2014年7月30日水曜日

西アフリカのエボラ出血熱の件

このところ、アフリカのいいニュースがない。毎日新聞の夕刊には、大きな見出しで「エボラ出血熱 死者672人 西アフリカ過去最悪に」という記事が載っていた。何度かこのエボラ熱についてはエントリーしているのだが、悪化の一途をたどっている。WHOの発表によると、29日までに感染が確認されたり疑われている人は1200人を超えたという。

特に衝撃だったのは、ナイジェリアのラゴスの空港に着いたリベリア人が倒れ市内の病院に入院、エボラ出血熱で死亡したという。ナイジェリアの最大手の航空会社アリクは、リベリアとシエラレオネに乗り入れることを中止した。賢明な措置であると思う。ナイジェリアで感染が広がらなければいいがと心配である。なんといっても、ナイジェリアは、アフリカ最大の人口国である。

CNNによると、この毎日新聞がリベリア人としている人物は、リベリアの財務省幹部で、米国籍をもち、ミネソタ州に自宅をもつ人物であるということが報道されているのを発見した。

またリベリアで治療にあたっていた男性医師と支援にあたっていた女性米国人2名が感染していたことも判明したという。うーん。私は、国境無き医師団への金銭的サポートくらいしかできないが、関係各位のますますの奮闘を願うしかない。

2014年7月29日火曜日

上原善広「異邦人」を読む。

「日本の路地を旅する」の著者、上原善広氏の新しい文庫本、「異邦人-世界の辺境を旅する-」(文春文庫・本年7月10日発行)を読んでいる。

「かつて差別され、弾圧されていたユダヤ人がそうだったのだろう。しかし、今や彼らがパレスチナ人を弾圧し、ガザという世界一巨大な監獄をつくり、戦闘を繰り返している。」(P52)

第一章「蒼い砂漠」は、2002年に訪問したガザを描いたものだ。だが、この頃のガザでは、イスラエル軍のスナイパーが、様々な場所、特にエジプト国境やイスラエルの入植者の土地で日常的に狙撃をしている光景が描かれている。ガザの子供が度胸試し風に道路を走り、威嚇射撃を受ける。たしかに衝撃的かつ異常な話である。

私が、パレスチナ自治区を訪れたのはヨルダン川西岸である。穏健派の方だ。観光地であるベツレヘムや死海には、多少の緊張感はあったものの、危険は感じなかった。私が危険だなと思ったのは、パレスチナ(ベツレヘム)からイスラエル(エレサレム)に帰る際のイミグレだった。足を投げ出した若い女性兵士が、我々のパスポートを一瞥して、ポーンと投げ出すのだ。高校卒業後、義務として徴兵されているという状況を鑑みても、私は(私も含めた観光客だけでなく、地元の)パレスチナ人への高圧的な態度に、心情的な「危険さ」を感じたのだ。(12年8月13日付ブログ参照)

日本では、今回のイスラエルのガザ侵攻に様々な報道がなされている。どうもイスラエルは、かなりヒールになりつつある。だが、どんなに批判されようと、イスラエルの姿勢は大きく変わらないと思われる。毎日のように妻と討論になるのだが、全く解決の糸口は見つからない。私は、どちらの味方でもないが、「世界一巨大な監獄」という上原氏の表現だけはあたっていると思うのだった。

2014年7月28日月曜日

毎日 WWⅠ墺軍のユダヤ人

ウィーンのユダヤ博物館
毎日新聞に、第一次世界大戦100年ということで興味深い記事が載っていた。オーストリア・ハンガリー帝国に住んでいた30万人ものユダヤ人が、多民族国家の一員として軍に参加したという話だ。現在、ウィーンのユダヤ博物館で特別展が開かれているのだという。

当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、反ユダヤ主義を掲げたウィーン市長の就任を拒否するなど公平な態度をとっていた。ユダヤ人が進んで帝国軍に身を投じたのは、皇帝への強い忠誠心からだったという。

皮肉にも、オーストリア出身のヒトラーによって、オーストリアが併合されホロコーストが始まるわけだ。企画を手がけた学芸員は、「勇敢な戦歴も全てを破壊したナチスの前では幻のようなものだった。」と語る。

ちょうど、今日は一日中、世界史Bの教材研究に勤しんでいた。いかにしてナチスが政権を握り、どのような政策を行ったのか。そういう内容だ。これを理解するためには、WWⅠの終わり方が重要だ。キール軍港に始まるドイツ革命によって、ドイツと言う国自体が崩壊したのだ。ボクシングで言えば、急にタオルを投げられたようなものである。その後、かのケインズも会議の席を立ったという、天文学的な賠償金。総力戦の決済を英仏は全てドイツに押し付けたわけだ。結局、そのマネーはアメリカの金融資本へと流れていくのだが、ドイツ国民のハイパーインフレの苦労は並大抵ではなかった。

ヒトラーが主張したロジックは、ドイツ国民の誇りを取り戻すナショナリズムそのものだった。アーリア人優位説。ドイツ民族は偉大だと声高に叫ぶわけだ。そのために、伝統的な反ユダヤ主義を持ち出す。WWⅠに負けたのはなぜか?ドイツ革命のためである。ドイツ革命を起こしたのはユダヤ人社会主義者だ、とくる。たしかにマルクスも、ロシアの赤軍の父トロツキーもユダヤ人であるし、ユダヤ人の社会主義者は多かったのは事実であるが、誇張である。さらにハイパーインフレを起こし儲けているのはユダヤ資本だとくる。これも伝統的にユダヤ金融資本の雄ロスチャイルドはフランクフルトから出ているし、金融資本家にユダヤ人が多かったのも事実。だが、それも誇張である。ただ、失意にあったドイツ中産階級には有効なデマゴーグであったわけだ。ユダヤ人を排斥し、優秀なドイツ人による第三帝国を打ち立てようというスローガンは、うまいプロパガンダで支持を増やしていく。そして水晶の夜以降のユダヤ人への大迫害・大虐殺。この辺、マニアックにやっていくといくら時間があっても足りないくらいだ。

ユダヤ人が30万人もWWⅠでドイツの同盟であったオーストリア軍に参加していたというのは驚きだ。だが、ホント、世界史的にも「幻」のような史実であると私も思う。

2014年7月27日日曜日

資本主義の終焉と歴史の危機

「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫/集英社新書・14年3月19日発行)を先日読み終えた。先週は、進路をめぐる三者懇談の週で、教室で懇談の空き時間に少しずつ読んでいたので、通勤時間とあわせ読破したというわけだ。マクロ経済の本なので、「経済学部に進もうと思っています。」という生徒がいたりすると、グラフだけでも見せたりして「マクロ経済と言うのは、こんなんやが、どうやあ?」とビビらせるのに重宝した。(笑)ありがたいことに、この新書は数式抜きなので私自身は、そう肩を張らずに読むことが出来た次第。

もし、世界史Bや政治経済でこの本の内容を高校生に紹介するとしたらこんな感じになるかと思う。

経済はマグロだ。前に泳ぐのをやめたら死んでしまう。資本主義経済では、利潤を求める経済活動をどんどん進め、経済成長するのが身上だ。ところで、最近は先進国の国債の利子率が低下している。実質ゼロ金利になってきた。マクロ経済的に見ると、金利は利潤率とほぼ同じ。つまり、資本を出しても、利潤を得られない、1年間100万円出資して102万円になるくらい。ほとんど儲からない、ということだ。

これまでの歴史では、16世紀、地中海貿易で栄えていたイタリアに同じような例がある。新大陸で大量に銀を掘り出したスペインの資本(銀)が取引先のイタリアに入ってきて、マネーがだぶついた。イタリアでは山頂までワイン用のブドウ畑になってしまった。当時のワインは最先端産業。新たなブドウ畑をつくれないということは、新たな利潤を生み出す投資先がもうないということだ。やがて、世界史はスペインの覇権からイギリスの覇権に転換する。陸に基盤を置いていたスペインではなく、海を制したオランダやイギリスに資本を投下して資本家は儲けるようになった。新大陸やアジアは、資本主義の「周辺」となり搾取されることになる。

1970年代、原油価格の高騰が始まった。先進国では、ものづくりで利潤を得ることが難しくなった。投入コストが上昇したからである。しかもベトナム戦争以後「地理的・物的空間」で市場を拡大することが出来なくなった。新しい「周辺」を得ることが出来なくなったといっていい。そこで、アメリカは、新しい「電子・金融空間」を創造する。ITと金融自由化によって、国境をマネーが越えるようになった。金融による利潤を求めたのである。新自由主義の経済学は、政府より市場が正しい資本配分ができるという。これに乗ったわけだ。

