っ盛り』と評している。議員の自己中心主義を批判してのものである。なかなか面白いレトリックではないか。
http://jp.globalvoicesonline.org/2013/04/03/21013/

2013年4月2日火曜日

ルワンダでAIDSワクチン試験

国際NPOのIAVIと日本のベンチャー企業が、国産エイズ予防ワクチン(国立感染症研究所と東大医学研究所が開発)を使う臨床試験をルワンダで始めた。すでに動物実験は成功しているということで、約1年半かけてワクチンの安全性を確認し、世界初の実用化をめざすそうだ。日本で発見された『人間に病気をおこさせない「センダイウィルス」』を使ったもので、このウィルスにエイズウィルスがもつタンパク質をつくる遺伝子を組み込んだものを、鼻から吸引するらしい。エイズは粘膜感染なので、この方法が効果的らしい。センダイウィルス自体は1~2週間で消滅するが、遺伝子から作られたタンパク質は、エイズと同じタンパク質なので、免疫性を高めると言う。

アフリカの問題の大きなひとつは、このエイズである。生産労働人口がこのエイズによって失われ歪な形の人口ピラミッドの国も多い。日本の医学の粋を集めた臨床実験だといえる。今、アフリカの国際協力は、鉱産資源をめぐる争奪戦の体をなしている。非常に経済主体になっている。しかしエイズ問題の克服は、人間の安全保障、あるいは人道上の問題であるとともに、大局から見れば莫大なレント収入以上に持続可能な経済的効果をも生む。一石二鳥どころではない。是非とも成功して欲しいものだ。

2013年4月1日月曜日

新年度 OGの話 2題

本校の桜も満開。
新年度が始まった。前任校のOGの話題を2つ。本校に講師として、T君が赴任してきた。彼女は秋田の国際教養大を卒業した優秀な生徒である。前任校での地理B・第三期の弟子でもある。先日、英語科の打ち合わせ終了後、本校内を案内した。塾で教えていたこともあるというが、実際学校で教えるのは教育実習以来なので、私も不安を感じている。英語力が高いということと、教える力は必ずしも正比例するわけではないからだ。こうすればいい、という道があるわけではない。

夕方、同じく地理Bの第六期の弟子、フランス留学のため1年卒業が遅れたが、某有名住宅関連メーカーに就職したA君から、メールが来た。社会人のスタートに当たり、私の教えた『ペルソナ』の話をふと思い出したらしい。自分の目指す人物の仮面(ペルソナ)を付けることから始めなさい、それがやがて自分の目指すパーソナリティー(ペルソナが語源)を確立することに繋がるという話だ。1歳上だということで、頼りにされているらしく、プレッシャーを跳ね除けようと懸命だ。

ところで今、外山滋比古氏の「思考の整理学」(ちくま文庫/1984年第1刷)を読み始めたところである。最初から無茶苦茶面白い。外山氏は、『学校は(自力で飛ぶことのできない)グライダー人間の訓練所である。』という。学校は先生と教科書にひっぱられて勉強する。独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ、というわけだ。…なるほど。

彼女たちは、決してグライダーではない、と私は信じている。自分の力で飛翔せよ。私はじっと見守るのみ。