2014年1月31日金曜日

安倍訪問時のモザンビーク異聞

モザンビーク ゲブーザ大統領
久しぶりに、舩田クラーセンさやか先生のブログを覗いてみた。日本では全く報道されていない、凄いセンセーショナルな話が載っていた。安倍首相がモザンビークを訪問した時の話である。

今年行われる予定の大統領選挙に向けて、ゲブーザ大統領は野党に対して暴力的弾圧を加えていたのだ。昨年4月以来、公式には50人、実際には100人前後の死者がでている。難民も出ていて、4000人が家を追われているという。野党のレナモ党首の拠点を軍事攻撃し、野党議員を殺し、党首の首を取ろうとした(防衛大臣の言)らしい。現在党首は逃亡中だとか。いわゆる典型的なアフリカの開発独裁者の「民主主義がアフリカを殺す」=バッド・ガバナンスがモザンビークでも行われていたのだ。

安倍首相は、モザンビークを訪問した際、大統領との共同声明で、「粘り強い対話を通じて国家の安定に向けて取り組むモザンビークの努力を支持する旨を表明した。」国際社会が批判するゲブーザ政権の軍事的対応に、日本のトップが「支持」を出してしまったというわけだ。

うーん。なんという恥かしい「外交」なのだろう。資源に目がくらんだ、儲かればいいという商人外交そのものではないか。是非とも、舩田先生の「アフリカ教育関連情報」をご一読いただきたい。

http://afriqclass.exblog.jp/19354783/

2014年1月30日木曜日

こういう社会を作ったのは実は…

http://www.geocities.jp/return_
youth/memory/60s/1969.html
今しがたまで、NHKの「クローズアップ現代」を見ていた。45年前の東大紛争を、大学当局がいかに考え、対応したかを紛争終了直後、座談会を開き、記録した資料が見つかったことを報道していた。なかなか興味深い内容だった。要するに、大学当局は入試を行うために機動隊の導入を決め、安田講堂から学生を排除したのだが、文部省から入試中止を要請されたらしい。結局、入試は行われなかったという話だった。

私は当時、まだ子供だったので、安田講堂の攻防をTVで見ていただけである。この時、機動隊を指揮していた佐々氏の著作を読んだこともあるし、三島由紀夫がこの学生運動を楯の会からどう見ていたかという本も読んだこともある。もちろん、学生時代に「わが解体」も読んだし、過激派の系譜を書いた立花隆の本や、浅間山荘のノンフィクションも読んだ。この時代の学生運動に興味がないわけではない。もちろん学生時代は、朝日ジャーナルの読者であった。(これは紛無派世代のノンポリのたしなみである。)

番組は、後半部で、当時の学生の「何のために学ぶのか?」という問いかけに話題を移した。この大学当局の資料では語られなった問題だ。コメンテーターとして出演していた当時の学生運動OBが、懸命に学生たちを弁護していたのだが、時間切れ?らしく、最後のコメントがカットされていた。「こういう社会を作ったのは、実は…」
「クローズアップ現代」は、生放送ではないはずだ。うまく編集すれば放送できたはず。

今、NHKの新会長の発言をめぐって、様々な論議が起こっている最中だ。このようなカットは、NHKの情報操作ではないのか?という疑念がわくのは私だけではあるまい。きっと、NHKへの抗議の電話が鳴り続けていると思う。

そのコメントの先は何なのだろう。NH新会長や政府にとって好ましいコメントではないのは、ほぼ間違いない。…嫌な幕切れだった。日本はどこへ向かっていくのだろう。

追記:後でNHKのHPを調べて確認したのだが、コメンテーターは松本健一氏であった。

2014年1月29日水曜日

ジャパニーズ・BOX 2014

Japanese boxで検索してみたら…
総合的学習の「アメリカ学入門」で、2週連続のワークショップをやることにした。久しぶりのジャパニーズ・BOXである。アメリカでホームステイをすることになった。日本を知らないホストファミリーにこれが日本だと言えるようなモノをお土産に持っていこう、というわけだ。

大切なのは、そのお土産を何にするか、ということよりも、そこに至る過程である。日本の「自然」、「産業・社会」、「文化」という三つのカテゴリーで、それぞれ思いつくコトバを挙げていく。最初に自然でレクチャーしてみた。生徒たちに聞いていく。「桜」「梅雨」…そういうコトバを関連させてみる。すると、そこに中心的な概念、たとえば「四季」などというコトバが発見できるわけだ。「日本の自然は四季が美しい」という命題ができる。同様に各グループで、産業・社会、文化もコトバを考え、つなぎ合わせていく。最後にこの三つのカテゴリーの中心概念を見つけると、そのグループの最も主張したい「日本」が自然と湧いてくるわけだ。その「日本」を表現するために最も適したお土産をあとは選べばいい。

このワークショップ、様々に応用できる。実は、アメリカ学なのに「日本」をその中心にすえたのは、昨日の学年会での話に起因する。いよいよ普通科のクラス分けが近い。3年生は選択科目が複雑である。単に成績順にソートするだけではない。どっちにせよ、各クラスが競い合いながら、文化祭では劇を上演することになる。団活動の話題から、良い劇をつくらせたいという話になったのだった。なによりシナリオが大切である。劇で訴えたいものが明確でなければ良いものはできない。こういう、思考方法があるよ、と教えたかったのだ。まずは、総合的学習で実験、というわけだ。また、3年生として、進学や就職で、小論文や志望動機を書かねばならない。その時にも十分応用できる。「自然」のカテゴリーを「私の高校生活」,「文化」を「将来の夢」などとと変えて、コトバを絞り出し、結び付けていくのだ。

まさに、”総合的”学習というわけだ。50分間、生徒たちはみっちりと話し合っていた。来週の各グループのプレゼンがちょっと楽しみなのだった。

2014年1月28日火曜日

滝川事件の黒幕「言語魔術師」

「天皇と東大Ⅲ」(立花隆/文春文庫)を読んでいる。先日、学研都市線の一部がストップした時、途中下車した書店で発見した。Ⅱ巻を読んで久しい。Ⅲ巻は滝川(京大)事件の話から始まっている。政治経済の授業で、基本的人権の中の「学問の自由」、美濃部達吉の「天皇機関説」とともによく資料集などに載っている話である。立花隆の事件への迫り方は、いまさらながら凄い。

この滝川事件には、意外な人物が絡んでいた。まずは当時の文相だった鳩山一郎(あのおかしな宇宙人鳩山首相の祖父)。さらに、この滝川教授の件を国会で取り上げた宮沢裕(宮沢喜一元首相の父)、さらに当時、京大の学生だった宇都宮徳馬、水田三喜男などである。

滝川教授を貶めたのは、蓑田胸喜という人物。細川隆元は蓑田を「日本のマッカーシー」と名付けているが、まさにその名にふさわしい。次から次に自分の気に入らない学者や言論人をヤリ玉に挙げて、共産主義者、反国体思想、不忠反逆思想、革命賛美者などのレッテルを貼りこれに執拗な攻撃を加え、当局にその著書の発禁を要請したり、公職からの辞任を求めたり、出版法違反で当局が起訴することを求めたりした。滝川教授がその第一号で、それ以後も、執拗な攻撃を受けた人々に、西田幾多郎、田辺元、田中耕太郎、さらには三木清等々。

とんでもない人物なのだ。彼の論は支離滅裂で、京大での講演会で宇都宮徳馬たちが蓑田胸喜を「蓑田狂気」と書いたのは、あながち間違っていない。どうやら、この蓑田を後押ししたのは京大での軍事教練を推進しようとした軍部であったらしい。満州事変下の時代の空気は、このような「狂気」が蔓延していたのだ。蓑田はその十年に満たない間の最大の影響力を振るったイデオローグであり、同時に行動者だった。「大政翼賛、臣道実践」というスローガンを考え出したのも蓑田だという。