しかし、この電子・金融空間は貪欲な資本主義の原則によって、経済格差を拡大させていく。リーマンショックの犠牲者は、(サブプライムローンの)貧困層であった。中間層も、税金でその対策費を取られた。バブルは、これからも繰り返されていく。中間層はますます没落するシステムになっている。新たな「周辺」は国内の中間層以下というわけだ。

日本でも、金融市場で余ったマネーが、過剰な設備投資に向かう。企業の利益率は下がる。利益率を維持するためには、労働賃金を抑えるしかない。それが派遣社員の増加となって現れているわけだ。

…概要はだいたいこのような感じである。要するにもう、経済成長は望めない。資本主義というシステム自体が崩壊の危機にあるわけだ。すごいインパクトのある話である。ただ、この新書の構成の問題なのかどうかわからないが、何度も繰り返して同じ話が展開されている。まるで、洗脳されていくような感覚があったことも事実である。とはいえ、経済学部に進みたいという生徒には無理やりでも読ませようかなと思っている。

2014年7月26日土曜日

殺人光線は電子レンジになった

島田海軍研究所 跡地
http://www.geocities.jp/motogt/
data/0-spc-tuioku.html
先ほどたまたまTVを見ていたら、静岡県島田市に原爆の模擬弾が落とされたことと、その島田市で、海軍の軍事技術研究所があり、そこではマグネトロンを使った殺人光線(今で言うレーザー光線)で直接B29を撃ち落とす技術開発をしていたらしい。実際、5mくらいから小動物を相手に効力を発揮したらしいが、当然失敗に終わっている。戦後、アメリカにより査察が行われ、多くの真空管が太平洋を渡ったということである。ワシントンDCの国立公文書館での調査ではボルチモアに運ばれたとのこと。ただ、その後はわからない。

日本は理研で原爆の研究もやっていたし、中国東北部では生物兵器の研究もしていた。第二次世界大戦は、あらゆる科学技術を結集しての総力戦だったから、殺人光線というネーミングが不気味だとはいえ、驚くにはあたらない。そう思ったのだが、最後に島田研究所のメンバーが、記念写真をバックにテロップで流れた瞬間、驚愕した。日本物理学会のビッグネームのオンパレードだったのだ。

湯川秀樹、朝永振一郎、伏見康治…。完全文系の私でさえ知っている大御所である。先日読んだ立花隆の「天皇と東大Ⅳ」で、戦時下のこの辺の理系の研究者の事情が詳しく書かれていた。誰が彼らを責めることが出来るだろう。実際、戦後、彼らは様々な場面で平和活動を推進している。

ちなみに、このマグネトロン、今は電子レンジでその技術が利用されているわけだ。

毎日 カリフをめぐる状況報道

イラク・シリアで勢力を持つISISのバグダディ氏が「カリフ宣言」して「イスラム国」を建国して、約1ヶ月。世界各地のイスラム過激派はどう動いたのか。私は気になっていたのだが、今朝の毎日新聞朝刊が報道していた。さっそくエントリーしておきたい。

イエメンのアルカイダ(AQAP)とチュニジアの「アンサール・シャリア」は、カリフに忠誠を示した。
北アフリカの「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)は、事前にイスラム指導者たちに相談しなかったと批判、アルカイダのザワヒリ容疑者に忠誠を改めて示した。
ナイジェリアの「ボコハラム」は、カリフとザワヒリ容疑者の双方への支持を表明した。

「アルカイダ」のザワヒリ容疑者自身は沈黙を保っているが、シリアからISISの撤退命令を出しながら無視され、シリアのアルカイダ系組織である「ヌスラ戦線」が「イスラム国」と戦闘を続けている状況を見ると「カリフ」を認める可能性は低い。

7月に入って、この「ヌクラ戦線」に対して戦闘力を誇示してるところから、「イスラム国」が「アルカイダ」に取って代わる可能性も指摘されている。アルカイダに影響力があるイスラム指導者ハニ・シバイ師は、アルカイダ指導部は沈黙するのは賢明ではない、明確な立場を表明すべきだと述べたという。

…「カリフ」制のイスラム国家建設は、イスラム過激派の共有する目標である。果たして、バグダディは、木曾義仲なのか。織田信長なのか。はたまた他のイスラム国家を巻き込んで世界史に名を残すのか。

2014年7月25日金曜日

ブルキナ発の航空機事故

ブルキナファソの首都ワガドゥグ発のアルジェリア航空機が、ブルキナの国境を越えたマリ上空で墜落したらしいというニュースが流れた。マリの武装勢力によるテロか?と私はつい思ったのだが、どうやら悪天候によるものらしい。どちらにせよ多くの方が被害にあわれたわけで、改めて追悼の意を表したい。

このところ、ウクライナのマレーシア機撃墜、台湾での墜落事故と、重大な航空機事故が立て続けに起こっていて不気味である。まして、ワガドゥグ空港発ともなれば、実際現地に行ったことのある私としてもヒトゴトではない。

少し、ワガドゥグ空港について書いておきたい。ワガドゥグは、ブルキナファソの首都であるのだが、面白いことに空港がその中心に位置している。こんな街は珍しい。鉄道駅もなく、幹線道路もそんなに発達していないワガドゥグでは、(私の持っている市街地図を見てもよくわかるが)やたら飛行場が目立つ。普通は、市郊外数キロとかに位置しているもんだが、ダウンタウンのすぐ近くである。アメリカのサンディエゴ空港も近いが、ワガドゥグの場合、空港を中心に市街地が広がっている感があるのだ。

手荷物検査のX線装置が一つしかなく、搭乗するのにやたら時間がかかったのも、イミグレがまるで田舎駅の改札のようで、これまた時間がかかったのも、今は楽しい思い出でである。当然、航空機の待機する場所まではバスで移動、タラップで機内に入る。

ワガドゥグでは、空港に近い故に、やたら頭上を航空機が飛んでいく。アフリカは航空交通が発達していると地理で教えるのだが、実際には多くの市民にとっては高嶺の花である。航空機に乗れるのは外国人か、一握りのエリートである。

ブルキナ発の航空機事故のニュースを聞いて、様々な思いが去来するのだった。

2014年7月24日木曜日

オリーブ山便りを読む。その2

ベングリオン国際空港
https://shmsholyland.wordpress.com/page/4/
連日、ガザでの戦闘の様子が報道されている。先日紹介した「オリーブ山便り」には、日本で報道されていない内容も多く、我が家では大変重宝している。

フランスや北米から、イスラエルへの新移民の到着の報。彼らは、ガザに近く攻撃を受けている南部へ、さっそく移住していったという。新移民の言によれば、フランスでは、反ユダヤ的な行動も起こっており、こちらのほうが安全だという意識をもっているという。凄いな。およそ我々の思考方法を越えているわけだが、このへんがイスラエルに住むユダヤ人理解の鍵のような気がする。また単身アメリカから移住してきた兵士が戦闘で死亡したが、ハイファ市で、「彼の葬儀を寂しいものにしてはならない。」との呼びかけに、2万人が集まったという。これも、イスラエルのユダヤ人を読み解く鍵だと思う。一方で、反戦を訴えるデモもあるようだが、ガザで一般人が多く死んでいるのは受け入れがたいが、今回の戦争は仕方がないというのが世論の大勢ようだ。

私としては、どちらの味方でもないのだが、人間の盾を使って民間の家屋からロケット攻撃したり、避難民を逃がさなかったりしているハマスもハマスだと思うし、地下トンネルという極めてベトナム的なゲリラ戦法を取らざるを得なかったハマスに、イスラエルとの軍事的格差と同情を感じざるを得ない。救急車でハマスの戦士が移動するのは何が何でもやりすぎだ。実際にイスラエルに足を踏み入れた私は、イスラエルの世論の「仕方がない。」という意見に妙な真実味を感じてしまうのだった。

さて、テルアビブのベングリオン空港だが、多くの外国航空会社が乗り入れを停止し始めた。まあ、当然の措置と思われるが、この空港に市内から車で行くだけで、かなり時間がかかるのだ。遠いのではなく、まるで日本の城のように、侵攻し難い様に道が蛇行しているのだ。城塞都市ならぬ城塞空港といってよい。その辺の平和な空港とはわけがちがう。当然アイアン・ドームが相当数設置されていることと思う。

イスラエルの国営のエルアル航空は、他社の路線の分も振り替えで飛ぶと言っている。エルアル航空は、ミサイル攻撃に対しても防御できる装置(フライトガード)を全機装備している。ミサイルはエンジンなどの熱源を感知して飛来するのだが、機体から熱源をばら撒いてそれを防ぐわけだ。装備に1億円ほどかかるらしい。エルアル航空は、まさにIt's not just an airline.なのである。(12年8月10日付ブログ参照)そう、イスラエルそのものなのだ。

http://mtolive.blog.fc2.com/

2014年7月22日火曜日

両陛下ハンセン氏病療養所訪問

天皇皇后両陛下が、半世紀をかけて国内のハンセン氏病療養所を全て回られたと言うニュースをTVで知った。今日最後に訪問されたのは宮城県の療養所・東北新生園。今回のご訪問も両陛下の強い希望であったという。いつもながら、両陛下の弱い立場の国民をいたわるご姿勢には心打たれるものがある。

毎日新聞のWEB版には、唯一直接訪問できなかった(大型船が着岸できず、高松市内で懇談された)2004年の大島青松園の話も載っていた。直接行けなかったことを払拭するかのように、小豆島の帰りに療養所のある大島に近づき手を振られたのだという。これもTVで放映されていた。素晴らしい光景であった。

簡単に全療養所を回るといっても、大変なことだ。公務の合間をぬって行かれたわけだが、常にハンセン氏病の患者のような弱い立場の国民のことを思っていなければできることではない。これぞ、「経世在民」である。

そのあとTVに映し出された「経済」を担当する財務大臣の国民を馬鹿にしたような、いばった姿勢とはまさに対蹠にある。

2014年7月21日月曜日

毎日 メディアリテラシーの好教材

http://stormtroopernerd.blogspot.jp
/2012/01/media-literacy.html
集団的自衛権の閣議決定をめぐって、様々な意見や報道が流されている。毎日新聞の朝刊4面のオピニオンに、めずらしいと言ってよいと思う記事が載っていた。
全国紙ならびに地方紙の7月2日の社説・論説の見出しを一気に掲載したものだ。メディアリテラシーのめったにない教材として、このブログにエントリーし、保存しておくべきかと思う。

<全国紙>
毎日新聞  歯止めは国民がかける
朝日新聞  この暴挙を超えて
読売新聞  阻止力向上へ意義深い容認日米防衛指針に適切に反映せよ
日本経済新聞 助け合いで安全保障を固める道へ
産経新聞  助け合えぬ国に決別を 日米指針と法整備へ対応急げ
<地方紙>
北海道新聞  日本を誤った方向に導く
室蘭新聞   決め方が軽すぎる
東奥日報   国民に改正の是非を問え
デーリー東北 専守防衛の国是ゆらぐ
岩手日報   主権者の意志を顧みよ
河北日報   重い選択、あまりに軽く
秋田魁新報  9条踏みにじる暴挙だ
山形新聞   平和憲法に最大の試練
福島民友   安保政策の歴史的転換だ
茨城新聞   国のありよう託せない
下野新聞   国のありよう託せない
上毛新聞   性急過ぎるプロセス
神奈川新聞  首相は説明責任果たせ
山梨日日新聞 超えた一線、国民の覚悟聞け
新潟日報   平和国家の根幹が揺らぐ
北日本新聞  「国民無視」を貫く政権
北国新聞   法制度へ理解深めたい
富山新聞   法制度へ理解深めたい
福井新聞   戦う国がなぜ安全なのか
信濃毎日新聞 政府の暴走を許すな
岐阜新聞   性急かつ乱暴なプロセス
中日新聞  9条破棄に等しい暴挙
東京新聞  9条破棄に等しい暴挙
京都新聞  9条空洞化の責任は重大だ
神戸新聞  憲法を骨抜きにする閣議決定 
日本海新聞  国のありようゆるせない
山陽中央新報 国民的議論尽くすべき
山陽新聞  これで歯止めがかかるのか
中国新聞  平和主義を踏みにじる
山口新聞  専守防衛の国是揺らぐ
徳島新聞  将来に禍根を残す暴挙だ
愛媛新聞  平和国家を危うくする暴挙だ
高知新聞  「限定的容認」の危うさ
西日本新聞  試される民主主義の底力
佐賀新聞  安心感よりも不安が強い
長崎新聞  国民不在、反対は続く
熊本日日新聞  「9条」の信頼捨てるのか
大分合同新聞  国のありよう許せない
宮崎日日新聞  急がず国民的議論が必要だ
南日本新聞  憲政に汚点残さないか 禍根を残した国民不在
沖縄タイムス 思慮欠いた政権の暴走
琉球新報  日本が「悪魔の島」に 国民を危険にさらす暴挙

…およそ、政府の閣議決定を支持しているのは全国紙の読売と産経、日経くらいで、地方紙のほとんどが批判的だ。なかなか過激なものも多い。こうして地方紙の名前を入れていく中で、これまでのその地方の反政府的な歴史(足尾銅山事件とか民権運動とか)を一つひとつ想起してしまった次第。驚いたのは首相の地元の山口新聞まで批判的であることである。

2014年7月20日日曜日

アフリカの「コード・スイッチング」

http://www.etsumi.jp/watoto/
africa/faili/ol_language.html
夏季休業に入ったので、「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編・世界思想社)で学んだことを少しずつエントリーしようと思う。今日は、小森淳子・大阪大学大学院教員が担当されているアフリカの言語についてである。

アフリカの言語は民族区分の主要素になっているが、基礎語彙90%以上が同じ(たとえばウガンダのンコレ語とチガ語のように)でも別々に数えられている。言語学的な区分ではなく、植民地支配による民族分離政策によるものである場合も多いからだ。アフリカの言語は系統的には5つ(ニジェール・コンゴ語族、ナイル・サハラ語族、アフロアジア語族、コイサン語族、オーストロネシア語族)に分かれるが、このうち、最も広域に分布するのが、ニジェール・コンゴ語族のパントゥー諸語である。およそ1500年の間に赤道以南の広い地域に分布し、互いによく似ている。一方、アフリカの手話言語は30種ほどあるようだ。

アフリカの言語状況について広く共通して言えることは「多言語の共存と多言語使用」である。それぞれの地域特有の民族言語は折り重なるように分布しており、さらにその上に地域の共通語、公用語が重なって分布する。個人のレベルで見ると、各人は生まれ育った環境によって複数の言語能力を有し、場面や相手に応じて言語を使い分ける状況が一般的である。例を挙げるとタンザニア北東部のルショット県では、主要民族はシャンバー語であり、共存する少数民族のマア人は誰もがジャンバー語を習得している。これらの大小の民族語に加えて、公用語であるスワヒリ語が使い分けられる。特にタンザニアでは、独立後政治的な努力によって公用語としての機能を高め、都市部では家庭でもスワヒリ語を使う場合が多い。教育を受けた人々は職場や日常生活でも英語を公用語として用いている。社会状況でも個人でも多言語使用が常態化しているわけだ。このことについては、私はすでに京大の公開講座で学んでいた。(11年7月16日付ブログ参照)この相手によって言語を変えるという使い分けだけでなく、一つの会話のなかにおいても言語が切り替えられる状況も生じる。これを「コード・スイッチング」という。

…私は、ジンバブエから南アへ帰る夜行バスの中で、この「コード・スイッチング」を体験した。たまたま隣に座ったガーナ人と英語で会話していたら、左斜め前のガーナ人が会話に入ってきたのだ。会話の主題はジンバブエの白人支配についてだった。私がジンバブエの首都ハラレでリサーチしたら、「White,come back,」と多くの人が言っていたというと、ビジネスマン風の隣人は同感だと述べたのに対し、斜め前の民族衣装を着たガーナ人は、「それは、君がハラレという都会で聞いたからだ。農村で聞いたら答えは違うものになったはずだ。」と反論してきたのだ。ガーナ人2人と討論になったのだが、やがて、彼らは同じ「ガ人」であることが判明した。急に、語彙が判らなくなった。ガ語で話始めたのだ。だが、討議するにはガ語の語彙だけでは無理なようで、結局英語に戻ったのだった。

最近、ケニアのナイロビでは「コード・スイッチング」から、複数の言語(キクユ語やルオ語・マサイ語、スワヒリ語、英語など)が混淆した言語が生じているらしい。2・3の言語を恣意的に混ぜ合わせて使う段階から新たな文法まで獲得しており、新言語の誕生を予感させるのだと言う。こうしたナイロビのスワヒリ語ベースの混淆語は「シュン語」と呼ばれ、若者コトバであったものがやがて幅広い世代、さらに他の都市部、マスメディアにも用いられているという。