ところで、彼が左翼を攻撃した際に使ったコトバに『言語魔術師』というのがあるらしい。立花隆は彼こそ右翼最大の『言語魔術師』だと主張している。…『言語魔術師』。いやなコトバだ。今も跋扈してるような気がする。

2014年1月27日月曜日

中学と高校の「歴史」の差

フランス革命・球戯場の誓い
世界史Bでは、今フランス革命をやっているのだが、我がクラスの学級日誌に「中学校では簡単にしか習わなかったフランス革命の流れがわかって面白かったです。」と書かれてあった。ちょっと嬉しい。今日も、別のクラスで、「中学校の歴史の教科書にあった”バスチーユの監獄を襲った”って、たいした話じゃないんですね。」と言われた。こういう感想は実に嬉しい。

中学校での歴史教育は、かなり基礎的な事項の流れのみだと私も認識していたが、たしかに羅列だけだ。フランス革命を理解するために必要な知識は無茶苦茶多い。まずユグノー。カルヴァン派の教義を理解しないとブルボン朝というのが解らない。これは中学生には無理だと思う。三部会から第三身分の国民議会が飛び出る球戯場の誓い、インフレとベルサイユの行進の関係も財政や経済的な知識が少しばかり必要だ。反仏大同盟も、当時の王室の縁戚関係、傭兵による戦争などの知識がないと難しい。制限選挙の国民議会と普通選挙の国民公会の違いこそ、後のジャコバン派独裁に繋がるのだが、このへんも経済的な問題や軍事の問題が大きい。うーん、やっぱり高校の世界史と中学の歴史の差は、かなり大きいのだった。

とはいえ、高校で学ぶ世界史は、まだまだ専門家から見たら浅いのだろうと思う。それが学問というものだ。どこまで迫るか。どこまでで妥協するか。その辺も教師の力量だと思ったりするのだった。

2014年1月26日日曜日

日経 オバマ大統領のアタリマエ

http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im1398555
21日の日経の「春秋」に、オバマ大統領が司法省で行った演説の一説について書かれていた。

「市民の自由は権力の座にある者など当てにできない。自由が当てにするのは、権力を持つ者を縛る法律である。我々の政府という仕組みは、そういう前提のもとにつくられている。」

世界史Bでは、イギリスの市民革命やフランス革命をやっている。結局のところ、民主主義というのは、権力者から自らの自由・権利を認めさせ、「人の支配(絶対主義)」から「法の支配(民主主義)」へと転換したことなのだ。アメリカもまた独立戦争で、それを勝ち取った。建国時の指導者は、それを熟知していて、そういう市民本位の政治システムを作ったわけだ。

ところが、日本では、このオバマ演説を聞いて何故こんな事を言うのかと感じる人々も多いのでないだろうか。民主主義というと、多数決や選挙、法の下の平等といったイメージが強い。授業で、生徒に問いかけても、そういう表面的なキーワードしか出てこない。

日本では、近代国家の三要素である民主主義・資本主義・国民国家が成立したのは、欧米とはかなり順番が違うと私は思っている。欧米では、まず民主主義が確立する。個人の自由、財産権が確立することが資本主義の基盤である。民主主義も、近代資本主義の生みの親であるカルヴァン派のピューリタンやユグノーの宗教戦争にそもそも起因している。法の支配が確立して近代資本主義が成立できるのだ。国民国家は、ナポレオン以後である。

ところが、日本の近代国家成立の歴史では、「国民国家」化がまずありきだと思っている。不完全ながらも西南戦争がその分水嶺だ。山縣有朋は、意地でも武士を政府軍の兵隊に入れなかった。(武士出身の警察官はやむをえず参加させたが…)これ以後、日清・日露戦争で国民国家化は完成する。資本主義は、政府主導で進められたし、民主主義にいたっては、一応カタチだけ明治期の最後にできたといってよい。実際の民主主義は、大正期になるのだろうか。あるいは戦後の日本国憲法だろうか。もしかしたら本質的な民主主義(グローバルスタンダード)理解はまだなのかもしれない。

日経の春秋では、こんなアタリマエのことを(世界各国で情報収集していたような覇権国家権力の中枢にある)オバマ大統領にだけは言われたくはない、と揶揄している。私も同感だ。だが、日本の政治家で、このアタリマエのことを権力者が叫ぶということの奇異さを感じる者がどれくらいいるのだろうかと思ってしまう。

2014年1月25日土曜日

アフリカのちょっと明るい話題

このところ暗い話題が多かったアフリカだが、今週はちょっと明るい話題が続いた。南スーダンでは、とりあえず政府側と反政府側で停戦協定が結ばれた。まだまだ、安心は出来ないが、とりあえず進展が見られたことは喜ばしい。さらに、中央アフリカでは暫定大統領が選出された。首都であるバンギ市長の女性である。この市長は厳格なキリスト教徒で元大統領令嬢のエリートらしいが、凄惨なキリスト教徒とイスラム教徒の殺し合いという現状から見ると、女性が平和の象徴として登場することは歓迎したいところだ。

一方、明るい話題と言ったら、南ア政府に怒られるかもしれないが、先日他界したマンデラ氏の巨大な銅像の耳に『ウサギ』が彫りこまれていたという話。アフリカーンス語では「急ぐ」という意味があるらしい。製作者が銅像に署名刻印をしたかったらしいのだが、政府担当者に否定されたこと、かなり製作時間をせかされたことから、『ウサギ』になったらしい。すでに製作者は謝罪し、出来るだけ傷つけないように『ウサギ』を撤去するらしいのだが、なんとなく『耳の中にこそっと彫られたウサギ』というのがユーモラスだ。これがもっと変な、たとえば悪魔だとかサソリだとかいう悪意を強く感じるモノだったら別だが、寛容なマンデラ氏なら許すような気がするのだ。もちろんマンデラ氏の強烈な信奉者から見るとそれでも激怒ものだと思うが…。私は葬儀の際の全く意味不明な手話通訳者の方が不愉快だ。

あの偉大なるマンデラ氏の耳に、ちょっとユーモラスな『ウサギ』。マンデラ氏の尊厳(それは寛容の精神である)は損なわないような気がするのだが…。

2014年1月23日木曜日

クロアチアの「クラバット」

http://free-zg.t-com.hr/smjestaj/sjeverna-dalmacija/apartmani-primosten.html
『魔女の宅急便』の街の遠景のモデル? プリモシュテン
「夫婦で行くバルカンの国々」(清水義範著・集英社文庫)をまだ読んでいる。ちょっとクロアチアにまつわる面白い話。今、世界史Bで教えているところと関連しているので、気軽にエントリーしていこうかと思う。

三十年戦争は、そもそも神聖ローマ帝国(ドイツ)内の宗教戦争なのだが、フランスなどが介入してきて、結局ハプスブルグ家対ブルホン家の戦争のように変化した複雑な戦争だ。この時、クロアチア人もこの戦争に借り出されることになる。クロアチアの女性は夫や恋人を送り出す際に、首に布を垂らすように結んだ。これが「クラバト」である。このクラバト、フランス語になると「クラバット」。ルイ14世がこのクラバトを見て気に入り最上品を作らせて流行した。当時はクロアトと呼ばれていたらしい。これが、英語でいうネクタイであるという。…意外な薀蓄だ。

クロアチアは、バルカン諸国の中でもひときわ美しい国で、『魔女の宅急便』の街の遠景のモデルにもなったという噂もあるプリモシュテンという街は特に美しいと書かれていた。画像参照。…たしかに。

またダルマチア地方というのがあって、そこの犬がダルメシアン。あの『101わんちゃん大行進』の白い体にドットのある犬である。といっても街では見かけないと書かれていた。軍用犬や貴族の馬車の先導犬として使われ、ペットではなかったのだという。