ヨーロッパ言語をベースにした新言語は、クレオールと呼ばれ、英語ベースのナイジェリアのビジン語などアフリカ各地に様々なものがある。

もちろん、書き言葉としては、現在もヨーロッパ言語がエリートの道具としてアフリカでは大きな力をもっている。初めて訪れたケニアで、私はそれに大きな衝撃を受けた。高等教育を行うためには、ヨーロッパの言語の語彙(注射器とか国債とか、弁証法とか言ったコトバ)がどうしても不可欠なのだ。だが、南アフリカのように、国歌などで各民族語を恣意的に混淆しようとしている例もある。(本年4月4日付ブログ参照)私は、言語学的才能に欠けているので、これ以上はよくわかならないのだが、この新しいアフリカの新言語の動き、なかなか面白いと思っている。日本語におけるジャパニーズ・イングリッシュであるコンセントやベッドタウンなどの語彙も、同じカテゴリーに入るのかもしれない。(笑)言語は、まさに生き物だ。

2014年7月19日土曜日

日経 トゥキュディアスの戦争論

Thukydides
第一次世界大戦から100年ということで、このところ、大戦について活発な論議がされている。昨日の日経に、防衛研究所の石津朋之氏の第一次世界大戦の教訓(下)という小論が載っていた。この中で、古代ギリシアのトゥキュディアスが定義した、戦争の原因の「利益、恐怖、名誉」という三要素が出てくる。第一次大戦では、イギリスがオランダ・ベルギーでの国益を守ろうとしたのが「利益」にあたり、ドイツの東欧でのロシアの覇権拡大を危惧したという「恐怖」、イギリスのドイツの勢力拡大という「恐怖」、さらには、イギリスがベルギーとの安全保障条約を遵守しようとした「名誉」などが、挙げられていた。古代ギリシアから、人間のやることなど十分認識されていたわけだ。

さしずめ、現パレスチナのガザの紛争は「恐怖」が主因であろうし、中国の東・南シナ海での行動は「利益」が見え隠れする。ところで、昨日マレーシア航空機の撃墜で世界的に注目されているウクライナの親ロシア派とウクライナの内戦はどうで見るべきであろうか。

同じ日経に、「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫著/集英社新書)の広告が載っていて、内田樹氏や佐藤優氏のコメントも購入するに十分の期待感を抱かせた。さっそく購入して読み始めた。水野氏はベトナム戦争以後、アメリカは軍事力を使って市場を拡大するすることが難しくなったと書いている。ベトナム戦争は帝国主義的な、地理的物的空間的市場獲得の分水嶺になった、というわけだ。これ以後アメリカは、IT金融市場空間をつくり新しい市場を獲得していくことになった、というのである。詳細はまた、読後にということで、話を戻したい。

ロシアは、ウクライナ東部をどう考えているのか。すでに先進国は、戦争の愚、特に経済的な影響をを十二分に学んでいる。地理的空間的市場拡大を得るという「利益」を求める戦争は、前述の新書の内容からも、完全に過去のものだといえる。
「恐怖」から、EUとの緩衝地帯を求めているのならば、これも時代錯誤の認識である。軍事技術、特に航空戦力は緩衝地帯をはるかに越えて有効である。

ならば民族的「名誉」であろうか。だが、今回のマレーシア航空機撃墜で、その民族的な名誉は地に堕ちたと思わざるを得ない。ロシア民族の評価が堕ちることが、決していい事だとは思わないが、少なくとも全地球的にロシア武装勢力は完全にヒール(悪役)に堕ちたと思われる。イスラム武装勢力もヒール扱いされているが、少なくともまだ(欧米的価値観に反対する)イスラムの正義を信じる他地域の味方が存在する。しかしロシア武装勢力は違う。彼らの唯一の味方・本家のロシアがヒールとされてしまうと、世界から完全に孤立する。プーチン大統領のコメントを聞いていると、そこまでの覚悟はなさそうだ。

…トゥキュディアスの三原則をもとに考察すると、こんな具合だろうか。

2014年7月18日金曜日

”WICKED” その4 トリ

終業式である。今年も、インターハイ出場選手の壮行会が野球部の3年生によって行われた。本来なら彼らも甲子園への道をひたすら走っている筈だと思うと、エールが少し悲しげに聞こえた。ともあれ、明日から夏季休業である。

本校では、進路決定を控えた3年生にとっては、評定(5段階の各教科の評価を総平均した数値)が、大学等の指定校推薦や就職の有利・不利に大きく影響するので、どうしても通知表のそこに目が行く。頑張った生徒は、評定平均が1・2年の平均値よりアップするのである。通知表を渡すと悲喜こもごもである。

通知表も渡し終えて、いつものように「姿勢を正して聞いてくれ。」という決まり文句を私が発すると、一気に静まり、注目してくれる。我が4組は、何よりここが凄いと思っている。一呼吸ついて、あらかじめこれだけは言っておきたいということを述べた。

「夏季休業前に、いくつか言っておくなあ。1・2年で担任した生徒にとっては何度も聞いているコトバだと思うが、イベントは、サバイバルゲームである。責任感のある者が生き残る。全員がそうあって欲しい。先ほどの大掃除(油引きもあったので机を出し入れしたり、いつも以上に大変なのだ。)では、たいした指示もしていないのに見事にやってくれた。文句のつけようがない。ホント嬉しい。4組の全員が、(団活動で)たいへんだろうが、やってくれると信じている。よろしく頼む。但し、自分の進路のことは必ず優先するように。オープンキャンパスや模試、もちろん補習や受験勉強も優先とする。自分にとって今、何をしなければならないか、常に自己責任で考え、行動するように。人間は不平等なものだ。私はA(君)のようにバスケットは上手くない。H(君)のようにダンスが上手くない。(笑)だが、平等なものがひとつある。それは時間だ。時間だけは平等だ。その平等な時間をどう使うかが大事だ。みんなには、その時の風任せで飛ぶグライダーではなく、自分の意志で飛ぶプロペラ機であって欲しい。」

放課後、舞台チーフ会議があった。そこで出演順の抽選が行われた。なんと、我が4組はトリをとることになった。舞台チーフでシナリオライターでもあるS君は、ニコニコして「トリを取れました。」と7割方完成しているシナリオを見せながら報告してくれた。私自身は最後までドキドキするのかあ…と思ったが、S君のあまりの喜びように、彼らの自信を感じ取った。我がクラスの生徒に、「トリだぞう。」と言うと、大喜びする者が多かった。和して勝つ。勝ちて和す。1学期をかけて、十分私のクラスが出来上がった実感を得たのだった。よし、全力で”WICKED”を支えようではないか。体調を考えると最後の担任になる可能性が高い。

2014年7月16日水曜日

礼文島のペンション・うーにー

妻が未だに20年ほど前に行った北海道・礼文島のペンションのオリジナルTシャツを愛用している。「モノ持ちが良い」と言ってしまえばそれまでだが、このTシャツ、私も気に入っている。

礼文島は北海道でもなかなか行けないトコロだ。稚内からフェリーで行くことになる。ツアーなら利尻島とセットになっていて、宿泊は利尻の場合が多い。私が礼文島に行った時は、小樽に新日本海フェリーで着いて、留萌経由でオロロンラインをサロベツ原野へ向かった。サロベツ原野から見る利尻富士は素晴らしい。サロベツの豊富温泉で一泊、稚内でもう一泊して、礼文島・香深港に向かったのだった。礼文島から見る利尻富士もまた素晴らしい。絶景である。(私は結局、利尻島には行っていない。笑)

礼文島は、平たいのに、北にあるので、高山植物が咲き乱れることで有名な島である。山登りは苦手だが、安易に高山植物を見れるという、ずぼらな私には魅力的な島である。スコトン岬、桃岩など見所も多い。中でも澄海岬は、絶景の多い北海道でも絶景中の絶景であると思う。
礼文島の絶景・澄海岬
で、この花の島・礼文で泊まったのが、ペンション・うーにーである。20年前だから、ネットなどなく、大阪の観光案内所で集めたパンフレットで知ったのだった。素晴らしい宿だった。夜には、プラネタリウムのような照明がある部屋で幼かった息子も大喜びした。夕食はフランス料理風。これまた大満足だった。しかも、オリジナルのグッズがあったので、喜んで買ったというわけだ。
妻はオレンジ色のTシャツを着ている
久しぶりに検索してみると、まだ同じデザインのTシャツやシールが売られていた。なんだか嬉しい。取り寄せできないかなあ。

2014年7月15日火曜日

朝日 本校野球部の記事


今朝の朝刊(朝日の大阪版)に本校の野球部の記事が載っていた。実は、昨日1回戦で逆転負けを喫してしまったのだ。

「控えの主将、止まらぬ涙」
1点を追う9回表2死1・3塁、最後の好機に代打に立ったのはH主将だった。新チーム発足時に監督から主将に指名された。控えだったが、視野が広く、部員をまとめる力があると判断された。打席に入る際、「みんなでつくってくれたチャンス。絶対期待にこたえよう」と気合を入れた。直球を狙ったが2球続けて空振り。3球目の変化球にバットが出ず、見逃し三振に終わった。

「毎日何百回も素振りをしたのに最後の球を振ることさえ出来なかった。なんで見逃したんだろう。みんなに申し訳ない。」試合後、そう言って泣きじゃくった。2番のF君は、「あいつが出て打てなかったなら仕方がない。そう思わせる最高のキャプテンだった。」とねぎらった。

…月曜授業ということで、応援に行ったのは野球部員と保護者の方々のみ。私も含めて本校関係者は応援に行くことができなかった。我が学年の夏の大会を見ることなく終わってしまったのだ。クラスのT君に、メールで報告してもらうよう依頼していた。結果がわかったのは5時間目の授業終了後だった。

…今日、可愛がっている普通科の野球部員たちに「ごくろうさん」と声をかけた。しかし、ついコトバが震えてしまう。残念で仕方がない。試合に出る選手はもちろん、応援に頑張る3年生たちをも応援したかった。だが、記事にあるように、素晴らしいドラマを彼らは体験したのだ。この経験を、これからの人生で活かしてくれれば、と思う。

今日の画像は、2回戦に持っていくはずだった保護者のみなさんがつくられた応援タオルである。監督のI先生に、いつも応援に行っているのでもらったものだ。大事に残しておこうと思う。

2014年7月14日月曜日

ボコハラム、「イスラム国」支持

今朝の日経・朝刊の国際面に小さな記事が載っていた。ナイジェリアのボコハラムが、イスラム国のカリフを支持するという声明を映像で表明したという。

結局、イスラム国のカリフは、アルカイダ系の過激派のシンボルとなる様相を呈してきた。これで、多くのイスラム国は、カリフの存在を否定することになる可能性が高まったわけだ。とはいえ、まだまだどうなるかわからない。

オリーブ山便りの7月11日付けの「ガザで激しい攻撃を続けるイスラエル軍」に次のような記述がある。<ISISの動き>イラクで勢力を伸ばすISISは、ハマスと同じスンニ派だが、基本的にはつながりはない。今回もハマスを支援しないと表明している。ISIS自身は「イスラエルとの直接対決は、まずシリア、レバノンを制覇して、イスラム国を堅固にしてからになる。今は時ではない。」と語っている。しかしアルーツ7によると、ISISがガザからミサイルを発射する映像が流されており、言う事とすることに違いがある可能性もある。

世界中のイスラム原理主義組織をめぐる紛争と中東問題がリンクして、ますます混迷することだけは間違いない。

2014年7月13日日曜日

陸上部の記録会を覗きに行く2

先週の金曜日だったか、臨席のT先生に、「日曜日に枚方で記録会があります。」と教えてもらった。かねてから、枚方の陸上競技場で陸上部の試合がある時は教えてくれるよう頼んでいたのだ。自宅から陸上競技場まではバイクで10分ほどだ。我がクラスのK君が出場するといっていた3000m障害(3時くらいに始まると聞いていた。)に合わせて、2時30分に着いた。前回と全く同じ場所に、本校の陸上部が集まっていた。今回は何も伝えていなかったので、みんなびっくりしつつも喜んでくれた。前回覗きに来た時の「枚方でやるときまた行くなあ。」という約束を果たせたわけだ。

K君もいた。てっきりもう点呼でいないと思っていたのだが、聞くと雨のため2時間ほど、全体的に競技が遅れているという。でも、おかげで、200m走や4×100mリレーなど、前回見れなかった短距離メンバーの走りも見れたし、本校でただ1人の投擲(とうてき)競技者のMさんの活躍(槍投げで1位をとった)を見ることも出来た。今日はハンマー投げもやったらしい。凄いな。
K君の3000m障害は5時すぎに始まった。まるで馬術のような障害が400mトラックに3台。さらに水濠もある。4つの障害を乗り越えるとき、絶対スピードを上げなければならない。これは普通の長距離よりはるかにしんどそうだ。K君は死力を尽くして上位で走りきった。ほんと、長距離をやっている生徒は真面目だ。またまた感心して競技場を後にしたのだった。

イスラエルの空襲警報ビンゴ

先ほど息子からメールで送られてきた、今イスラエルのフェイスブックで流れている「空襲警報時にあなたは何をしていましたか?」というビンゴ。
イスラエル人のメンタリティの強さというか、慣れているというか、マヒしているというか…という妻のコメント。…全く同感やねえ。

2014年7月12日土曜日

「オリーブ山便り」を読む。

オリーブ山 http://whoswhointhekingdom.com/?tag=the-olivet-discourse
テルアビブのベングリオン空港が攻撃されているが、フツーに運営されているとか。どっかの(ポーランドだった)の航空機はびびって帰ったらしいとか。安息日に、ラビがFMは聞いていいよ~と緊急放送もあるから。と呼びかけたとか。妻が、やたらイスラエルの最新情報に詳しい。

息子からメールが逐一あったのかと思ったら、「オリーブ山便り」というブログからの情報だった。なるほど、早くそして詳しい。かなりの数のロケット弾が飛んできているようだが、やばそうなものはほとんどパトリオット(訂正:アイアンドームというらしい。1発500万円するとか。)で打ち落としているようだ。警報がなると、それなりに緊張するようだが、あとは普段と全く変わらないらしい。

ブログの管理人、石堂さんが取材に出ようとしたら、(アパートの)大家さんがアラブ人にペンキ塗りをしてもらっており、「良い仕事してくれてるよ。」というくだりで、石堂さんが力が抜けそうになった、と書いているのがよくわかる。(笑)…アラブ人と戦争中なんだけど…というわけだ。

読めば読むほど、イスラエルは不思議な空間であることがよくわかる。ちなみに、オリーブ山というのは、エレサレムの神殿の丘の東側に隣接したなだらかな山で、イエスが終末的な説教をしたことでも有名。神殿の丘に向かって墓地が広がる。有名なキリスト教の教会も多いところだ。

<オリーブ山便り> http://mtolive.blog.fc2.com/

毎日 社説「ODA見直し」

今朝の毎日新聞の社説は、安部政権のODA大綱改定のための有識者懇談会の報告書について書かれたものだった。日本企業の途上国進出を後押しする国益重視の姿勢と非軍事的目的なら他国の軍隊へも援助を認めるといった方針が打ち出されているそうだ。

現在の日本のODAは、5502億円。ピーク時から半減したものの世界4位・対GNI比18位である。予算を増額するために時代にあわせて大綱を見直すことは必要かもしれないが…と社説は述べた後、するどい批判が繰り広げられている。

報告書には「質の高い成長とそれを通じた貧困削減」「途上国の経済発展と日本自身の力強い成長を同時に実現する」「国際益と国益は不可分」というコトバがならんでいるとのこと。

社説では、これを途上国の貧困削減より成長重視、日本企業の進出を支援し、途上国の成長を取り込むことで日本の国益重視と見る。

途上国の成長は重要だが、成長だけでは、貧困解消になるとはいえない。かえって経済格差が拡大につながる可能性もある。ODAの第一義的な目的はあくまで、開発支援と貧困・格差の解消である。国際益に貢献した結果、広い意味で国益に繋がることは望ましいが、初めから国益を重視する考え方は危うい、と。

…私も全く同感である。こんな報告書をだした「有識者」とはどんな人物なのか知りたくて外務省のHPにアクセスしてみた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/yushikisya/member.html

…この表のトップに載っている渡辺利夫氏について、ウィキや著作のカスタマレビューを読んでみると、およそどういう人物かがわかった。予想通りだった。(画像参照)

さらに、民生目的や災害救助、海上警備のための非軍事目的ならば認めるよう、報告書は検討を求めている。中国を意識した安全保障上の国益と結びついているものも多いと社説は指摘する。非軍事目的であっても、他国から見れば軍事支援とも見られることもある。拙速に解禁すべきではないとも。