…クロアチア、なかなか面白いではないか。ちょっと憧れるな。

2014年1月22日水曜日

総合的学習 アメリカ学入門3

http://www.mo-hawaii.com/papaya/category/AR66ph
キングマンからセリグマンまでは貨物列車と並走するR66
前回の総合的学習でも、ボールパークのVTRを見せたのだが、今日も引き続きVTRを見せた。もちろんこれもVHSである。「地球に乾杯」という昔々NHKで放送されたもので十数年以上前のものだ。内容は、マザーーロード・R66である。私は、田舎こそアメリカらしいと思っている。シカゴからロスのサンタモニカまで走るR66は、まさにアメリカの原風景だと思う。大平原あり、砂漠あり。私自身も久しぶりに見たのだが、「R66」にまつわる曲がいくつも出てきて、このVTRはホント良く出来ている。ここで登場するR66の名曲の数々は、アリゾナのセリグマンという有名な町の理髪店&みやげ物屋(エンジェル・バーバー・ショップ)で購入したCDに入っている曲なので馴染みが深い。

セリグマンの理髪店
この番組に登場するR66アソシエーションの理髪店のおじいさんと私は実際に会った。この番組を見て是非会いたいと思って来たのだと娘さんに伝えると、わざわざ店に来てくれたのだ。TVで見たとおり気さくなおじいさんだった。店には世界中からここを訪れた人の名刺が張ってある。私のも張ってもらった。お礼にR66のグッズをアホほど買った。Tシャツ、帽子、ステッカー等々。私の愛車フォルクスワーゲンには今でもR66のステッカーが張ってある。(笑)その後、この町の安モーテルで一泊した。オーナーのオバサンもやさしかった。このモーテルの外にあるベンチでタバコをふかしながら、砂漠に沈む素晴らしい夕陽を見たのだった。

結局、旅は人なのだ。人との何気ない触れ合い。私は素晴らしい景色や博物館の展示も強く記憶に残っているけれど、道を聞いたり、店で買い物したりした様々な触れ合いの方が強く記憶に残っている。生徒たちには、是非世界中を旅をしてほしいと思う。異文化理解は帰納法であると思うのだ。

2014年1月21日火曜日

センター試験「倫理」2014

今年のセンター試験の「倫理」の問題、昨年も書いたが自分の刀を錆びつかせないためにじっくりと見てみた。よく、センター試験は豪華な問題だと言われる。高校で行う定期考査などは、問題用紙があまりに多いと配布が大変なので、多くてもB4両面刷りで2枚・計4面が限界かと思うのだ。センター試験は冊子で、問題もゆったりと書かれているし、選択肢も普通は4択が多い。今回は、正誤の組み合わせや哲学者名の組み合わせなど4択以上の問題もたくさんでてきた。昨年も指摘したが、普通の高校で2単位の授業では到底カバーできないだろう哲学者や思想家も、今回もそこそこ出てきた。そんな哲学者名が出てきても、多くはキーワードや類推でカバーできる。そこが倫理の試験の醍醐味でもある。

話題の東進のHPを参考までに見てみたら、問題32に出てくるカントの著作(b)は難しいと書いてあった。正答は、「判断力批判」であるのだが、弁証法的理性批判などという変な著作名との二択なので、三大批判書(純粋理性批判・実践理性批判・判断力批判)を毎回教えている私からすれば、これは秒殺問題のひとつである。ちなみにaの正答の「道徳法則」も秒殺である。

やはり、倫理は教える側の問題でもあるのだなと思う。カントの思想は、純粋理性批判の先天的認識形式をきちっと教えなければ、またなぜカントが形而上学を再編し、道徳形而上学で物自体の世界を再構築(=実践理性批判)したかを理解しなければ、「カント以前の哲学(大陸合理論とイギリス経験論)はカントに流れ、カント以後の哲学(ドイツ観念論)はカントから流れた。」というヨーロッパ近代哲学の幹の部分が理解できない。
判断力批判は、これに並ぶ三代批判書である。よく使われる「真善美」という価値、真について書かれたのが純粋理性批判なら、善については実践理性批判、そして美については判断力批判というわけだ。きわめて重要な著作であると私は思う。こういう倫理の教師の哲学史における取捨選択が大きく受験生に影響を与えるのだなあと改めて思った次第。と、言って私の授業(取捨選択)が最高だといっているわけではない。年によっては、全く教えていないトコロが出たりするのだ。問題は、受験生の感性・悟性を鍛えに鍛えて、類推できる能力を向上させることが大切だと思うのだ。

うーん。こんなことを書いていたら、またセンター試験に生徒と共にぶつかっていく教師生活もいいな、などと思ってしまうのだった。(笑)

2014年1月20日月曜日

日経 グローバル・オピニオン

思わずモーニングで読んだ日経を、改めてコンビニで買ってしまった。それくらい重要な記事があったのだ。MIT(マサチューセッツ工科大学)のダロン・アセモグル教授(トルコ出身の経済学者)の「新旧交代が成長促す」という『グローバル・オピニオン』である。センター試験の倫理の問題について今日は書くつもりだったのだが、それは後日としてでも是非エントリーしておきたい。引用が長くなるが、極めて重要な示唆がここに述べられている。

繁栄する国と破綻して貧しい国の違いを決定付ける要因は、政治経済制度の重要性であることは歴史的事実が証明している。幅広い政治参加、法と秩序の確立、財産権の保障、市場経済を伴う「包括的制度」を実現した欧米や日本は今の世界において、経済的に最も豊かだ。一方、北朝鮮、エジプト、アフリカ諸国の多くのように政治権力が一部に集中し、多数の国民から富を奪う「収奪的制度」の国々は、人々に貯蓄、投資、発明を励むインセンティブ(誘因)を与えることができず貧しいままだ。

軍事独裁をはじめとする収奪的制度下でも、中央集権、海外からの技術移転、農村から都市への労働力移動といった条件次第で、過去のブラジル、メキシコ、ソ連(現ロシア)、トルコなどのように短期間で比較的高い水準の経済成長を実現できる。

ここで肝心なのは、持続的な成長に不可欠なイノベーション(技術革新)が起きないため、繁栄が長続きしないことである。既得権益層はイノベーションが引き起こす創造的破壊や新旧交代を恐れ、さらなる成長の芽を摘む。

この命題を中国にあてはめると、日常的に政治的不合理な決定と腐敗、あるいは国有企業や銀行による資源の配分や機会均等をゆがめている。20年程度の時間軸で見れば、このままでは、中所得国からの脱出やイノベーションは難しいといえる。

一方、米国における所得格差の拡大は包括的な制度の維持を阻害している。一握りがあまりに豊かで強大になり、税制、金融規制、労働行政といった分野で政治的な影響力を行使し、格差是正政策を困難にしている。

NSAによる膨大な情報収集や、日本の特定秘密保護法制定など国家が情報技術を駆使して国民を監視したり、独占したりする動きも懸念される。そのような社会の自由な言論や創作、イノベーションを阻害するからだ。

中世に栄えたベネチアは、既存のエリートが政治力の独占を強め、財産を持たない若者でも貿易業務に参入できた制度を国営化したため、成長は鈍り、人口も減少した。このかつての経済大国のたどった道は、包括的な制度が覆されれば繁栄は反転しかねないという事実を想起させる。

…豊かになる国となるための条件としての「近代国家論(民主主義の確立・資本主義の確立・国民国家の成立)」の、さらに現代的な命題が上記の持続的な成長のためのイノベーションを進める「包括的制度」(幅広い政治参加・法と秩序の確立、財産権の保障、市場経済)であるわけだ。常に新旧交代を行える自由な社会制度こそが持続可能な未来を開く。極めて重要な示唆であると私は思う。