…安部首相は「美しい国」「普通の国家」を目指しているという。ODAを国益優先にすることは、まったく美しくない。「お人よしの平和国家・日本」の方がはるかに美しいと私は思う。「普通」でないから、世界中で好かれてきたのだ。ODAまで、「国益」という名の実体の不明瞭な概念に塗りつぶされるべきではない。ODAくらいは、日本のめざす理想を追い求めるもの、日本国民の善意の象徴であるべきだ。

2014年7月11日金曜日

日経 レゴの「革新力」

http://mundobla.com.br/warner-bros-divulga-poster-trailer-filme-aventura-lego/
デンマークのレゴ本社が一時経営危機に陥っていたそうだ。そこで、現CEOのヨアン・ヴィークヌッドストーブ氏が、米国コンサルティングの大手マッキンレーから呼ばれたそうだ。

今日の日経の「革新力」という記事である。何度か書いているが、私は「LEGO」の大ファンである。子供の頃はとても手が出ない高級品であった。ちょっと屈折したあこがれの商品である。30年前、息子が生まれたとき、レゴを買いに走ったくらい、強い思い入れがある。そのレゴの経営の話。興味深く読んだ。

高い生産コストの問題と、新シリーズの相次ぐ発売、テーマパーク、TV番組制作など多角化を進めたあげく、経営が行き詰ったのだという。

新CEOは、創業者一族と徹底して話し合ったという。「何故レゴグループがこの世に存在するのか?」そこから生まれたテーゼは、「より魅力的で消費者に寄り添うレゴを開発すること」であったという。スイスと米国の工場を閉め、チェコやハンガリーに生産拠点を移し、テーマパークを売却、ライセンスを供与したという。ここまでは、フツーのコンサルティングだと記事は新CEOを評価する。問題はここからだという。

新たな商品開発に取り組む。数人の子供にサンプルを与え、大人は一切手出しせず徹底的に消費者(子供)に寄り添ったのだ。

自らが常に革新的であるべきだ。効率を高めることも重要だが、従業員の安全性や快適な環境といった、安心して投資できる条件が整ってこそ、革新的であり続けられる。だからこそ、レゴはまだ非上場企業として存在できるのだ。と、CEOは語る。

…綺麗なコトバでテーゼを出すことは誰にでもできる。しかし、それを実際に実行することは、簡単ではない。そして効率よりも、よい仕事ができる環境を整えることこそ、革新性を進める鍵だということだ。今のくちゃくちゃになった大阪の教育現場にも、このCEOの箴言は活かされるべきだと思う。

2014年7月10日木曜日

日経 ジャムシェドプールの由来

日経の「私の履歴書」は、今、インドのタタ財閥のラタン・タタの連載になっている。アメリカに行っていたラタン・タタが呼び戻され、ジャムシェドプールで修行させられる話が今日の朝刊に載っていた。意外な話が載っていた。ジャムシェドプールは、タタ財閥の創始者ジャムシェド・タタに由来するというのだ。これは知らなかった。

地理では、ジャムシェドプールはインド有数の工業都市として教える。製鉄業は、そもそも鉄鉱石か炭田の近くに立地してきた。いわゆる原料立地である。ジャムシェドプールは、その両方がそろった最適地である。タタ財閥の創業者は、ここに目をつけ製鉄所をつくったのだ。

「私の履歴書」には、ジャムシェドプールには市長がいない、まさに企業城下町として描かれている。警察と司法組織以外、水道もガスも電気も、タタ財閥が管理しているという。凄いな。

何度か書いたが、私は昔からインドに興味がありながら、ついに行けなかった。アフリカでは、特にケニアなどでは、インド人は商店主であったり卸売商であったり、とにかく経済的実権を握っている中間管理職的存在だ。私が、水虫でJICAの看護師さんに病院に連れて行ってもらった(10年2月15日付ブログ参照)後、薬局に寄ったのだが、予想通りインド人の店だった。儲かる商売は、見事にインド人が握っているのだった。

ナイロビにはインド製の製品も目立った。病院のあと、私が買ったサンダルもインド製だった。当然大きな靴の専門店もインド人の店だった。そういうインド経済のピラミッドの頂点に君臨するのがタタ財閥である。ムンバイのゾロアスター教徒としても有名だ。「私の履歴書」でも、ゾロアスター教徒としての話が出てくればいいなと思っている。きっと宗教学的にも貴重な話のはずだ。

2014年7月9日水曜日

団Tシャツ完成。

団活動で着るTシャツが出来上がった。昼休みに3年生の各団に手渡され、さっそく全学年に配布された。5時間目は、色とりどりの団Tシャツの生徒で校内があふれた。みんな嬉しそうだ。(笑)

我が緑団のTシャツもなかなかの出来だ。WICKEDのロゴが縦に白地で抜かれている。女子だけでなく、男子もサイズはSを選んだ生徒が多い。Sだとちょうど体の左にうまくロゴがきてなかなか格好良い。(画像のTシャツは私のLサイズなので、雰囲気が大分違う。)右胸には、3年4組、2年7組、1年6組の4と7と6を使って魔女のロゴがある。
他の団のTシャツもなかなか良い。1年生の担任の先生から「今年のTシャツは、みんなクオリティが高いですねえ。」とお褒めのコトバをいただいた。ちょっと誇らしい。

クラスでは、さっそくみんな着替えて記念撮影ということになった。(笑)期末考査も終わって、それぞれの進路の山場を迎えるのだが、同時に団活動もガンガンやっていかなくてはならない。今日も細かな作業のグループ分けが行われたようだ。私がいない間にどんどん決まっていく。そういう自主的な動きが嬉しいな。

2014年7月8日火曜日

日経 JR九州上場へ

日経を今朝読んでいて、JR九州が上場されるとの記事に目を止めた。私はこういう株式の話にはまったく疎いのであるが、ちょうど政治経済で久しぶりに「企業」について語らねばならないので、極めてタイムリーだと思い読んだのだ。これまで、JR九州はJR北海道やJR四国、JR貨物とともに、政府(独立行政法人の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)がその株式を100%出資している公企業だった。それが、なんとか独り立ちできると判断されるようになったわけだ。上場によって得られる資金は整備新幹線事業に回されるとか。

私は鉄道ファンではないが、JR九州がこのところいろんな観光列車を運行して脚光を浴びていることは知っている。要するに様々なアイデアを出して、企業努力でがんがん利益を上げているのだ。「ななつ星」をはじめ「特急ゆふいんの森」「特急A列車で行こう」「特急あそぼーい」「SL人吉」「特急九州横断特急」「いさぶろう・しんぺい」「特急はやとの風」「特急指宿の玉手箱」「特急海幸山幸」…。
http://www.jrkyushu.co.jp/trains/

私自身は北海道の方がはるかに大好きなのだが、これだけ魅力的な観光列車を見せ付けられると、やはり乗りたくなってしまう。JR北海道との差は歴然である。こういう利潤追求の自由と格差が同居するのが資本主義のダイナミズムでもあるわけだが、うーんと唸ってしまうのも事実。

2014年7月7日月曜日

アフリカの奴隷交易を再勉強。

「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編)は、様々なアフリカ学のスペシャリストの先生方の小論の集合体である。先日エントリーしたように、「アフリカの潜在力」をテーマに書かれているのだが、最初の方は、その前提としての基礎項目について書かれている。今日は、そのうち、印象深かった奴隷交易の歴史についてエントリーしたいと思う。

この項目を書かれているのは中部大学・大阪外大名誉教授の宮本正興先生である。大まかな奴隷交易については私も知っているが、いくつか再発見した事実が書かれていてずいぶん勉強になった。以下、抜書き的エントリーである。

ポルトガルが、太平洋ルートの先駆者である。15世紀、ギニア湾岸では、サントメ・プリンシペの入植地の労働力を求めたのが初めらしい。その後、アンゴラを征服。この2箇所から、ブラジル、その他スペイン領植民地、カリブ海諸島、熱帯アメリカへと移住させられたようだ。次に覇権を得たオランダは、本国では奴隷制が禁止されていたが、帝国内ではゆるされていたというダブル・スタンダード故に17世紀初頭、合衆国やカリブ海地域、さらにガイアナ、ブラジル、東インド諸島へ奴隷を運ぶ。オランダの拠点は現セネガルのゴレ島であった。17世紀末、東海岸では、モーリシャス島、レユニオン島、マダガスカル、コモロ諸島が重要性を増し、サトウキビ農園へフランスが奴隷を運んだ。18世紀の中頃には、ジャマイカ、ハイチが主要な目的地となりイギリス・フランスの独占事業となっていった。

イギリスでは、リバプールを出向する船の1/4が奴隷船で、バーミンガムは(奴隷との)交換用の銃の製造、マンチェスターは綿織物の生産で栄えた。これとあわせて保険業や海運業、金融業が未曾有の勢いで勃興した。ロイド銀行やバークレイ銀行の創始者は奴隷交易で財をなした当時の有力者である。フランスは、オランダからゴレ島を奪い、ナポレオン政権期に奴隷貿易を復活させる。

奴隷交易といえば、アメリカ合衆国を創造しがちだが、実際にはカリブ海諸島(400万人以上)とブラジル(365万人)が2大受け入れ地域で、全体の80%。これはもぐりのもぐりの密売業者の存在と奴隷交易の禁止措置がキューバ(1886年)、ブラジル(1888年)まで遅れたことが要因の1つである。

奴隷交易の影響は、未曾有のグローバル経済を誕生させたことだが、アフリカは人口停滞を余儀なくされ、農牧業を含めて、在来の諸種の産業の発展、あらゆる分野での技術革新が阻害された。交易の見返りにアフリカに大量のマスケット銃が流入し、社会が分断され、安定的なより大きな政治機構の成立が妨げられたわけだ。この後、奴隷交易は廃止されるが、それは必然的に次のレベル、アフリカ分割、さらに植民地経営へと移行するわけだ。

…ヨーロッパ史を中心にすえて世界史Bを講じているが、改めてこういうアフリカからの視点を生徒たちに教えなければと思った次第。

うーん、W杯は、ネイマールの無念もあるし、ブラジルを応援してしまうな。

2014年7月6日日曜日

続 天皇と東大Ⅳを読む。

ポツダム宣言のサイン
http://withfriendship.com/user/
svaruna/potsdam--declaration.php
立花隆の「天皇と東大Ⅳ」で、私が最も印象的だったのは田中耕太郎が戦後の教育をデザインした話だった。(7月2日付エントリー参照)
ところで、立花隆本人はというと、第64章こそが、四巻にもおよぶこのシリーズの最重要な部分だという。第64章は、東大が平賀学長と理工系学部を中心に委託研究を熱心に行い、軍産学複合体となっていたこと、22年ぶりに東大に天皇が行幸されたこと、そして学徒出陣に文系の学生が多く送られたことが描かれている。中でも、立花が最も書きたかったことは、右翼はもちろん、左翼までもがこの時代の歴史を改ざんしているという事実だ。

「わだつみのこえ」に書かれた内容ですら、その軍国主義的な文面が改ざんされていた。立花は、長い間、なぜ日本が戦争に巻き込まれていったかを知りたいと考えていたそうだ。その答えのひとつをこの第64章に凝縮している。この年代を過ごした人々のほとんどが、軍国主義に染まっていて、その史実を明らかにしたがらないのだ。右翼も左翼も。それが、立花の最も主唱したい部分なのである。純粋に中立的に書かれた史実を求めながら、それがいかに難しいことであるか、立花は自書にそれを問うている。極めて立花隆らしいと思う。

もうひとつ、ぜひ書き残しておきたいことがある。ポツダム宣言受諾にあたって、政府が「国体」に大いにこだわったことは有名である。この裏に、後の東大総長・南原繁と高木八尺(やさか)、それに田中耕太郎ら法学部の教授たちの秘密裏な終戦工作があったという話だ。特に高木は、米国の専門家で、東京裁判では知己であった木戸幸一の弁護人になった人でもある。

高木は、様々な情報と深い洞察によって、アメリカが「国体」を必ずしもつぶそうとしないだろうという感触を得ていた。木戸を通じて、このことを昭和天皇に伝え、天皇はそう認識しておられたようだ。御前会議で、その旨を語り天皇自ら陸軍の反対を押し切っている。ただ、高木や南原らは、同義的責任を天皇が取るべきだと考えていたようで、戦後制定された皇室典範に、天皇の退位についての文言を入れていくよう働きかけたらしい。おそらくは、天皇も真剣に退位を考えられたはずだが、皇室典範にない故に、ついに退位されなかったと思われるというのが、立花の推論だ。結局、法規をなにより重視する昭和天皇は、皇室典範に退位についての文言がない故に、また皇太子がまだ年少であるが故に、退位せず全てを背負われたままになったのだろうと私も思う。

この東大の教授たちの終戦工作とポツダム宣言受諾、皇室典範にまつわる話は、戦後史を語る上で、極めて重要だと思うのだ。

アフリカの潜在力とは何か。

   日本学術振興会・基礎研究のHP http://www.africapotential.africa.kyoto-u.ac.jp/
昨日の土曜日は、これまでにないほど睡眠をとった。期末考査の採点などで、かなり疲れがたまっているようだ。と、ここまでは昨日エントリーできなかった”いいわけ”である。(笑)今日こそ「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編)の序「アフリカの潜在力に学ぶ」について改めて書いてみたい。

これまで私は京大やアフリカ学会の公開講座で「アフリカの潜在力」について学んできた。(ラベルの京大公開講座・参照)この「潜在力」について見事にまとめられている。自分の勉強のためにも、絶対エントリーしておきたい内容である。

松田先生は、まず世界が数世紀にわたって意識的・体系的につくりだしてきた一般的なアフリカ認識(同情や救済の対象・資源の供給源)を批判する。こうした認識を打破するためには、同じく数世紀にわたってアフリカ社会が創造してきた知恵と実践に着目する以外にない、というアイディアである。これが、「アフリカの潜在力(African Potentials)」である。

これは、アフリカ社会に備わっている知恵や実践がヨーロッパやアラブ・イスラームといった外部世界からの影響とつねに衝突や接合を繰り返しながら、変革・生成されてきたものであることを前提とする。アフリカ社会が外部と折衝しつつ問題対処能力を更新するための高い能力(インターフェイス)を備えているという開放的で動態的な視点だと、いえる。

この「アフリカの潜在力」の特徴は、以下の3つの特性に整理される。
①包括性と流動性 たとえば民族移動の過程でよそものを糾合包摂し、自集団も異文化的慣習を受容しながら変容する集団編成のあり方。これは紛争の拡大を予防する。
②複数性と多重性 民族変更や民族への多重帰属、さらには異民族内部に争わない同盟集団をもつことで、紛争拡大を防ぎ、和解の回路を確保する。
③混淆性とプリコラージュ性 集団編成や価値体系は決して静的で固定的なものではなく、生活の必要によって混淆されて、地域の論理の動態性を生み出す。

この「潜在力」に着目することは、決してアフリカの伝統的知識や制度に回帰することではない。このアフリカ社会で創造され鍛えられてきた知恵や制度をグローバル化された現代の文脈の中で新しく再編成、再創造していくことで困難に対処する可能性に注目しようとするものである。たとえば、「在来の知」による生業の発展、持たざる者どうしが国家や国際機関に依存せずに自助自立するための相互扶助システム、引き裂かれた社会の癒しや和解の仕方や奪われた正義の回復法、異なる言語・文化・価値を背景にもつ人々が共生・共存していくための技法などである。

最後に、松田先生はこのように「序」を締めくくっている。「本書が提示したアフリカ認識のための枠組みが、今後のアフリカ理解のためのベーシックになることを希望している。」

…私は、この「アフリカの潜在力」や「在来知」の研究に大きな期待を抱いている。勉強を重ねて、この視点に立った「高校生のためのアフリカ開発経済学」の新バージョンをいずれ作製しなければ、と思うのだ。

2014年7月4日金曜日

毎日 京大総長に山極寿一先生

山極寿一先生 http://sunyama.soreccha.jp/d2009-10.html
「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編・世界思想社)を読んでいる。今日は、松田先生の序論についてエントリーしようと思っていたのだが、大二ユースが毎日新聞の朝刊に載っていた。山極寿一先生が京大の次期総長になられるとのこと。

山極先生の公開講座を以前聞かせていただいたことがある。アフリカの類人猿の話である。(13年4月13日付ブログ参照)無茶苦茶面白い講座だった。

この「アフリカ社会を学ぶ人のために」にも、山極先生が「ゴリラ・ツーリズム」というコラムを寄せておられる。総長就任を記念して、そのコラムを紹介したいと思うのだ。以下コラムの概要。