2014年1月19日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた9

久しぶりにラグビーの試合を見に行ってきた。3年生が引退しての新人戦で、近畿大会の府予選トーナメントらしい。先日、放課後の練習を覗きに行ったら、フォワードを指導しているK先生が「今年のチームはバックスが、あまり突破力がないので、フォワードを鍛えています。」とのこと。これまでの本校のチームは、体は小さいけど俊敏なバックス主体のチームだったのだが、新チームはフォワード主体らしいのだ。ラインからボールを入れて、フォワードがモールで押し込むという練習を休みなしで30分ほどやっていた。なかなかしんどそうな練習だった。

さて、今日の試合である。地元の府立H高校が会場である。相手は合同チームG。H高校とM高校・N高校の枚方市内連合チームである。私自身は気楽な気持ちで観戦にきたのだが、相手は、なかなか体格がいい。序盤、まさかまさかで2トライ、ゴールキックも決まり14点差がついてしまった。本校も2トライして追撃するが、ゴールキックが決まらずである。体格差が、見ている以上にあるようで、タックルもなかなか決まらない。結局、あと10分という時点で11点差がついていたのだった。

だが、本校のラグビー部は諦めていなかった。フォワードがモールから押し込んで連続トライを決めて、ついに1点差にまで追い詰めたのだ。最後の最後で、ペナルティゴールのチャンスを得た。ゴールポストのまん前である。これを決めて、大逆転勝利したのだった。いやあ、まるで昔見た東宝映画の「これが青春だ」のラグビーの試合みたいだった。

苦しいフォワードの練習を乗り越えて、最後まで諦めずに攻めきった故の勝利だった。あっぱれ。あっぱれ。

追記:三回戦の対戦相手は、先日全国優勝した東海大仰星高校だという。怪我だけはするなよ。

2014年1月18日土曜日

くら寿司のマクドナリゼーション

http://yanogawa.wordpress.com/2013/01/09
糖尿病入院阻止対策の非炭水化物大作戦が一息ついたので、妻が「くら寿司」に寄ろうと言った。ほんと、久しぶりである。寿司は炭水化物をガンガン取ってしまうので、避けていたのだった。4ヶ月ぶりくらいだと思うのだが、店内のシステムが変わっていた。注文用の特別レーンが出来ていて、すばやく注文した品がピンポイントで届くようになっていた。

注文した商品の一覧も見れるようになっていた。もし、注文したのに来ていないものがあれば一目瞭然である。他の席の人が、スマホやタブレットのように指で画面を動かしていた。そんなこともできるんだ、とちょっと驚いた。

私は、これまで何度か授業で「マクドナリゼーション」を講義してきた。マクドナリゼーションというのは、ハンバーガーショップのマクドナルドに代表されるような、現代ビジネスの効率性重視を言うコトバだ。味も含めて、どのチェーン店でも商品が均一性を持っていることや、注文から消費者に届くまでの早さ、労働者の動線が極度に効率化されている労働生産性など、あらゆる点で効率性を重視し収益を最大に持っていこうとする点に特徴がある。

たとえば、マクドナルドの商品は注文から30秒以内にほぼ手に入るようになっている。(私も何度か時間で計ったことがある。)店舗スタッフの動線は極めて計算されていて短くなっている。これは吉野家の店舗のほうが生徒にはわかりやすいようだ。日本国内であれば、どのマクドナルドでも同じ味で、同じ大きさ、同じ価格。それが反対に安心を消費者に与えるわけだ。実際、大阪人の私は東京では、マクド(大阪ではこう表現するのが一般的である。)にしかいかない。

くら寿司の今回の改変もまさにマクドナリゼーションである。特に注文した商品のスピードアップは、注文の数を増やし、売れ筋のビッグデータを蓄積し、マーケティングに有利になることは容易に想像できる。

実は、このこのマクドナリゼーション、グローバル化の中でのも、アメリカ的なるものが世界のスタンダード化していくという意味で、「最もわかりやすいアメリカ化」であるのとされているのだが、効率性の追求についても日本でさらに進化しているのだと感じる。ただ、これが「日本力」だと言ってしまうには少し抵抗がある。きめ細かいサービスの向上ではあるが、そこに「効率」「生産性の向上」という絶対的な価値が基盤にあっての話だ。社会学や経営学の視点から、こういう「日本力とは何か」という研究がますます行われていくような気がする。

まあ、久しぶりに寿司を堪能しながら、そんなことを考えていたのだった。

2014年1月17日金曜日

中央アフリカにEU部隊派遣

http://www.tkumagai.de/Chuoo%20Bush.htm
毎日新聞によると、中央アフリカに数百人規模のEU部隊が派遣されることが合意されたらしい。すでに、旧宗主国のフランスが軍事介入していのだが、二の足を踏んでいたEUも重い腰を上げたということか。これまで、比較的治安の良い地域でEUは訓練部隊を送ってはいたものの、今回は無政府状態で危険度の高い地域らしい。

フランスの説得が功を奏したようだが、現在の中央アフリカのキリスト教徒とイスラム教徒の対立はますます混迷の度を増している。それぞれの指導者も亡命、逃亡しているのだ。指導者不在のまま、殺戮が行われ、難民・避難民が生まれている。まさに南スーダン以上の混乱である。

この大混乱を収めるには、治安維持のために、人間の安全保障のためにも、私も軍事力が必要だと思う。EUが、アフリカの過去の清算として責任を負うことも間違っていないと思う。ところで、この記事を見る限り、EU諸国のどこの軍が派遣されるのだろうかと、私は興味がわく。現在、AU軍はチャド軍が中心だと先日報道があった。EUの軍事について、すこし調べてみた。

EUの軍事委員会は様々な部隊を構成しているが、最も関連していると思われる国連中央アフリカ・チャドミッションの要員派遣国は「未公開」となっている。と、いきなりつまづいてしまった。邪推するに、EUの中でも比較的貧しい国の兵士が送られるのではないだろかと、私は思うのだ。

このところ、EUは揉めている。EUの理想はすばらしいと思うが、そこにパワーバランスがどうしても働いてしまう。ドイツなどは、EUの牽引にヘトヘトだ。さてさて、この派兵がEU内の新たな火種にならねばいいがと心配するのだった。

いずれにせよ、中央アフリカの混乱を早く収めて欲しいものだ。ただ、EUが不用意にキリスト教側に立って、イスラムを北側に押し返すことに専念することも私は懸念している。混乱の連鎖が起こらなければよいのだが…。

追記(1月21日):今朝の日経の朝刊では、ベルギーとフィンランドの軍が参加するらしいとの報道が流れた。記事では、上記のキリスト教軍的な懸念も書かれていたことも追記しておきたい。

http://mainichi.jp/select/news/20140117k0000e030264000c.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/pdfs/minurcat.pdf

2014年1月16日木曜日

今年のワンフェス

ワンフェスの会場 大阪国際交流センター(HPより)
今年も、ワン・ワールド・フェスティバルが開かれる。昨年はインフルエンザで、十年近い連続参加が途切れてしまったのだった。2月1日・2日の土日に行われるのだが、どうも今年はチラシは配布されないようだ。スマホも含め、これだけネットが拡がった故、費用の面からもペーパーレスとなっただろう。

参加団体やワークショップなどを見てみたら、府立松原高校や兵庫県立兵庫高校も出展している。ついに公立の高校も単独で参加する時代になったのだった。松原高校も兵庫高校もJICAの高校生セミナーでなじみの学校である。言ってしまえば私の仲間うちである。生徒とともに出展するという行動自体、うらやましいなあと思う。特に、兵庫高校の「多文化共生と未来のまちづくり」は、面白そうだ。阪神淡路大震災から明日で19年。是非参加しようと考えている。そのためには、私の場合、なによりも体調管理である。(笑)
http://www.interpeople.or.jp/owf/about.html

2014年1月15日水曜日

セルビアの「仲人」の話

本に出てくるセルビアの映画監督・エミール・クストリッツァの村
http://www.welcometoserbia.travel/ethno_villages.php
5限目、総合的学習のアメリカ学入門では、十数年ぶりにNHKの番組「(アメリカ各地の)ボールパークに連れてって」のVTR(VHSテープである!)を上映した。田舎のマイナーリーグやボールパークが紹介されていて、みんな興味深くに見ていた。6限目、我がクラスでも、LHRで先日3年生で久しぶりに実践した「バーンガ」(9日付ブログ参照)をやってみた。予想通り思い切り盛り上がったのだった。(笑)異文化理解は、ホント重要だ。

だが、今日のエントリーの主題は、通勤時に読んでいる清水義範氏の「夫婦で行くバルカンの国々」(集英社文庫)の話である。旧ユーゴスラビアの旅行記の部分は、どうしても内戦の話に向かっていく。大まかに言えば、セルビアもクロアチアも、中世には一時的にせよ王国を立てていて、それが民族のアイデンティティとなっていることがよくわかる。オスマントルコやハプスブルグ家、ベネチアなどに侵略されつつも、民族的なアイデンティティが確立していたことが、大きくマイナスに作用したといったら言い過ぎだろうか。セルビア人の文化・伝統として、次のような逸話が載っていた。これは、異文化理解上、記しておくべきだと思う重要な薀蓄であると思う。

セルビアでは結婚式の仲人は親も同然で死ぬまで強い結びつきを持つのだそうだ。子供の名づけ親になったり、借金の保証人になったりし、子供が結婚するときは親の次に報告しなければならないという決まりがある。そういう人との関係の強さが民族主義につながっていくのかもしれない。(P167)

もちろん世界の民族の中には同様、あるいは同様以上のの地縁・血縁を重視する民族もあると思うが、被害者側でもあり、加害者側としても重要な位置を占めるセルビア人がそうである、ということはユーゴ内戦を考える上で非常に大きい。

もとを正せば、旧ユーゴの民族の相違は、スラブ人の分派である。昔王国として隆盛したとか、民族の正義とか言っても、所詮は感情論でしかない。私はどうも最近、「民族」とか「国益」とか言ったコトバに大きな違和感を感じているので、どうしても批判的になってしまうのだった。

2014年1月14日火曜日

奈良教大のアフリカ理数科教育

奈良教育大出身のM氏
先日、奈良教育大のG君から、久しぶりにメールが来た。「アフリカの教育事情」という講演会があったそうで、実際にアフリカで理数科教育を行っている2人の先輩が講師として登場されたらしい。お二人ともともイニシャルではM氏というらしい。そのうちの一人のM氏は、私がブルキナでお会いした方ではないか?という問い合わせだったのだ。…正解。

私が前任校での最後の教え子世代であるG君に奈良教育大学を勧めたのは、T先生という大御所がおられて、関西のESDの本拠地の1つになっていること。もう1つは、スマッセで活躍していたM氏が奈良教育大の出身だったからだ。

このM氏、私がお会いした時は、ケニアが本拠地の専門家だったのだが、フランス語圏の西アフリカにも行ってもらえないかということになって、来たという話だった。実際にブルキナの教育関係者(校長を統括するような立場の人々)を相手に、理数科教育の基礎をフランス語で教えておられた。どうもフランス語は初級程度らしく、「強心臓で笑わせながらやってます。」と言っておられた。私の方がはるかに教師暦は長いので、ちょっと上から目線で言わせてもらうと、教授力もなかなかの力量だと見た。どんな授業も、ある意味、エンターテーメント的要素が必要なのだ。うまい。遥かに年上で経験もありそうな現地の方々を笑わせながら、授業を進めている姿に感銘を受けた。

M氏は、今G君が世話になっているN先生の先輩にあたるらしい。こんな凄い方と出会えて嬉しいと、G君から返信があった。こちらも、同じくらい嬉しい。私の想いが、またひとつ現実化したなと思うのだ。G君は、この5月から6月、前任校に教育実習で来るらしい。是非会いに行って激励しようかなと思う。

2014年1月13日月曜日

NHK "Japan brand"

昨夜見たNHKスペシャルは、示唆に富んでいたと思う。「シリーズ・日本の成長力”ジャパンブランド”」というタイトルである。中国や韓国に(価格の安さで)追い込まれている日本のこれからのビジネスは、日経の元旦の社説が言う(1月3日付ブログ参照)、「日本力」であるという話だ。

…日本に来た外国人が驚くような、日本では当たり前のシステムがある。鉄道運行の正確さや自動販売機、販売サービスなど、我々が気づかない「日本力」である。妻が、長崎に行ったとき、空港から市内に向かうバスに外国人が乗っていたそうだ。高速道路のETCシステムに、いちいち驚いていたらしい。バスが低速で進み、バーにぶつかる!と思ったら上がっていくのが、不思議らしい。何度も「ウォー!」と言うので、妻は大笑いしていたのだとか。

…こういう繊細な技術とサービスが「日本力」である。たしかに、アメリカなどでは、タクシーは自動ドアではないし、NYのペン駅でもロスでも鉄道も出発するプラットフォームが直前までわからない。時間も不確かだ。日本より便利だなあと思ったことはあまり記憶にない。(フリーウェイは日本よりはるかに出入り口がわかりやすいけど、国土が広大故だと思う。)私が、アメリカで日本をはるかに凌駕していると思ったのは、ミュージカルやSTOMP、ブルーマンや博物館の展示などの「エンターテーメント」の完成度であった。もちろん、それぞれの国に良さはあるし、だからこそいつも海外に行きたいのだが、日本の持つ安心感はやはり飛びぬけていると感じる。

…私が最も感慨深く見たのが、ケニアのナイロビのスラムで、ある日本企業が電気や上下水道といったインフラを必要としない住宅(インフラフリーユニット)を建設しようとしている話だった。電気は中古のソーラーシステム、上水道は雨水タンクであるが、トイレが凄い。生ごみなどを肥料に変える機器を使っているのだった。快適なトイレは水洗だが、世界中で、水洗トイレに使えるほど水インフラが整っている場所はそう多くない。いずれ、世界的な水危機が訪れる。そこで、こういうトイレを開発したのだという。目の付け所が凄い。日本は先端技術に優れているが、先端でない技術でもどんどんうまく活用していく。日本は安心で快適な生活を送るために、常に考えてきた。ケニアの人々に喜んでもらえる技術を考え出したわけだ。ケニアのおばちゃんが大喜びしている姿に、私は大いに感じるものがあった。

番組のHP:http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0112/
グリーントイレの情報:http://diamond.jp/articles/-/38397
TICADⅤでの展示画像:http://kenchiku-blog.blogspot.jp/2013/05/lixil.html

2014年1月12日日曜日

参加型学習で学ぶ「ヒロシマ」

先日、『地球市民共育塾ひろしま』から、教材集が届いた。昨年夏の広島での国際理解教育学会で、塾の方に私の発表を聞いていただき、アフリカSDゲームの資料を送付させていただいたことがきっかけだ。”参加型学習で学ぶ「廣島」「ヒロシマ」「Hiroshima」”と題された教材集で、県立広島大学と共同で製作されたとのこと。

この、長めのタイトルには、大きな意味がある。これまで、広島の平和教育といえば、すなわち原爆であり、その惨禍を後世に伝えていくことであった。きわめて重要な教育である。しかし、「過去形」の原爆教育への特化だけでなく、世界の現実(構造的暴力)に目を向ける「現在形」、さらに平和構築へ向けた「未来形」の実践も必要ではないか、そういう趣旨でこの教材集が作られたのだという。それで、タイトルの「廣島」は、被爆前の人々が生活する街(原爆で一瞬にして奪い去られた人々へ思いを巡らす平和学の原点として)を、「ヒロシマ」は1945年8月6日(この被爆体験の継承)を、「Hiroshima」は世界へのメッセージを発信するという意味合いが込められているのだという。