「じつは、アフリカのゴリラ・ツアーのルーツは日本にある。」という文章でコラムが始まる。1950年代の半ばから、日本の猿の餌付けをまねてみた。しかし、ゴリラは決して人間の餌に手を出さなかった。成果をあげたのは餌を用いずに接近する人付けだった。その後、日本の固体鑑別法を導入、全てのゴリラに名前をつけ観察を開始し、ゴリラの食物と遊動域の実態が明らかになり、チンパンジーと共通な特徴をもつ社会であることが明らかにされた。

ルワンダ政府のゴリラを観光化する試みは、参加者や行動をコントロールしながら成功を収めていく。地元にも雇用を生む。ルワンダ内戦後、カガメは観光立国をめざし、年間7万人のツアー客(1日1時間、ゴリラの群れに8人のグループで1人$750の費用をとる)が訪れ、活況を呈している。

しかし、人の訪問が増えてインフルエンザや肝炎に感染したり、ストレスが増えたりするゴリラが出ている。また観光収入の5%が地元の発展のために使われているが、その配分をめぐってトラブルもある。ルワンダのゴリラーツアーをモデルにアフリカ各地で同様のツアーが開始されている現在、このツアー政策のゆくえは大きな注目を集めている。

…日本とルワンダのゴリラ・ツーリズムの意外な関わり。実に面白い。こういうことを研究されている方が京大の総長になるわけだ。実に素晴らしいことではないか、と思う次第。

2014年7月3日木曜日

エレサレム 神殿の丘で暴動

神殿の丘 岩のドーム この周囲の建物で銃撃戦が行われたようだ
http://earthjp.net/mercury/0705140003.html
エレサレムでのユダヤとアラブの衝突が激化しているようだ。神殿の丘でも暴動が起こり、すでにYouTubeで衝撃的な画像も流れている。画像をみて報復のスパイラルでは何も生まれないなどと、のたまうのは、多神教世界の理屈かもしれないと思ってしまう。
<YouTubeの映像>
https://www.youtube.com/watch?v=2xv8HPH3EQY

イスラエルに行ってみて、よくわかったこと。それはアメリカをはじめとした世界中のユダヤ人に対し、支援を受けながらも民族の土地を守っているイスラエル人の「君たちは、ここに住めるのか?」という自負である。この自負は、いかなる困難・非難を受けても崩れない。自らの自負だけではなく、神から与えられた選民としての自負だ。一方でアラブの人々の自負も崩れない。多神教世界に生きる私たちの理解を超えた自負である。

イスラエルの超正統派以外の人々は、兵役の義務を負っている。退役後も予備役として訓練を積んでいる。どんな状況になっても、対応できる体制をつくっている。この後どう展開するかわからないが、非常に心配している次第。

というのも、パレスチナの人々が、ISISのカリフに呼応したりしたら大変な混乱が予想できるからである。と、同時に西側の対応も気になるところだ。今日の毎日の夕刊に、CT州のキニビアック大学の世論調査「第二次世界大戦後の米大統領12人の評価」の結果が報道されていた。最悪の大統領とされたのは、ブッシュ(Jr)元大統領(28%)ではなく、現オバマ大統領(33%)であった。何故かは、書かれていなかったが、最高がレーガン(35%)であったことを見ると、強いアメリカへの回帰と見るのが妥当かと思う。うーん。ウクライナやシリアの問題と、このイスラエルの問題は、アメリカにとって比重が違う。果たして、オバマ政権はどう動くのだろう。

…この神殿の丘というのは、ユダヤ・イスラム両宗教にとって、聖地中の聖地である。ここでの銃撃戦は、一神教世界では、先日のISISのカリフ復活とともに大きな出来事である。日本の報道が無関心な事も気になる。兵庫県議のわけのわからん男の映像を流している場合ではないと思うのだが…。

2014年7月2日水曜日

立花隆 天皇と東大Ⅳを読む。

田中耕太郎
http://shuyu.fku.ed.jp/html/
syoukai/rekishi/tanaka_kotaro.html
立花隆の「天皇と東大」の最終巻(文春文庫・13年2月10日第1刷)を今日読み終えた。この第四巻の主役は、経済学部の内紛である。私が学生だった頃(昭和50年代)は、経済学と言うとフツーは、マル経を意味していた。(ただ私は文学部なので、社会科の教員免許のために経済学を履修したにすぎない。意外なことに、その先生は近経だった。マル経とは、唯物史観や剰余価値説などを中心としたマルクス主義経済学、近経とは、有効需要などのケインズの近代経済学を意味する。)

昭和十年頃の東大経済学部は、およそ労農派、革新派、それに反ファシズムの社会民主主義的な派の三派に別れ、三国志よろしく教授会を中心に凄い権力争いをしていたのだ。すでにマルクス主義の共産党シンパは検挙され崩壊していた。そこに、コミンテルンが人民戦線路線を打ち出す。つまり、反ファシズムで同じマルクス主義を標榜しながらも非コミンテルンの勢力(日本では労農派=後の社会党左派となる)や社会民主主義者(穏健な議会制民主主義による社会主義化を目指す=後の社会党右派・民社党などの流れ)とも連携すると言い出したのだ。このことが、軍部・政府・文部省によって経済学部の労農派排斥へと繋がり、時期を追って社会民主派排斥へと流れていく。軍部・政府に近い革新派(国策にしたがったファシズム派)も、この内紛に巻き込まれていく。

ここで、法学部長だった田中耕太郎が、軍艦の神様と言われた(工学部長だった)平賀譲総長とともに粛学(経済学部の内紛を治めるため各派の中心教授を、強引に革新派も含めて休職に追い込む)を進めるのだ。大学の自治という観点からはゆるされないような方法だが、田中耕太郎は信念に基づいて進めていく。

この田中耕太郎は、大人物である。結局、その後東大を辞め、文部省に入るのだが、戦後の活躍がさらに凄い。学校教育局長として、文部大臣として辣腕を振るう。

この田中耕太郎の信念とは、「教育を文部官僚の手から、教育者の手に取り戻すということ。教育権の独立である。」「日本の教育は近代国家として出発した初めから、世界滅ぶとも正義を行こなわらしめよ、といった角度でものを考えることの出来ない人間、ものを言うことができない人間しか育てることが出来なかった。そこに真の日本の敗因がある。」「幼年学校が陸軍をダメにしたと同じように(面従腹背型の人間集団にしてしまった。)、師範学校が日本の教育をダメにした根源である。」と考えていたから、これを廃止するとともに六三制の確立に力をそそぎ、教育基本法・学校教育法などを制定した。田中耕太郎が、戦後の教育のグランドデザインをしたのだ。

その後参議院議員(良識の府とも言うべき、無所属議員の緑風会)、参院文教委員長、最高裁判事、最後は、ハーグにある国際司法裁判所の日本人初の判事となる。

…今まさに、時代はこの田中耕太郎の信念から逆戻りしているような気がするのは私だけではあるまい。

2014年7月1日火曜日

しれとこの森通信’14

年1回、北海道の斜里町から「しれとこの森通信」というパンフレットが送られてくる。かれこれ20年以上前に、知床を訪れた際、100平方メートル運動という知床の植林運動に寄付して以来のことだ。当時、世界自然遺産などというコトバもなく、知床半島は開発にさらされ、土地を買い戻して植林し、元の姿に戻そうではないか、という運動だった。

この時の北海道旅行は、亡き親父のちょっとだけ残された遺産を元に家族で旅させてもらったという経過がある。その遺産をほんのわずかだが、親父の供養の意味も込めて知床に寄付させてもらったのだった。だから、知床のどこかに、親父の木が育っているはずである。

今年のパンフレットには、この7月に知床自然センターの横に、この運動の公開コースがオープンするというニュースが載っていた。知床連山を望みながら、散策できるのだという。いいなあ。訪ねてみたいなあと思う。

初めて知床に入った時は、釧路から日本最長の直線道路経由で、尾岱沼のトドワラに向かい、羅臼から、松山千春の古い曲を聞きながら、知床横断道路をウトロに抜けた。すばらしい道だ。まさに北海道である。羅臼岳は北海道の山の中でもお気に入り中のお気に入りである。羊蹄山もいいし、利尻富士もいい。だが、羅臼岳もホント美しい。知床連山として見るのなら、網走側の小清水原生花園方面から眺めるのが最高かなと思う。

ああ、こんなことを書いていると北海道に行きたくなる。今年は3年担任で、文化祭準備や進路の仕事が大変だし、何より両肩が痛いので、旅に行けそうもないのだった。悲しくも充実した仕事の夏にするつもりである。(笑)

<斜里町・しれとこ100平方メートル運動HP>
http://100m2.shiretoko.or.jp/report/