すばらしい教材集である。私が特に感銘を受けたのが、「外国で平和展を開こう」というワークショップである。実際に平和公園や資料館を調べるのが理想だが、バーチャル・ミュージアムでも実施可能なところが凄い。外国に伝えるという観点から、生徒が視野を広げ、何を訴えるべきかを考えるというのがすばらしいと思うのである。WEBで画像検索したら、まさにそのチャート図があった。こういう参加型の学びこそ、今求められているものだと私は思うのだ。

改めて、教材集を送付いただいた地球市民共育塾ひろしまの中須賀さんにお礼申し上げたい。

2014年1月11日土曜日

インフェルノ

ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読み終えた。その内容を明かすことは悪趣味だと思うので書かないが、期待通りの面白さだった。ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズは、なんと言ってもその薀蓄がすばらしい。新たな発見が知的好奇心を大きく刺激する。今回は、ダンテの「神曲」を中心に、フィレンツェから話が始まるのだが、ホント興味深かった。欧米文化の根底に流れる本流を旅した感じだ。ダンテの言葉や美術や建築に関してのことは内容に関わると思うので、書かないが、ひとつ大きな発見があった。備忘録的に期しておきたい。(下巻P223)

キリスト教もイスラム教も言語中心主義だ。つまりコトバをよりどころにしている。キリスト教の伝統では、ヨハネによる福音書において、コトバは肉体になった。1章14節に「コトバは肉体となりてわれらのうちに宿りたまえり。」とある。だから、コトバを人間の姿で描くことが許された。ところがイスラム教では、コトバは肉体とはならなかったから、コトバのままでいるしかない…だから、たいていの場合、イスラム教の聖なるものは名前だけが飾り文字で書き記されているというわけだ。

…なるほど。「はじめにコトバありき。」このコトバはロゴスなのだが、キリスト教ではそれが、肉体化しているというわけだ。その拠所がヨハネ福音書だということになる。

ところで、昨晩はエントリーできなかった。しなかったのではなく、できなかったのである。昨日は月1回の糖尿病の診察の日で、枚方市駅近くの専門医院に妻と行ったのだが、病状は良くなっているとのこと。気を良くして帰路についたのだが、車中で突如として悪寒を感じた。ぶるぶると震えがとまらなくなったのだ。さきほど医院で血糖値を計ったら62の低血糖状態だった。昼食から時間がたっているからでさほど気にしていなかったのだが、(後から判明したのだが)低血糖による低体温状態になってしまったようだ。自宅で計った体温計は32℃を示していた。震えがますますひどくなる。以前手術を受けた時に低体温になった経験のある妻の機転で、足湯につかり少し持ち直した。さらに普段さけている糖分をどっと取ったが、結局吐いてしまい、まさに「インフェルノ」。あわや救急車という状態だったのだ。結局、妻の用意した電気毛布と、湯たんぽ2個を抱いて安静にしていた。気がつくと朝で、なんとか回復したのだった。妻のパートナーシップに感謝。恐るべし。低血糖と低体温。あやうく「インフェルノ:地獄編」に陥るところだったのだ。

2014年1月9日木曜日

バーンガ 2014

3年生の現代社会演習では、2学期に一神教の講義を行い、ナイロビのモール襲撃事件をもとにパネル・ディベートを行った。異文化理解が大きなテーマだった。3学期は、これを受けて、本校で初めて「バーンガ」をやってみた。毎回思うのだが、この「バーンガ」、準備が地味に邪魔くさい。アクティビティの効果という点では、かなりインパクトが大きいので、久しぶりに実践することにしたのだった。

普通科でやったのだが、今日は欠席が多く、20名で実践した。全校的に、今日は欠席が多い。インフルエンザもボチボチ出ているし、感染性の胃腸炎の疑いのある者もいるらしい。(ちなみに、我2年5組は2日続けて全校唯一の皆勤である。ちょっと鼻が高い。)結局4人組×5Gでやってみた。うーん、5人組×4Gの方がよかったかなとも思う。とはいえ、予想通り、声は出せないが、大騒ぎになったのだった。(笑)

ふりかえりで、解説すると、これが、異文化理解のためのアクティビティだと理解するのに時間はかからなかった。なるほど…と皆納得したのだった。

2014年1月8日水曜日

総合的学習 アメリカ学入門2

総合的学習はこれまで、州コードを調べさせたり、クイズ形式でやったり、「明白なる天命」「多様性の統一」など自由や民主主義、移民の歴史などを講義したりしてきた。今回は、ちょっと準備に時間を費やして、パワーポイントで、ニューヨークの紹介をしたのだった。

社会科教室なので暗幕がある。超小型プロジェクターを使っての授業となった。まあまあ盛り上がったのだった。ただ、真っ暗なので、反応がもうひとつわからない。そこが難点だなと思う。英語科のLL教室は、明るいまま、パソコンのモニターを見ながらなので、反応がよくわかるのでやりやすいのだ。

今回のニューヨークの紹介では、96丁目のB&Bのまで経験した話と、ミュージアムマイルで経験した話をメインとした。ワシントンDCまでUSホロコースト博物館を見に日帰り旅行した夜のことである。ヘビースモーカーの私はB&Bに入る前に、喫煙をしていたのだが、そこにB&Bの3Fの住人が帰宅してきたのだ。男女の白人の若者で、私を見るなり、「君がB&Bに宿泊している日本人か。」ということになった。「ニューヨークはどうだい?」という感じでフランクに語り合っていたのだが、1人の男性が、道をはさんだ前の家に、黒人が座っているのを発見したのだ。雪が舞う寒い夜だった。コートの襟を立てて座っている。ホームレスのようだった。彼は、さっと黒人の方に歩みよって、$1札を渡し、「Get out!」と言って追い出したのだ。女性がまるで映画のように両手を広げて「仕方ないのよ。」もう一人の男性が「この辺の治安が悪くなると地価が下がるのでね。」と言ったのだった。アメリカの実相なのである。絵に描いたような人種差別は決してなくなったわけではない。

もうひとつの5番街のミュージアムマイルでの話は、その対蹠にある話だ。メトロポリタン美術館を一気に見終えて、ベンチでこれまた喫煙していると、親子連れが南のほうから歩いてきた。白人のちょっと老と言った方がいい夫婦が、黒人の男の子を連れて歩いているのだ。しかもその子は障害を持っているようだった。だから、ゆっくりと歩みを進めてくる。老夫婦の顔は幸せに満ちていた。推測するに、彼らは養子として彼を迎えたのだと思う。アメリカで養子を申請する場合、男女も人種も指定できない。老夫婦は、彼を心から喜んで迎え入れたのだろう。ほんと幸せそのものの散歩姿だった。北へ向かい、金色の夕陽が彼らの背を照らしていた。私は感動して、彼らに合掌したのだった。

真剣に、生徒諸君に訴えた。アメリカに黒人への差別はあるのか、ないのか。本当のところ、私にはわからない。ただ、私が経験したことは事実だ。是非自分の目で見てきてほしい。総合的学習としてのアメリカ学入門で語りたいことはいっぱいあるのだが、この2つの話は、なんとしても語りたかったことである。

2014年1月7日火曜日

朝日 ジンバブエの野球とHIV

http://oasis-jp.org/action/baseball.html
日経に良いアフリカの記事があったのだが、朝日でもいい記事があった。しかも、あのジンバブエの話である。なおさらであるので、今日は続けてエントリーしたい。ジンバブエでは、JOCVが熱心に野球を指導してる。(他のアフリカ諸国でも大いに頑張っている。嬉しい話だ。)おかげで、競技人口も14000人にまで増え、364の高校でチームがあるそうだ。

この野球の練習後、HIV/エイズの講習会を、年数回コーチが行っているのだという。野球はルールが複雑なので、選手たちはじっくりと説明を聞く習慣が身についている。しかもグランドで、リラックスした雰囲気で議論ができる。さらに選手の半数が特に予防知識を身につけさせたい10代後半の女子選手なので、野球とHIV講習というのは一石三丁の効果をもつわけだ。

この講習会は、全学校で開催されている。というのも、野球協会との協定が結ばれているからだ。野球コーチ育成コースにはエイズ教育プログラムも盛り込まれている。講習会開催は野球教室や道具提供の条件でもあるそうだ。野球協会にとっても、15%という感染率のジンバブエで社会貢献するスポーツということで、競技の普及にも一役買っているらしい。

一方、HIV陽性の女性たちが、自尊心を取り戻そうとサッカーチームを結成、活動しているという。ハラレだけでも17のチームがあり、生き生きと活動していて、偏見から理解へと輪が広がっているという。

27%を超えていたジンバブエの感染率は下がったものの、まだまだ高い。エイズ関連予算の多くは治療費用に向けられるのは当然かもしれない。そこで、スポーツを生かした啓発活動への期待が高まっているというわけだ。ホント、ジンバブエの久しぶりのいい話題だった。

日経 日本のアフリカ・ファンド

モーリシャス
昨日、モザンビークの日本政府の国際協力に「異臭」を感じると書いたのだが、今日の日経にはこんな記事が載っていた。豊田通商がアフリカでベンチャー企業を育成するファンドを立ち上がるというものだ。教育、福祉など所得水準や生活環境の改善につながる事業を対象にしたファンドで、ベンチャー支援を通してアフリカでの企業価値向上を目指すのだそうな。1月中に、モーリシャスに新会社を設立、15億円を運用し、1社あたり数千万~数億円を投資、現在13社前後の支援を検討中とのこと。

豊田通商はアフリカ53カ国で自動車販売や飲料品生産、発電所などのインフラ整備を手がけている。私も何度か、アフリカを調べるうちに出くわしたことがある、アフリカに早くから進出している日本企業だ。企業利益も考えた上で、アフリカでの足場を固めるためのファンドであることは間違いない。しかし、起業支援が現地の雇用拡大につながることを判断基準に置き、農業の技術支援や感染症予防のための遠隔地診察、貧困層向けの携帯通信事業など「ソーシャルビジネス」を対象としているところに、私は好感を持つのだ。

アフリカの人々のために、様々な角度から国際協力も投資も行う必要があるのは言うまでもない。様々な試行錯誤も当然必要である。このアフリカ・ファンド、なかなかいい「日本力」につながるのではないかと思う次第。

2014年1月6日月曜日

日経 モザンビークへ600億円

http://www.jica.go.jp/project/mozambique/002/outline/index.html
朝のモーニングで日経を読んでいると、首相が近々訪問するモザンビークで600億円超の供与を声明するとの記事があった。何度かこのブログでもふれた「ナカラ回廊」のインフラ整備に使われるという。

ザンビアからマラウイを通り、モザンビーク北部の港ナカラを結ぶアフリカ南部の経済回廊となる予定だ。日経の記事によると、回廊周辺にはレアアースなどの鉱産資源も埋蔵されていて、日本企業の投資が検討されているという。もちろんモザンビーク北部は、ブラジルと日本のの共同農園開発が予定されている地である。例の舩田クラーセンさやか先生が、強烈に批判されているところだ。

投資というのは、基本的に自己の欲望に起因する金儲けである。それを全面否定するつもりはない。今のアフリカの開発のために、そういう投資が必要であることも論をまたない。今回のインフラ整備は社会資本整備という名目の国際協力であるが、このところの政府への不信から、その裏に日本の「国益」が異臭を放っているように私は感じてしまう。これから日本は、モザンビークにどんどん投資することになるだろうと思う。だが、「市場を飼いならす」(アマルティア=セン)という努力をしなければ、モザンビークとWin-Winの関係にはなるまい。日本の投資が、モザンビークの人々の幸福を招くものでなければ、真の意味での「日本力」(1月3日付ブログ参照)にはならないのではないか。

他人の不幸の上に、自分の幸福を築いてはならない。これは正義であると私は思うのだ。

2014年1月5日日曜日

突然 ラスベガスの思い出

昼間、車の中のFM放送で、ラスベガスの話が出た。あー、そんなん聞いたら行きたくなるがな、とスイッチを切ったのだった。ちょうど、本校の若手のS先生が冬休みを利用してニューヨークに行っている。非常事態宣言が出るほどの寒波が東海岸を襲っているので心配していたところだ。

さて、ラスベガスの話を今日はなつかしく思い出したのでエントリーしておきたい。昔々、サンディエゴからロスを経由してラスベガスへ、ひとりで砂漠をドライブした。地球の歩き方に、ラスベガスに向かってドライブするなら、夕方に着くようにすべきであるという記事があった。砂漠に忽然と光が現れ、それがラスベガスのまばゆいネオンサインだとかわった瞬間が、ラスベガスの最高の美しい風景だというのだ。たしかに、すばらしかった。群青色の空に、凄い光が一気に現れる。アメリカの大自然も素晴らしいが、アメリカの人工物もなかなかのものである。

ストリップ通りが、ラスベガスのメインの道路である。一人で運転していたので、あてもなく適当に運転した。有名なホテル群が左右に広がる。結局私は、ハードロック・ホテルの裏にある8モーテルに宿泊した。ラスベガスは宿泊代がアメリカの観光地でも極めて安いので、わざわざそんな場末に泊まらなくてもいいのだが、そのほうが気が楽だったのだ。

結局、有名なホテルには足を運ばなかった。ハードロックホテルのカジノで、少し遊んだくらいである。私はどうも勝負事に興味がない。それより、ハードロックホテルのチップをお土産に持って帰った。(笑)一人旅というのは、こういうところでは盛り上がらない。ラスベガスは24時間治安が良い。街自体が、巨大なテーマパークのような都市なのである。とはいえ、アメリカ旅での長年の習慣で、早めに寝てしまったことを思い出す。やはり一人旅でドライブするのは疲れるのだ。

結局、次の朝には早々とフーバーダムを経由してアリゾナへ向けて走り出したのだった。(行きたいけど)もう二度と行くことはあるまいと思う。最も印象的だったのは、カジノの従業員のほとんどがヒスパニックだったことだ。私は、アメリカでもアフリカ同様、「人間」を見に行っていたような気がする。

2014年1月4日土曜日

続ボーナス闘争「 正月の奇跡」

昨年12月12日付のブログで書いた「ボーナス闘争」の中古パソコンの件なのだが、実はエントリー終了後、すぐに注文したのだった。HDが80G、メモリが2Gなのに、インテルのCore2DuoがCPUなので、サクサク動いてくれる。あくまで、ネット用ということで、最低限のアプリしか入れず、このブログとAmebaピグ用として重宝している。

ところが、年賀状をつくる際、プリンターを接続したら、昨日の朝、アンインストールのなんとかいうプログラムが、スタート・プログラム上でオレンジ色に光っていた。気色悪いのでアンインストールしたら、再起動時にプログラム画面が出てきた。こういうのが、出てくるとロクなことがない。で、結局昨晩には、Amebaの画面が無茶苦茶ノロくなったのだった。キム兄ではないが、「信じられへん。」速度なのだ。パソコンのこういう危機については、上級者とはいえないが、初級者ではない。何度もパソコンをつぶしてきた経験はダテではない。できる限りのことをやってみた。

…が、どうにも遅いのだった。サクサクだったのが、ザッ…ク、…ザッ…クしか動かない。こりゃあ、明日「パソコン工房」行きかなあと思っていたのだが、今朝ログインしてみると、ちゃんと元通りサクサク動くのだ。摩訶不思議。私にとっては、奇跡としかいいようがない。で、朝からハッピーなのだ。

一度得た幸福を手放すということは、かなりの苦痛を伴う。そんな真理を改めて実感したのだった。

2014年1月3日金曜日

日経 元旦の社説を読む。

WEBで日経の社説や春秋を読んでいる。読書の合間に思索するのもいいものである。これぞ正月。(笑)「変わる世界に長期の国家戦略を」というのが、元旦の社説のタイトルだ。私なりの概要を記しておきたい。

世界の変化の最たるものは米欧からアジアへと、その影響力の大きさが移行している。百年単位のサイクルで見ると、アヘン戦争前の200年への回帰、「アジアへの回帰」そのもである。その中心は膨張する中国である。米国が内向きのベクトルなだけに、軍事・経済などのハードパワーの増大が、世界の力の均衡をゆらがすかもしれない。グローバル化の中で、国際的影響力は、ハード面だけでなく、文化や価値観などのソフトパワーが一段と大きな位置を占めている。日本は、日米同盟というハードと、日本の文化と価値観というソフト面をうまく使い分けるスマートパワーで中国と向き合っていくしかない。
長期的な国家戦略が必要だ。10年から20年後にどんな国を目指すのか、理念や目標をはっきり示せばいいのではないか。参考になるのが、経済人らで作る日本アカデメイアの進めている長期ビジョンづくりだ。経済力や競争力だけでなく、魅力や尊敬、信頼といった点も含めて「日本力」と、とらえ、世界的な視野から日本をデザインし直すという。相変わらずモタモタしている安部内閣に長期的な国家戦略が欠けているのはたしかだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64794460R00C14A1PE8000/

…この社説の訴えているところは、私も同感なところが多い。今回の年末年始、昨日エントリーした靖国神社参拝問題で、米国から今までにない反応が来た。これにはさすがに私も驚いた。米国は、かなり中国国内の危機的状況の情報(経済格差による民主化運動暴発と、人民解放軍の暴走の可能性)をつかんでいるのではないか、と邪推する。民主党政権、特にオバマ政権は中国寄りの姿勢であるであるが、それにしても「失望した」という表現は凄いインパクトがある。共和党・ブッシュ時代にはありえない。要するに、内向きに大きく変化した米国は東アジア情勢を極めて危険であり、中国の国内問題が、日米の安全保障にまで及ぶ可能性ありと懸念しているのだ。まして、米韓の問題、北朝鮮の問題にも当然波及する。

…現政府が持っている長期ビジョンは、このような微妙な中国の国内問題を軽視しているのではないかと私は思う。戦後以来の古臭いビジョン、日本が真にアメリカから独立するために、憲法を改正し、日米安保というハードを取り去るという事は、グローバル化した現在には全く通用しないのは必定である。感情的なナショナリズム。それだけに突き動かされるのは危険だ。もし、これが事実なら、社説の言う『魅力や尊敬、信頼といった「日本力」』とは全くかけはなれたものだと私は思うのだ。例の法案可決以来、日本はどこへ行くのか、私は危惧してやまない。

…これからの世界に必要なのは、異文化を理解し合える地球市民であって、感情的なパトリオットではない。今日の画像は、"Exploring Global Citizenship" http://www.raisingmiro.com/2011/07/05/i-am-a-global-citizen/

2014年1月2日木曜日

靖国神社問題を調べる

大村益次郎像
年末の首相の靖国神社参拝が様々な論議を呼んでいる。いつも思うのだが、感情的で単純なナショナリズムで論じられるのが最も怖い。私はそう考えている。中国や韓国が主にA級戦犯が合祀されていることに批判しているわけだが、そもそも、どんな人々が「英霊」(このコトバは、幕末の水戸学の藤田東湖の詩からとったものらしい。)となって祀られているのか調べてみた。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、その後の日中戦争、太平洋戦争…だけがと思いきや、いろいろと不思議な「英霊」もいるのである。

「英霊」は、戊辰戦争の新政府軍側の戦死者から始まる。当然、彰義隊や新撰組、幕府側の戦死者(北越戦争や奥羽戦争、函館戦争など)は入っていない。ところが、吉田松陰(刑死)、坂本竜馬(暗殺)、高杉晋作(病死)、中岡慎太郎(暗殺)、武市半平太(刑死)、橋本佐内(刑死)、大村益次郎(暗殺)などは維新の受難者として入っている。それで、境内には、大村益次郎の銅像があるわけだ。(画像参照)

すこしおかしいのは、禁門の変で御所を警護して戦死した会津藩士は祀られているのに、同時に禁門の変では賊軍の久坂玄瑞(しかも自害)も祀られているらしい。

西南戦争でも、西郷隆盛など薩摩軍は賊軍になったので、入っていない。江藤新平や前原一誠も同様に入っていない。要するに維新の功労者でも反乱を起こしたものは駄目なのだろう。西南戦争で戦い戦死した会津の警察官(会津戦争時は賊軍扱いだ。)は祀られていることになる。だんだんよくわからなくなる。

堺事件(隊旗をフランス水兵にとられ、フランス兵を殺害し、自害させられたという幕末の事件)土佐藩兵も祀られている。これもわかりにくい。

乃木将軍は明治天皇に殉死したが、戦時ではないので祀られていないし、東郷平八郎も病死なので祀られていないという。うーん。

ところで、A級戦犯を合祀した松平春嶽の孫にあたる第6代目宮司の松平永芳は、東京裁判は国際法的に認められていない、東京裁判を否定しなければ日本の精神的復興はできないと考えていたらしい。また政府が国内法によってA級戦犯の戦死者と同じ扱いと公文書で通達したゆえに、祀らなければ、祭神の人物評価を行って靖国神社は祀ったり祀らなかったりするということになると言っているようだ。…うーん。難しいな、靖国問題は。

2014年1月1日水曜日

アルバニアの「ねずみ講」

今年の正月は、TVなどできるだけ見ずに静かに読書に勤しみたいと思っていた。と、いうわけで元旦の今日は、このブログをエントリーしている時点でまだ見ていない。TVをつけないと静かである。昔は、正月は静かだった。店も子供のお年玉狙いのおもちゃ屋くらいしか開いていなかった。(笑)こういう個人的復古主義もいいかなと思う。ニュースなんぞもWEBでGETできるし…。

で、本を読んでいる。「インフェルノ」もそうだが、もう1冊、文庫本もある。集英社文庫の「夫婦で行くバルカン半島の国々」(清水義範著/13年4月25日第1刷)。この、バルカン半島の国々というのは、旅行記があまりない。元社会主義国が多いし、ユーゴの内戦もあって、未知の地域が多い。本校では、地理の授業が少ないので、もう教えることもないかと思っているのだが、やはり倫理と地理が専門の私としては知識欲に火がついてしまう。で、「インフェルノ」と共に購入したわけだ。

マケドニアから話が始まる。マケドニアは、ずいぶんと国名をつけるときに気を使った国であることは知っていた。マケドニアといえばアレクサンドロス大王である。未だに、大王は英雄故、ユーゴ内戦後の独立時にマケドニアと名乗るには、周囲から大反対の声が上がったのだ。この本では、その詳細が書かれている。

次にアルバニアである。アルバニアといえば、中国が国連復帰する際のアルバニア決議案で有名だが、同じ社会主義国でありながら、ソ連とのあつれき故に中国を支持したというのも有名。後に鎖国したことも有名。これくらいはちゃんと地誌で教えてきた。だが、私の知らない話が載っていた。それは、社会主義から民主化し、市場経済に移行する時、「ねずみ講」が大流行したらしいのだ。この「ねずみ講」、最初は、ユーゴ内戦への武器密輸など投資が成功し、さらに拡大したのだが、経済学的、いや算数でもわかるのだが、参加者が増えないと破綻するのは当然。全国民の1/3とも半数とも言われている会員が全財産を失ったという。…凄いな。

市場経済というのは、こういうものだというデマに泳がされた「社会主義の人民たち」は大混乱し、やがて暴動に発展したらしい。ウィキで確認したが信じられないような本当の話だ。トーチカがアホほど(60万?)残っていたり、なかなか不思議な国なのだった。

この本、なかなか面白い。と、いうよりアルバニアという国が面白すぎるのかしれないが…。

追記:新年のご挨拶を忘れていました。本年もよろしくお願いします。 katabiranotsuji